老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

衆院選高市自民圧勝

衆院選高市自民が圧勝。

驚きました。

 

2024年の石丸ブームの時にも感じたことですが、

若い人たちが、

リベラル 対 保守 といった

左右の対立構図に辟易している気がします。

 

若い人が保守化しているというようなことでなく

前にも書いたかもしれませんが

若い人たちの問題意識と

リベラル派の問題意識が

もはや噛み合わなくなっているんじゃないでせうか?

 

リベラル世代は、

その時代の思潮のなかで

問題意識を持ち、

人格形成もしてきたかもしれないけど

 

その後の人たちは

その後の社会の中で成長し

その後の時代状況や文化の中で問題意識を持ち

人格形成もしてきたわけで

 

フォークルとか高石ともやとか吉田拓郎とかの

あの世代の曲に今でも心躍る人たちと

その後どういうグループがそういう存在か知りませんが

これこそが自分達の時代の歌だと思う歌は

ちがっていると思うんですよね

それが世代っていう事なんだろうと

思うわけです。

 

もちろん、時代が変わっても

社会に大切な、社会の基盤となっている

自由、平等、博愛、平和、人権、

そしてコンプライアンス

といった

近現代が築いてきた理念は

これから先も揺るがせにできないのだけど

もう、それらを、

リベラル世代のことばで

教えられたりするんじゃなくて

自分達の世代のことばで

改めて語り直したい

というようなことなんじゃないすかね。

 

「ちーむ未来」という政党が

当選者を増やしたあたりなんかにも

そういうものを感じるのですが

(定かではありませんが)

 

まあ、圧勝の高市内閣が

旧来の対立軸から抜け出す

あたらしい社会のありようを

検討する足掛かりになるかもしれません。

 

リベラル世代の末席を汚す机上空論城城主は

やはり、コンプライアンス等を軸に

眺めていく他なかろうと

思ってはおります。

 

万葉集のことば なゆたけ とをよる

歌のデータ、読み下し、訓み、現代語訳は、奈良県立万葉文化館さんの「万葉百科」を参照させて頂いています。そのほかからの引用の場合は都度記します。

 

1)なゆたけ とをよる にフォーカス

 

この420番の歌は、石田王(いわたのおほきみ=忍壁皇子の子=平安時代初期の同名の方とは別)が"素晴らしいかただったのに亡くなられた"と丹生王(にふのおほきみ=石田王の奥さん、あるいは身内かと思われている方)が嘆く挽歌(長歌)です。古代の呪術的な記載などがあって長歌全体味わい深いのですが、ここでは、題詞のあとの歌冒頭の「なゆたけの とをよる」という二語について、読書感想文派の机上空論城城主が、読書感想文的に考察を行うものです。

 

番号       巻3-420

題詞  石田王 卒之時、丹生王 作歌一首〔并短歌〕

読下し 石田王の  卒りし時に、 丹生王の  作れる歌一首〔并せて短歌〕

私訓み いはたのおほきみの まかりしときに にふのおほきみの つくりしうた・・

 

〇石田王 〇丹生王 

▶ 岩田王の父・忍壁皇子天武天皇の子。石田王は天武の孫になるそうです。なので、持統朝の頃になるのか? 早逝されてしまわれたらしいのです。この岩田王と丹生王については、確かなところは分かっていないらしいです。ネットにある「多摩遊覧Ⅱ」さんの「石田王と妃皇女」にその辺りが述べられています。参考にさせていただきました。

 

本文  名湯竹乃 十縁皇子 狭丹頬相 吾大王者

読下し なゆ竹の   とをよる皇子  さ丹つらふ   わご大王は

訓み  なゆたけの  とをよるみこ  さにつらふ   わごおほきみは

百科訳   なよ竹のようにしなやかな皇子、 丹の頬も美しい わが大君は、

 

