老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

『徒然草』第10段 前半(読み納めシリーズ)

 

1)第10段 前半の要旨

 「家はその人を語る」という「家居」(戸建て住居)の話です。特に凝った造りなどせず、その人らしい家が一番だといいます。

 技巧などやがて消える煙みたいなもんじゃないかと、華やかな技巧に感じる流行りと廃れへの眼差しは、やっぱ兼好さんなかなかのものだと思うのですが、出家遁世を言いながら、ついその角度の審美眼から、現世への拘りも働いてしまところが兼好さんらしいようです。

 「わびし」のことば探索では、この時代の「出家遁世」熱やその後の「わび・さび」に通じる、根本動機のようなものを妄想したりします。

 

0)前置き

 以下の4点を参照しつつ『徒然草』を、下手の横好き読解しています。

旺文社文庫『現代語訳対照 徒然草』(安良岡康作訳注/1971初版の1980重版版) 
②ネット検索 
③『角川古語辞典』(昭和46年改定153版)
中公新書兼好法師』(小川剛生著・2017初版の2018第3版)

 

2)第10段 本文前半 

 家居 の つきづきしく あらまほしき こそ かりのやどり とは 思へど、興 ある ものなれ。

 よき人の のどやかに 住みなしたる所は、さし入りたる 月の色も、ひときは  しみじみと 見ゆるぞかし。今めかしく きらゝか ならねど、木だち ものふりて、わざと ならむ 庭の草も 心あるさまに、すの子、すいがいの たより をかしく うちある 調度も むかし 覺えて、やすらかなる こそ 心にくし と 見ゆれ。

 多くの たくみの 心を盡して みがきたて、からの やまとの めづらしく、えならぬ 調度ども ならべおき、前栽 の 草木まで 心の まゝ ならず 作りなせる は、見る目も くるしく いとわびし。

 さても やは ながらへ 住むべき。また 時の間の 煙ともなりなむ とぞ うち見る よりも おもはるゝ。

 大かたは  家居に こそ ことざまは おしはからるれ。

 

3)第10段 訳 前半 

 住居が調和がとれて望ましい感じなのが、無常のこの世で暮らす仮の宿だとは思っても、趣きあるものだ。

  【身の丈に合った家の造りはいい】 

 高貴な人がゆったりと住んでいるのは、差し込む月の色あいも一段と趣き深く思われることであることだよ。当世風のきらびやかな感じではないが、植栽の木立ちがどことなく古び、特に力をいれたようでもない庭の草も趣きがあり、簀子、透垣の配置が優美で、なにげに置かれた手回りの道具類も昔が思い出され、やすらぐ感じがまた奥ゆかしいのだ。

  【立派な人の閑静なたたずまいには趣きがある】 

 多くの職人がが精力を傾けて飾り立て、外国風であれ和風であれ、優れた、この上ない道具類なども並べ置き、庭植えの草木まで自然に任せるのでなく造作しているのは、見た目に心穏かでなく、やりきれない。

  【人工物より自然なものの方がいい】

 そんな状態で、長く住み続けられるだろうか。あるいは、やがて消える煙にさえなるんじゃないかと、パット見から思われる。

  【華美は廃る】 

 大体は、家の造作にこそ(家主の)心持ちのほどは、おしはかられるものである。

  【人は家で分る】

 

4)第10段 前半 ことば とか あれこれ探索

〇家居(いへゐ) 

 角川古語辞典の説明 

●「いへゐ【家居】」名詞

  意味:①家を造って住むこと(用例:万1829
  意味:②家。住居。(同:源・須磨)

★「いへゐ」が万葉語であったことはなんか驚きです。

★「いへゐ」の「い」は前段で見た「寝」なんでせうか?