〇名湯竹 なゆたけ 

▶ <Weblio古語辞典>「学研全訳古語辞典」の「なよ-たけ 【弱竹】」説明。 《 名詞 細くしなやかな若竹。「なよだけ」「なゆたけ」とも。 》 

▶ <コトバンク>「精選版 日本国語大辞典」の説明。  《 なよ‐たけ【弱竹】〘 名詞 〙 ( 「なよだけ」とも ) 細くしなやかな竹。なよなよとした竹。若竹。なゆたけ。また、「めだけ(女竹)」の別名ともいう。[初出の実例]「名を三室戸斎部のあきたをよびてつけさす。あきた、なよ竹のかぐや姫とつけつ」(出典:竹取物語(9C末‐10C初)) 》

▶「角川古語辞典」の「なゆたけの」の説明。  《 [枕] なよ竹がたわむ意から「とをよる」にかかる。「—とをよる子ら(=シナヤカニ寄リ添ウアノ女性)は」(万・217)=なよたけの。 》

▶「なよなよ」は現代的には弱々しい意味合いだと思います。この語義説明は、現代人に向けてのものでしょうから、そういう現代的な感覚からすると「しなやか」と「なよなよ」が同居することに違和感あります。

 しかし、手元の「角川古語辞典」で、副詞「なよなよ(-と)」を見ると、「柔らかに靡くさま」という語義で源氏・夕顔の用例が挙げられています。なので、中古時代時点で(のころまで)は「なよなよ」は「しなやか」と同義的な扱いの面もあったのかもしれません。

 これについては、下の方で再度触れます。 

▶ 「万葉百科」さんで「なゆたけ」検索すると、本歌3-420番しかヒットしません。 「なよたけ」で検索しても2-217番「奈用竹乃 騰遠依子等者〈なよたけの とをよるこらは〉=なよなよとした竹のようにしなやかな娘は」のみです。 しょっちゅう使われる表現ではなかったようです。というか希な表現だった?(ここの「万葉百科」さんの現代語訳でも「なよなよ」であってまた「しなやか」であるという訳にひっかかるのですが、下の方で改めて触れます)。

 古語辞典の語義説明と、420、127の用例から、「なゆたけ」の「なゆ」は「しなやかさ」にウェイトがありそうだと感じられます。

 でも、「なゆ」と聞くと「萎ゆ」「なえる」にも聞こえます。 どっち?

 

▶ <Weblio古語辞典>「学研全訳古語辞典」で「しなゆ」と「なゆ」の説明を見てみます。

 

2)しなゆ と なゆ

 

《 しな・ゆ 【萎ゆ】 自動詞ヤ行下二段活用 活用{え/え/ゆ/ゆる/ゆれ/えよ} しおれる。元気を失う。出典万葉集 一三一 「夏草の思ひしなえて偲(しの)ふらむ」[訳] ⇒いはみのうみ…。 》

《 な・ゆ 【萎ゆ】 自動詞ヤ行下二段活用 活用{え/え/ゆ/ゆる/ゆれ/えよ} ①力がなくなってぐったりする。なえる。 出典竹取物語 かぐや姫の昇天 「手に力もなくなりて、なえかかりたり」 [訳] 手に力もなくなって、ぐったりし物によりかかっていた。 ②衣服が着なれて柔らかになる。 出典枕草子 正月十よ日のほど 「袴(はかま)なえたれど、よき袿(うちぎ)着たる三、四人来て」 [訳] 袴は着なれて柔らかくなっているが、よい袿を着た(童女が)三、四人やって来て。 ③草木がしおれる。 》

 「しなやか」要素はないようです。

▶ 「漢字辞典ONLINE」で「萎」を見ます。 《 「萎」の基本情報 /部首▷艸部(くさ・くさかんむり・そうこう)  /画数▷11画(艸3+8)  /音読み▷中学校で習う読み イ /訓読み▷中学校で習う読み な(える) /表外読み▷しお(れる)  /表外読み▷しな(びる) /表外読み▷しぼ(む) /表外読み▷つか(れる) /意味▷なえる。しおれる。しなびる。しぼむ。かれる。:衰える。疲れる。ぐったりする。:なやむ。病む。 /種別▷常用漢字 / 名前に使える漢字 /漢字検定▷2級 /JIS水準▷第1水準 》 