 角川古語辞典の「い」の上代語は、「い【寢】」と、前語を指示強調する上代の間投助詞「い」くらい。
 「い【寢】」は、前の第9段で「いもねず」の説明で登場したばかりですが、

●「い【寝】」名 

  意味:ねること。睡眠。(用例:万3665)→やすい

●「いをぬ【寝を寝】」(「い【寝】」の子見出し) 

  意味:ねる(同:万4400)→いぬ   

★これに対し「ゐ」<音は「うぃ」でいい?>の上代語は、

●「ゐ【井】」名 

  意味:①泉や小川から飲料水をくみとる所。 

  意味:②穴を掘って地下水をくみ取るところ。掘り井戸。(万1128)  

●「ゐあかす【居明かす】」他サ四 

  意味:起きたまま夜を明かす(用例:万89) 

●「ゐしき【居敷】」名 

  意味:①座席(用例:神功紀) 

●「ゐで【井出】」名 

  意味:「ゐ【堰】」に同じ<=水の流れを堰き止め、用水をためおく所>。(用例:万1108) 

●「ゐなか【田舎】」名 

  意味:①都を離れた地方。農村。(用例:万312)=ひな。 

●「ゐぬ【率寝】」他ナ下二 

  意味:連れて行って一緒に寝る。共寝。(万・382) 

●「ゐまちづき【居待ち月】」名 

  意味:②[枕]居待ち月は明るいので「明かし」にかかる(用例:万388) 

●「ゐや【礼】」名 

  意味:敬うこと。礼儀。礼。(用例:敏達紀)=うや  

●「ゐやじろ【礼代】」名 

  意味:敬意を示すために捧げる物。礼物。(用例:記・下)=ゐやじ。ゐやじり。  

●「ゐやなし【礼無し】」形ク 

  意味:失礼だ。無礼だ。(用例:記・中)=なめし。 

●「ゐやまふ【礼まふ・敬まふ】」他ハ四 

  意味:<「ゐやむ【礼む】」に同じ>=敬う。礼をいう。(用例:崇神

●「ゐる【居る】」1⃣自ワ上一 

  意味:①すわる(用例:万568) 

  意味:④〈船が〉泊まる(用例:万2831)      

★「ゐ」のつくことば自体がすくないので「ゐ」がついて上代の用例をもつことばはこれで全部です(角川古語辞典上)。

★こうやって、見ると、「ゐや【礼】」系のことばは、ちょっと脇に置くとして、水が湧き出す井戸の「ゐ」とか、水の流れをとどめおく堰の「ゐ」とか、人を率いる意味の「ゐ」とか、「ゐ」には「動き」が内臓されているように思います。

 「居明かす」「居る」「泊まる」の「ゐ」も、動いているものがある個所で留まっている(しばらくしたらまた動く)ことが原意なんじゃないでせうか? その仮定(妄想)を踏まえ、「いへゐ【家居】」はどう解釈したらいいか? 

★「ゐなか【田舎】」も、「なか」がなんなのか要検討語だと思うので、これも一旦脇に置きます。

 

★「いへ【家】」は、角川古語辞典を見ると、紛れもない上代語で、関連の上代語が無数にあります。

 「いへ」が「家」であることは間違いないようですが、実は「【家】」(用例:万837)だけでも「家」だと記載されています。

★「うぃ」音でない「い」と、「うぃ」音の「ゐ」との違いあたりの基本知識がなく、若干もどかしいのですが・・。

 

コトバンクの「家 いえ」を見ると、<出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典>

《 日本において家族生活の場であり,伝統的な社会の構成単位である親族集団をいう。語源「いへ」の「へ」はヘッツイ (かまど) のこと。火をともにする集団を意味した。 》

 という解説があります。

 同じコトバンク内の他の説明では、

《 「へ【▽家】」《「いへ」の音変化》いえ。人家。「春の野に鳴くやうぐひすなつけむと我が―の園に梅が花咲く」〈万・八三七〉(出典 小学館デジタル大辞泉) 》

 のように、「いへ」音の縮約形と見る見方もあります。

★そこで、改めて「家の語源」をネットでググってみました。

 

◆「家の語源・由来」さんのサイトより。

《 家とは、人が住むための建物。住まい。家屋。生活の中心となる場所。

 家の語源.由来

 ・家の旧かなは「いへ」で、語源は諸説あり、家は古く「小屋」をさし、「小さな家」をあらわす「庵(いほり)」の「いほ」と同根とする説.

 ・家は「寝戸(いへ)」の意味とする説や、「睡戸(いへ)」の意味とする説など、家の「い」が「寝る」を意味し、「へ」が「戸」に通ずるとする説.

 ・家の「い」は接頭語で、「へ」は容器を意味し、人間を入れる器を意味する説などがある。 》

 それぞれに、拠り所あっての説なんでせうが、なんかバラバラです。

 

◆「知らなかった日本に出会う ハッケン!ジャパン」さんのサイトでは     (原文/平井かおる(日本の神道文化研究会)) 。

《「いえ(家)」は、ハウスじゃなくてホーム 

 国語辞典で「いえ(家)」を引いてみると、最初に「人が住む建物。家屋」と出てくる。しかし元々の意味を調べると、ちょっとニュアンスが違う。

 「いえ」は、古語では「いへ」と書く。「い」という言葉は、それだけで「神聖なもの」という意味を持ち、「へ」は「辺(あたり)」の意味。つまり、いえとは「神聖な辺り」、生きていくパワーが集まる場所のことをいう
 ちなみに「建物」の方は、「や(屋)」。やど(宿)の「や」で、物理的に雨風をしのぎ体を休ませる場所、という意味だ。
 いえは「や」である以上に、人が生きていく活力を養うために帰るべき場所。英語でいえば「Home」ということになる。 》

 

 ★「家の語源・由来」さんのサイトの、「い」が「寝」という、こちらの当初の妄想に合致しそうな説にも、惹かれるのですが、

 「へ」を角川古語辞典で追っかけると「へ」が「辺」である上代の用例の多さに、こりゃなんかあると感じていたので、「い(斎)」+「へ(辺)」=「家」とする《知らなかった日本・・》さんの解釈は、そう言い出した古代人の言霊への畏怖心のようなものも感じさせて、すご~く説得力あります。

 それが正解なのかどうかはともかく。ライターの平井かおるさんは、参考文献に、『ひらがなでよめばわかる日本の言葉』(中西進著/新潮文庫)、『岩波 古語辞典』(大野晋佐竹昭広・前田金五郎編/岩波書店)、『古典基礎語事典』(大野晋編/角川学芸出版)『暮らしのしきたりと日本の神様』(双葉社)を挙げられています。

 正統派です。やっぱ、専門書なしに専門的な話するのは、無謀なんでせうね。
 

★でも、そうなると、本式のお勉強ですからね。机上空論城の城主、読書感想文派としては、もうしばらくこのまま行きます。

 

★上述の「い」の追っかけで「角川古語辞典の「い」の上代語は、「い【寢】」と、前語を指示強調する上代の間投助詞「い」くらい。」 と書いたのですが、実は、すいません、これは誤りのようです。

 角川古語辞典には、『「斎〈齋〉」造語 忌み清めた、神聖な、の意を表す。「—串」』 という記載もあったのですが、「造語」ということばが理解できておらず、スルーしておりました。同じく「い(五)」と「い(五十)」も「造語」であったために併せてスルーしておりました。

◆ネットで「造語」をググったら、青山学院大らしい山下喜代先生「国語辞典における語構成要素の扱いについて」というPDFがまさにこの「造語」を扱っていて、接頭語と言い切れず、また、単語にもなりきれていない 語基部分のことうをいうらしく、1952年に『三省堂改定明解国語辞典』で「造語成分」として登場したのが初めてらしいです。

 角川古語辞典の「斎」の用例に上っている「斎串(いぐし)」は、「五十串」とも書かれ、玉串のことで、万葉集3229歌の用例があるということですので、「い【斎】」も間違いなく上代語でした。

 ですので、

「家居」は、「斎(い)」つき「辺(べ)」に人がやってきて留まるということを言っていると、解釈します。

 

★余談ですが、2005年頃、所沢に引っ越してきて、自転車で神社仏閣巡りしました。

 大きめの神社はもちろん畑の脇(所沢は地質のせいで水田が少ない)の祠とかにも干支月日とか有志銘とか見つけ、そしてウカノミタマ(穀物神)の神名が他の神に混ざってよく記されているのなど見て、村を開いた当時の人たちの思いや姿を偲んだもんですが、そのときのことを思い出しました。

★とまれ、中世人の兼好が「家居」(戸建て住居)と言った時、兼好の頭にこういう語源ばなしは、もちろんなかったでせう。「家居」といった兼好の頭の中には、公家の屋敷や武家屋敷、隠棲者が住まう里山掘立柱建物なんかが浮かんでいた、ということになるかと思うのですが。