 ここでも「萎(なえる)」は、「しなやか」さとは一線画してるかと思います。

▶<Weblio日中・中日辞典>「白水社 中国語辞典」の説明。  《  萎 ピンイン wēi    (旧読) ⇒ wěi .  ①付属形態素 (植物が)枯れる,生気を失う. ②(話し言葉では多く wēi )動詞 (商売・価格が)衰える,衰微する,低落する. 用例 前些日子,他们买卖很好,近来却萎了。=ちょっと前まで,彼らの商売はたいへんよかったが,最近は活気がなくなった. 花生的价钱 ・qian 萎下来了。〔+方補〕=ピーナッツの値段が下がってきた. 》  

 「萎」は漢語でも「しなやか」とは一線を画しているようです。おそらく①の枯れる、生気を失うがこの字の原義なんでせう。

 中国語音はよくわかりませんが「ウェイ」というような音が、古代日本人には「イ」に聞こえたということなんでせうか。

 

▶ そういう「萎」の字を万葉時代人はどのように扱ったのか? 「万葉百科」で「萎」で検索してみます。現代語訳に「萎」の字が使われているのも含めて8首がヒットします。 現代語で「萎」を使っているのは現代人の判断ではあるのですが、逆に「萎」の意味合いを万葉人がどう表現したかということにもなると思うので、同系の用字例として併せて列記します。当該部分です。

 

02-0138番 「夏草乃 思志萎而〈なつくさの おもひしなへて〉=夏草のように思いしおれて」(人麻呂)【(A)しおれる系?】、 

02-0196番 「夏草乃 念之萎而〈なつくさの おもひしなへて〉=夏の草のように悲しみにしおれ」(人麻呂)【(A)しおれる系?】、 

03-0291番 「真木葉乃 之奈布 勢能山〈まきのはの しなふ せのやま〉=真木の葉も萎えている背の山を」(小田事)【(X)たわむ系?】、 

06-0947番 「為間乃 海人之 塩焼衣乃 奈礼名者香〈すまの あまの しほやきぎぬの なれなばか〉須磨の漁師が塩を焼く際に着る衣のように萎える――慣れたならば」(山部赤人)【(B)馴れる系?】、 

11-2622番 「志賀乃 白水郎之 塩焼衣 雖〈しかの あまの しほやききぬの なれぬれど〉=志賀の白水郎の塩焼の衣が萎(な)えるように馴れはしたが」(未詳)【(B)馴れる系?】、 

14-3576番 「古奈宜我 波奈乎 伎奴尒 須里奈流留 麻尒末仁〈こなぎが はなを きぬに すりなるる まにまに〉=子水葱の花を衣に摺り染にして、衣が萎(な)えるにつれて、馴れつつ」(未詳)【(B)馴れる系?】、 

15-3717番 「和伎毛故我 牟須妣思 比毛波 奈礼尒 家流香聞〈わぎもこが むすびし ひもは なれに けるかも〉=妻が結んだ紐はいつか萎(な)えてしまったことだ」(未詳)【(C)よれよれ系?】、 

19-4282番 「梅花 之乎礼氐 宇都呂波牟 可母〈うめのはな ゆきに しほれて うつろはむ かも〉=梅の花は雪に萎れて散ってしまうでしょうか。」(石上宅嗣)【(A)しおれる系?】。 

 

▶ あくまで空論城見立てでの話ですが、291番の「(X)たわむ系」をのぞけば、「萎」または「萎系」を表す歌では、A「しほれる」、B「なれる」、C「よれよれになる」の3種の意味が見て取れます。概ね「漢字辞典ONLINE」で確認した語義と重なるかと思います。

 パリっと(あるいは、ごわごわと)した布が、着慣れて、肌になじむ。馴れすぎると、くたっと(よれよれ)して、草木がしおれた感じになる、といった実感は、今も万葉時代も変わりないようです。これらの感じは「しなやかさ」とはやはり違うものだと思います。