 よく言われるように、消滅しかかっていたものの、まだ、鎌倉時代のどこかには、竪穴住居に住んでいた庶民もいたそうです。まあ、兼好は見たことなかったでせうか? 後の段(14段)に出て来る「あやしの賤(しづ)」とか「山賤(やまがつ)」なんてことばのレンジ(想定の範囲)が気になりますが、それはまた改めてですね。 

 

〇つきづきし

●「つきづきし」形シク  角川古語辞典の説明

  意味:似つかわしい。ふさわしい。調和がとれている。しっくりしている。(用例:枕1/徒然草10)

★前段で述べた上代「付く」(=付着)系統のことばだと思います。この対義的なことばに相当すると思われる

●「心づきなし」

  意味:①共感できない。心が惹かれない。(用例:源・夕顔) 

  意味:②気に食わない。不愉快だ。(同:源・若菜・下)

 などを思うと、「つきづきし」は、自分の心や何かが対象とするものにくっついていく(同意、共感、相応)していくということかと。

 

〇いまめかし

●「いまめかし」形シク 角川古語辞典の説明 

  意味:①現代風だ。当世風だ。目新しく華やかだ。(用例:源・若紫)  

  意味:②改まっていて変だ。いまさらわざとらしい。(用例:伽・あきみち)

★「いまめかし」は、「今」+「めかす・めく」でせう。
 「今」は、角川古語辞典を見ると、上代語でおおくの見出し語掲示されています(割愛)。

 「めかし・めく」は、上代語ではありませんが、上代語「め」見ること、見えること、が元で、「~に見える」「~になる」という意味合いでいいんじゃないかと。

 

〇わざと

●「わざと【態と】」副  角川古語辞典の説明

  意味:①わざわざ。ことさらに。(用例:源・帚木)  

  意味:②正式に。公式に。表向きに。(同:源・桐壺) 

  意味:③とりわけ。特に。(同:源・賢木)  

  意味:④少しばかり。形ばかり。(同・続膝栗毛)

 「わざと」は、用例からすると、上代の用例がなく、中古(平安時代)以降のことばのようだということをまず確認してえおきます。

★ところで、「わざと」は、現代人の用法と、古代人の用法が違う「古今異義語」というのだそうです。

 現代では「わざと」を、本来の目的でもなく行うというような意味合いで使いますが、中古時代の「とりわけ」「格別に」「わざわざ」などの用法にはその意味合いが殆どなかったそうです。

明海大学の教授・佐々木文彦先生の『わざとの意味・用法について』という論考で述べておられます(PDFでネットに上がっています)。 

 中古(平安)時代の終り頃『今昔物語』などに微かにみられる、なにか別の意図のために「態ト」行ったという用法が、徐々に幅を効かせて現代に至ったそうです。

 事柄の定義づけと、その証明のために現代の書物では200冊以上検証されるなど、作業の大変さがひしひし偲ばれ、机上空論城城主は畏怖しつつ拝読した次第です。 

★とはいえ、そういう歴史をもつことばらしい「わざと」が、中古時代にどのへんのことばから生まれてきたのか? 机上空論城城主は、そっちの方に興味があり、懲りず続ける次第です。

★「わざと」の「わざ」関連語を列挙します。。

●「わざ【業・態・事】」

 [1]名
  意味:①すること。 行い。 いわざ。(用例:源・真木柱まきばしら)
  意味:②務め。仕事。(同:伊勢)
  意味:③方法。技術。(同:平家9)
  意味:④仏事。法会。(同:古今・恋・詞書)
  意味:⑤たたり。災い。あだ。

 [2]形式名詞

  意味:こと(の趣き)。ありさま。次第。(同:源・玉鬘/夕顔)

●「わざうた【態歌・童謡】」名 

  意味:時の異変や貴人の死などを予言するような意味で、民間に歌われる流行歌。(用例:皇極紀

●「わざとがまし【態とがまし】」形シク 

  意味:「わざわざし」に同じ=わざとらしい。ことさらめいている。(態とがまし用例:源・絵合/わざわざし用例:蜻蛉・中)

●「わざとだつ【態とだつ】」自タ四 

  意味:ことさらにふるまう。晴れがましくする。(用例:枕・春曙抄300)