▶ 291番の歌は「岩波文庫」の説明によれば、 杉や檜などの立派な樹々の葉が「しなふ(之奈布)=しなる&旅人を思う」勢能山というところで、そういう樹々が自分を思ってくれることを「しのはず(之努波受)=思わず=愛でもせず」ただ越えてゆくが、そういう自分の気持ちは山の樹々はわかってくれているだろう、というような歌らしいです(「岩波文庫」によれば、「草木が人の心を理解する」という古代観念が1304番の歌などにもみられるそうです)。

 「しなふ」は「しのふ(思ふ)」とも掛かっているようですが、「岩波文庫」さんは「しなふ」を「撓(たわ)みしなる」と「たわみ系」で訳されています。真っすぐな杉や檜の「真木」の葉ですから、いきなり「しおれる」意味は、歌意的にもおかしいだろうという見立てかと思います。異存はありません。

 

3)しなふ

 

▶<Weblio古語辞典>「学研全訳古語辞典」で「しなふ」を見てみます。

《 しな・ふ 【撓ふ】 自動詞ハ行四段活用 活用{は/ひ/ふ/ふ/へ/へ} 

①しなやかにたわむ。美しい曲線を描く。 出典万葉集 二九一 「真木の葉のしなふ勢(せ)の山」 [訳] 真木の葉が美しい曲線を描く勢の山。 

②逆らわずに従う。 出典平家物語 四・橋合戦 「水にしなうて渡せや渡せ」 [訳] 水に逆らわず従って渡れよ渡れ。◇「しなう」はウ音便。 》

▶ 古語「しなふ」は①の「たわみ」系「しなやか」系がありつつ、②の「逆らわずに従う」"弱さ"をも内包することばのようです。上の138番や196番の歌の「おもひしなへて」が①の「たわむ」「しなふ」系であるのであれば、杓子定規な言い方をすれば、「おもひしなえて」と訓んだほうがいいのかもしれません。ただ、②の併存がそこらへんの境界を曖昧にしているようでもあります。

 本420番歌の「なゆたけの とをよる皇子」の「なゆ」というのは、①の義であることは間違いないでせう。しない、たわんでも力強さを失わず元にもどる柔軟さ、岩田王はそんなすばらしい人だったと言いたいのでせう。 

 

4)たわむ

 

▶ 「たわむ」は<Weblio古語辞典>「学研全訳古語辞典」の説明によると、 《 たわ・む 【撓む】 [一]自動詞マ行四段活用 活用{ま/み/む/む/め/め}  

①しなやかに曲がる。しなう。たわむ。 出典:源氏物語 若菜下 「枝もたわむばかり咲き乱れたり」 [訳] 枝もしなうほど咲き乱れている。  

②屈する。弱気になる。 出典:万葉集 九三五 「手弱女(たわやめ)の思ひたわみて」[訳] か弱い女のように心が弱気になって。 [二]他動詞マ行下二段活用  活用{め/め/む/むる/むれ/めよ} しなやかに曲げる。 出典:宇治拾遺 二・一三 「背をたわめてちがひければ」 [訳] 背をしなやかに曲げて身をかわしたので。 》 

 「たわむ」も、「しなふ」と同様に、①"しなやかさ"と ②"よわさ"を内包しているようです。そして、①の意味が『源氏物語』からの用例ということは、②の用法が古く、①の用法があとからのものということなのでせうか?

 これは、後述するのですが、実は万葉集に「たわむ」ということばは登場しません。①の用例が『源氏物語』であるのもそのためです。しかし、②の「たわやめ」は「たわ」が「たわむ」の「たわ」だということで説明されているわけですが、それが「万葉集」の用例であるように「たわ」のつくことばは、万葉集にいくつか登場します。

 

 

5)「しなふ」に当てた「撓」という漢字

 

▶「しなふ(現代音しなう)」は「撓」の漢字を使い、「撓ふ」と書いて「しなふ」と訓みますが、「撓む」と書いて「たわむ」とも訓むわけです。

 「撓」を「漢字辞典ONLINE」で見てみると、 《 「撓」の基本情報  ▷部首:手部(て・てへん)  ▷画数:15画(手3+12) ▷音読み :コウ トウ ドウ  ▷訓読み :いた(める) くじ(ける) しおり しな(う) しわ(る) た(める) たわ(む) たわ(める) みだ(れる)  ▷意味: たわめる。たわむ。しなう。まがる。弓なりに曲がる。/みだれる。みだす。かきみだす。/ためる。曲げて整形する。/くじける。くじく。勢いを断って弱らせる。また、勢いがそがれる。 /日本 しおり。松尾芭蕉俳諧の根本理念の一つ。 ▷漢字検定:1級  ▷JIS水準:第2水準 》  

 音は、コウ、トウ、ドウ だそうです。しかし、これは日本語の漢字における音のようです。 

 

▶「撓」を<Weblio古語辞典>「白水社 中国語辞典」で見てみると、 《 挠(撓) ピンイン náo  

①動詞 (つめなどで)かく,ひっかく. 用例 狗挠地。〔+目〕=犬が地面をかく. 不能在客人面前随便挠痒痒 ・yang 。=お客の前でところ構わずかゆいところをかいてはならない. 猫把我的手挠破了。〔‘把’+目+挠+結補〕=猫が私の手をひっかいた. 自己挠不着 zháo ,你给我挠一挠。〔+可補〕=自分ではかけないから,私のためにかいてください. 被猫挠了一下儿。〔‘被’+名+挠+目(数量)〕=猫にひっかかれてしまった. 

②付属形態素 (事態の順調な進行を)かき乱す,妨げる,じゃまをする.⇒阻挠 zǔnáo . 

③付属形態素 曲がる,たわむ,(比喩的に)しりごみする.⇒不屈不挠 bù qū bù náo ,百折不挠 bǎi zhé bù náo .》 

▶ 音は、「náo」で、実際の中国語音など分からないのですが、日本で音読みしているコウ、トウ、ドウとはだいぶ距離がありそうです。「しなう」の「なう」とこの「nao」。なんか関係あるのでせうか?

▶「不撓不屈」の「撓」が ③番手になっているのは、「曲がる」「たわむ」の意味が今日では古い使い方になっているっていうことなんでせうか? よくわかりませんが。

▶「撓」の字は古くからそういう意味なのかどうか。 

 「漢籍全文資料庫」で「撓」を検索すると多数ヒットしますが、例えば「漢書 / 列傳 凡七十卷 / 卷九十 酷吏傳第六十 / 周陽由 ..[底本:王先謙漢書補注本] 段4341「  ...脩謹,然由居二千石中最為暴酷驕恣。所愛者,撓法活之;所憎者,曲法滅之。[三]師古曰:...・・・法活之;所憎者,曲法滅之。[三]師古曰:「撓亦屈曲也,音女教反。」所居郡,必夷其豪。... 」という条り。 

 周陽由(しゅうよう ゆう)という酷吏(残虐な役人)がいたそうで、二千石の高官であった者の中ではもっとも暴虐でわがままをし尽くし、愛でる者は法を撓めて之を活かし、憎む者は法を曲げて之を滅ぼした。ということのようです。

漢書の注釈者である顔師古さんが「撓はまた屈曲なり」と言っています(ここでの「また」は「別義で」という意味ではなく「つまり」とか「すなはち」の意味かと思います)。「撓」に古くから曲げる、撓める意味があったのは間違いないようです。

 そして、その音は "「女」の音の最初の子音部分と「教」の音の後半とを合わせた音だ" と言っているようなんですが、<Weblio日中・中日辞典>で「女」は「ピンインnǚ」、「教」は「ピンインjiāo ⇒ [異読音] jiào」ということなので「n」+「ao」で「nao」になるのでせう。繰り返しますが、確かな中国語音の知識で語っているわけではありません。

 古代からの音韻変化とかも一切わかりませんし、確かな言語知識に基づく考察ではないということ、その辺は何卒、ゆるく暖かく見守って頂きたいのですが、結果的に「白水社 中国語辞典」説明の「náo」に近い音にたどり着いたようなんではあります。 

▶ なので「撓」は「トウ」ではなく「ヌアオ」だったようで(定かではありませんよ)、この「ヌアオ」に「しなう」「なゆ」「なよ」の音が近いのはなにか関係(借用語的な?)はあるのでせうか? まあ、こっから先は、机上空論城城主には手の負えない世界になってしまいます。

 

6)「しなふ」は両義的?