●「わざとめく【態とめく】」自カ四 

  意味:ことさらに改まって見える。心ありげに見える。(同:源・匂宮)

●「わざはひ【災ひ・禍】」名 

  意味:①凶事。災難。(平家5) 

  意味:②不快の念を表したり、相手を呪ったりするときにいう語。いや。いやだいやだ。(用例:大鏡道長

●「わざをぎ【俳優】」名 

  意味:物まねや歌舞をして神を慰め、人を楽しませること。また、その人。役者。(用例:神代紀

 

★下段で「わびし」をとりあげ「わ」のつく「上代ことば」を追っかけた中では、上代語の「わざうた」「わざをぎ」は、「わび」「わぶ」に直接関係なさそうでしたので列挙していません。

 でも、この「わざうた」「わざをぎ」という「わざ」つきことばが上代にあったということと、そして、この二語を見ると、上代から「わざ」には、忌まわしい意味も、晴れがましい意味もあったということの確認はできるかと思います。

 それ以上、現時点では、残念ながら「わざ」がどういう淵源のことばなのか、関連語などが少なすぎてよくわかりません。

 「わび」の語源では、「わ」が「動きの開始点」で「わたし」の地点であり、そこから伸びるベクトルの様態によって、様々な「わ」つきことばが生まれたと妄想しています。「わざ」もその仲間だろうと思うのですが、手がかりがありません。

 「わざ」の「わ」が「動き」を感じさせる「わ」なら、「ざ」は、「障る」系の「さ」か? などと妄想してみるのですが、じゃあ「晴れがましさ」はどうなるのか? 埒が明かない次第です。

 

〇のどやか

●「のどやか」形動ナリ 

  意味:「のどか」に同じ(用例:徒然43) 

●「のどか」

  意味:①静かなさま。ゆったりしたさま。落ち着いたさま。(用例:拾遺・恋) 

  意味:②天気が温和なさま(同:枕3) 

  意味:③のんきなさま。のんびりしたさま。(同:徒然170)

★「のどやか」「のどか」とも、中古以後のことばです。「のど・か」「のど・やか」の「のど」ってなんだろうと気になります。

「のど【長閑】」形動ナリ のどかだ。静かだ。平安だ。(用例:万197)

 という上代語があり、そうか、こっから派生していったかと拝察しますが、でもその「のど」って何? です。

★ここから、読書感想文派、机上空論城城主の妄想試論深まります。

●「のどようふ」自ハ四 

  意味:細い声を出す。力のない声を出す。(用例:万892)、

●「のむ【祈む】」他マ四 

  意味:①神仏に祈る(同:万2662) 

  意味:②懇願する。哀願する。(同:記・上

●「のらす【宣(告)らす】」

  意味:《「告る」の未然形+尊敬の助動詞「す」四型》おっしゃる(同:万237

 などの上代の「の」付きことばは「声をだして何かを言う」ことだと理解します。そうすると次に「ど」は何か。

★「ど」は

●「とどこほる」(同:万4398)、

●「とどまる」(同:万1453)、

●「とどむ」(同:万1780)、

●「よど(淀)」(同:万1366)、

●「よどむ」(同:万31

 などのことばからすると、この「ど」は「止める」の語感を持っており、そすると「のど」は「声を大きくせず、静かに、穏かに語る」さまを言っているのではないか、と妄想するわけです。

 知り合いであれ、他人であれ、第2段で見た、何事か声を上げていい募る人の不穏さ「うたて」ということばで表した上古人は、人の語り口の穏かなことに、何よりの安寧を感じ、「のどか」と表現した。どうでせう。定かではありませんが。

 

〇たより

●「たより【便り】」名 角川古語辞典説明、

  意味:①たより所。よるべ。(用例:伊勢) 

  意味:②ついで。機械。便宜。(拾遺・別) 

  意味:③おとずれ。連絡。消息。(同:狂・鏡男) 

  意味:④ゆかり。縁。(同:新古今・恋) 

  意味:配置。配合。(同:徒然10)

 本段の「たより」が「配置」という意味での用法は、まさに本段がその用法の出処(出どころ)ということのようです。

★古事類苑データベースで「たより」検索してみましたが、ざっと見に、「たより」を「配置」の意味で使っていそうなものは見当たらず、「道のたより(道案内?)」とか、「さるたより(縁?)」とか、「返すべきたより(機会?)なく」とか、どれも「配置。配合。」以外の意味で納まりそうな内容です。もちろん、もっと探索するとどこかに同じ用法があるかもしれませんが。

 これも、兼好のまた傾いた(かぶいた)使い方なんでせうか。それにしても、「縁(えん・ゆかり)」とか「縁からのチャンス(機会)」とか「か細い縁の有無の(消息)」とか、そういった「縁」がらみの意味合いと「配置」「配合」がなぜ結びつくのか?

★「たより」から遡れる上代語はやはり「因る」とか「寄る」「寄る辺」などでせう(例証割愛)。こういったことばの意味の内側を眺めても、「配置」「配合」へと流れ降りそうなものは見当たりません。

 「配置」や「配合」というのは、「縁にたよって」ではなく、自らの意思で「寄る」「寄せる」位置や「案配」を決めることでせう。ベクトルが逆向きだと思うのです。

 ですが、兼好さんは、配置の「位置決め」作業を、右に寄せたり、左に寄せたりして、一番いい場所との縁探し、縁結びという風な角度から、それも「たより」だろうと思って、使ったってことなんでせうか? 

 机上空論城の屋(憶)に屋(憶)を架しておりますが。

 

〇てぅど(調度)
 「てぅど」ってなんなんでせう。

●「てぅど【調度】」名 角川古語辞典の説明。

  意味:①手回りの道具。(用例:徒然72) 

  意味:②弓矢の称。武具の第一としたのでいう。(同:更級)

★『新漢和辞典〈改〉』(大修館)の「調」の熟語として「調度」があります。

 意味:①整え定める。処置する。②租税を取り立てる。③指揮してつかわす。④[国字]㋑日常使う手回りの道具・家具など。㋺武家では特に弓矢をいう。

★古語辞典のほうは、④の国字部分を掲示しているわけです。

 いままでの、やまとことばに漢字を被せるの例えからすると、「てぅど」という和語がありその意味に相応しい漢字「調度」が当て漢字として当てられた、ということになるわけですが、にしては、音が合致し過ぎのような気がします。

◆ネットをググっていたら、J-STAGEに「家政学雑誌」掲載の浅見雅子先生(山梨大学?)の平安時代の調度 調度の意味について」というPDFがありました。

 平安時代に整った「調度」認識の具体的な内容かを明らかにするのが主目的で、語源を探るものではありませんが、中国の辞書で中国語の語義を確認し、続いて日本側の辞書でも当時の語義を確認、中国語の本義が「配置」のほうにあったのに、日本では、配置される「道具」も含めて「調度」というようになったと推定されています。

 なので「調度」は、「外来語」のようです。音が合致して当然でした。 

 「てぅど」の「て」が「手」を意味するとかそういうことではないようです。

 

〇わびし

 「わびし」は、日本文化の美意識のキーワード「わび・さび」にかかわることばですが、その「わび・さび」は Wikipedia でもひとつの項目として立てられています。

 《 わび・さび(侘《び》・寂《び》)は、慎ましく、質素なものの中に、奥深さや豊かさなど「趣」を感じる心、日本の美意識。美学の領域では、狭義に用いられて「美的性格」を規定する概念とみる場合と、広義に用いられて「理想概念」とみる場合とに大別されることもあるが、一般的に、陰性、質素で静かなものを基調とする。本来は侘(わび)と寂(さび)は別の意味だが、現代ではひとまとめにして語られることが多い。・・・ 》(Wikipedia

 《 本来、侘とは厭う(いとう)べき心身の状態を表すことばだったが、中世に近づくにつれて、いとうべき不十分なあり方に美が見出されるようになり、不足の美を表現する新しい美意識へと変化していった。室町時代後期には茶の湯と結び付いて侘の理解は急速に発達し、江戸時代の松尾芭蕉が侘の美を徹底したというのが従来の説である。しかし、歴史に記載されてこなかった庶民、特に百姓の美意識の中にこそ侘が見出されるとする説が発表されている。 》(Wikipedia

「不足」を「美」と感じる意識の発生 っていうのは、やっぱ、出家遁世、隠遁生活への願望・憧憬感の深まりなどと軌を一にするものなんでせうか。

★この「出家遁世」観の淵源っていうのが、何なのか、ということがけっこう中古・中世の思潮を解くカギじゃないかと、この『徒然草』読解を始めて思い出しております。

★突然ですけど「道教」のWikipedia 等々の説明を読むと、ざっくり言うと、「儒教」「仏教」が国家統制、国家優先、支配に従う社会美というような根本動機を持っているのに対し、道教」は人間優先の根本動機を有していたようなんですよ。

 平安時代の、藤原氏一族に牛耳られた「雅(みやび)」な時代閉塞状況の中で、「個人」という意識がまだなかった時代に、でも感じられた「自分」というものの存在の意義の発現の難しさ。そこに感じる苦しさ「わび」こそが「隠者」「遁世者」への憧憬の根本動機だったんじゃないか???

 第8段で見た、道教的世界観中の「神仙思想」と「脱俗」との誤認識のような親近性など思うと、そうなんじゃないかと妄想するわけです。

 兼好という「王朝文学」憧憬者は、当然ながら近代に発見された「体制と個人」っていうような形での(社会)認識はまったく有していなかったってことでせう。ただただ、兼好は「王朝文学」へのノスタルジーに突き動かされつつ「出家遁世」の時代思潮もせっせと語る人だっただけであります。

 「王朝文学」と「出家遁世」、「流麗・典雅」と「不足の美意識」? 兼好の中では、全然対立概念じゃなかったってことでせえうが、もし、「出家遁世」の熱の底に、それとわからぬ「体制と個人」というような社会意識のようなものがあったとすれば、それはどういうことになるんだろうと、妄想し始めたのですが、まだ、まったく、何もよくわかってはおりません。

★角川古語辞典で「わびし」および「わび【侘び】」近縁語を確認します。

●「わびし【佗びし】」形シク 

  意味:①寂しい。たよりない。心細い。(用例:万714) 

  意味:②苦しい。辛い。(同:源・玉鬘) 

  意味:③満たされない。物足りない。つまらない。(同:古今・旅・詞書) 

  意味:④みすぼらしい。貧弱だ。(同:宇治拾遺9) 

  意味:⑤やりきれない。閉口だ。困る。(同:徒然56) 

  意味:⑥閑寂だ。

 上代(万葉時代)の ①寂しい。心細い。頼りない の意味から

 平安時代の     ②苦しい ③物足りない、

 鎌倉時代の     ④貧弱、 ⑤困惑、そして

 その後の      ⑥の「閑寂」への紆余曲折は、

  図らずも、社会意識の辺りをなぞりながら伸展してきたように見えます。

 「閑寂」は「侘び・寂び」のことと思いますが、「侘び・寂び」の枯淡な印象の奥底に、千利休とか芭蕉とかの、それと気づかぬ体制に立ち向かう意識のようなものがあった、ってことなんでせうか? 妄想ながら面白い気がします。

●「わび【侘(佗)び】」名 

  意味:①思い煩うこと。悲しむこと。寂しがること。(用例:万644)  

  意味:②茶道、俳諧などで渋み、閑寂、閑静。(用例:醒酔笑)←江戸初期

★「わび」自体は、上代(万葉時代)に、一人で思い悩んだり、悲しんでいたりする孤独な「寂寥感」だったようです。

◆『万葉集』644の 紀郎女(きのいらつめ)の歌

 (奈良県立万葉文化館さんの「万葉百科」から引用)

《 漢字本文「今者吾羽和備曽四二結類氣乃緒尒念師君乎縦左久思者」
  読み下し「今は我はわびそしにける息の緒に思ひし君をゆるさく思へば」
  現代語訳「今や私は辛い思いに沈むことだ。わが命とも思っていたあなたを、遠ざかるにまかせようと思うと。」 》

★第三段で「いろごのみ」のことばを追っかけた時に、万葉集の恋の歌の中には、待つ辛さを歌うものは多くても、やってこない男をなじる歌は少ないように思えると、ちらっと書いたのですが、この歌でもそうじゃないかと思います。遠ざかっていく相手を責めるのではなく、それは許して、自分の心の辛さを持て余しています。

 ネットの他のサイトで、若干なじり気味の現代語訳をつけていられるものもありますが、それは、現代的な解釈なんではないでせうか。
 一人思い悩む寂しさ、それこそが「侘び」だった、かと。

●「わぶ【侘(佗)ぶ】」[1]自バ上二 
  意味:①思い悩む。悲観する。嘆く。(同:万618
  意味:②たよりなく思う。 はかなむ。(同:古今・雑)←平安時代
  意味:③心細く暮らす。寂しい思いでいる。(同:古今・旅・詞書)←平安時代
  意味:④つらく思う。困る。(同:増鏡・畑の末々)←南北朝時代
  意味:⑤落ちぶれる(同:拾遺・雑)←平安時代
  意味:⑥閑寂の境地を楽しむ。(同:謡・松風)←室町時代
 (※角川古語辞典の①~⑥は時代順でなく、そのことばの用例の多寡順(頻度順)かと思います)

◆『万葉集』618 大神女郎(おほみわのいらつめ)の歌を

 同じく「奈良県立万葉文化館」の「万葉百科」から引用します。 
《 漢字本文「狭夜中尒 友喚千鳥 物念跡 和備居時二 鳴乍本名」
  読み下し「さ夜中に 友呼ぶ千鳥 物思ふと わびをる時に 鳴きつつもとな」
  現代語訳「さ夜ふけに 妻をよぶ千鳥が、物思いに沈んで 寂しい時に 鳴きつづけて、空しいことです。」 》

 ※「もとな」は角川古語辞典では「せつに」「やたらに」などの意味のようで、「つつ」も「反復」の接続助詞かと思われるので、「悲嘆にくれながら居て、やたらと鳴き続けている」のような意味合いなのかと思います。なので「空しいことです」の訳がいまいちよくわかりませんが。

 とまれ、「わぶ」の一人で悲嘆んにくれる感じよく伝わります。

★まあ、ここまでは、「わび」系の普通の解釈ですが、机上空論城城主は、「わび」「わぶ」がどうして、「一人思い悩む」になるのかという、さらなる古層に足を踏み入れないと気が済すみません。

 「わ」の上代語を見ると、

 (イ)「私・・」系 「わが大王(おおきみ)」(記・下)、「わぎへ=わが家」(万4048) 「わけ=自称」(万1462)

 (ロ)「若い」系 「わかかへ=若い時」(万3874)

 (ハ)「分ける」系 「わきわきし=際立っている」(持統紀) 「分き=けじめ、区別」(万716) 「わづき(別)=区別、差別、わかち。一説に手段、方法。」(万5)

 (二)「走る/早い」系 「わせ(早稲)」(万217)

 (ホ)「走る/渡す」系 「わしす(走す)=はしらせる。渡す。」(記・下) 「わたつみ=水渡り・海」(万1740)

 (へ)「走る/巡る」系 「わ(回・曲)=曲がっている所」(天武紀) 「わた(腸)」(万804) 「わだかまる」(万229)

 (ト)「走る/支障」系 「わづらふ=悩む、苦しむ」(万897) 「わぶ」

 (チ)「走る/声」系  「わわく=わめく。騒ぐ」(万892)

★「わ」は「始動の開始点」で、それが「わたし」でもあるようなのですが、「わ」が動くのが「わしす」で、「真っすぐ」動くのが「わたす」で、「水面」を動くところが「わたつみ」で、「わ」の動きを「切る」のが「わき・わけ」で区別に通じ、「わ」が居付くのが「わづき」(区別)だったり「わづらふ」(苦しむ)だったり「わぶ」(嘆く)だったりするんではないかと。

「家居」の「ゐ」は、また動く予定で一旦動きを止める、その動きそのものを言っているようなニュアンスでしたが、「わぶ」の場合は、なにか問題あり、支障ありの、そこから動きたくても動けないで困っている ニュアンス感じます。

 じゃあ、「若い」ってどういうニュアンスか? わかりません。「か」が「葦牙(あしかび)」の若芽の「か」かなとか、「飼ふ」(動物を養う、食べ物を与える)の「か」かなとか、いろいろ妄想しますが、全然見えてこず、一人嘆くしかありません。