 

▶ 「しなゆ(萎)」と「しなふ(撓)」は、現代の感覚からすると別義のことばだという見方で話を進めているわけですが、「しなふ」側には、どうもその境界が曖昧な面を内包してるようです。

 これは、両者の混同なのかどうか。「nao」由来の継承なのかどうか? 時間の経過の問題なのか、さだかではありません。  

▶ そして、古代日本人の耳には「ヌアオ」は「ッアオ」みたいに聞こえてやがて「タオ」「トウ」と聞きなされていったということなのでせうか(妄想の屋上屋を架しておりますが)。でも、それはさすがに無理がある気がします。既にあった「トウ」系のヤマトことばが「撓」の語義により結びつけられたのだろうとは思うのです(次回述べますが、「とを」「とをを」系のことばは「万葉集」に少なくないからです)が、まったく定かではありません。 

▶ それでです、次の句の「十縁」〈とをよる〉というのは、そうか「撓寄る」なんだ!と気づくわけであります。「なゆ(よ)竹」が「とをよる」の枕詞だというのが、そういうつながりなんだと気づくわけであります。

 『大陸じゃ「な」音かもしれないけど、ヤマトじゃ「と」音だよ』みたいなことば遊び?(⇦これ完全にフライング妄想です)。

 

7)「とをよる」にさらなるヒントがあるか?

 

〇十縁 とをよる 

▶ <Weblio古語辞典>「学研全訳古語辞典」の説明。  《 とを-よ・る 【撓寄る】 自動詞ラ行四段活用  活用{ら/り/る/る/れ/れ} しなやかにたわむ。 出典万葉集 二一七 「秋山の(=枕詞(まくらことば))したへる妹(いも)なよ竹の(=枕詞)とをよる子らは」 [訳] 赤く色づいた(ように美しい)あの娘、なよ竹のようにしなやかなあの少女は。 》 

 

 続けて「万葉集」で「撓」系のことばがどう扱われているか? 見たいのですが、長くなりすぎるので、次回へ。

藤堂明保著『漢字の知恵』と四月馬鹿

 読み納めシリーズ

 

1)『漢字の知恵』藤堂明保著(徳間文庫)

 いつ買ったのかも忘れてしまいました。買って読んで、たしか「韻母」のあたりで挫折していたなあといううっすらの記憶。

 読み直してみて、日頃、漢字に対して漠然と感じていた、「やまとことば」への「漢語」もしくは「漢語的発想」の浸潤具合のようなものが、なあんだちゃんとここに少し触れられてたじゃないかと(ex,「枠(わく)」は漢語からの借用日本語とか)、トホホでした。

 また、万葉仮名と帰化人とヤマト(日本)の中央集権制の伸展との絡み合いというようなことも概略的に理解でき、最近の「万葉集」読みに大いに参考になりました。

 ただ、韻母のあたりは、やはり今も、漢音がイメジしづらく難しく、ネットの「韻母」を扱う動画を併せ見たりしております。

 また、本書第三篇の「漢字と言語政策」の、特に当用漢字問題などの"使う漢字の簡略化と字数制限"の問題は、漢字変換ソフト(機能、道具)のなかった時代の問題だったんだなと、今になってみると思われますね。

 覚えるのも書きこなすのも一苦労だった漢字の山の問題が、漢字変換ソフトの登場で、無意味化し(量の問題から、手書きの時には昔より書けない問題に移行しつつ)、最近は旧漢字、難しい漢字を集めるサイトの登場など、量はむしろどんどん痛みもなく増えて行っています。

 あれから半世紀。状況一変のところと相変わらずのところ。不易流行。

 ちょっと調べりゃ、昔から説明されていることを、調べもせず、知らないままにノホホンと過ごす凡夫の能天気さ、お馬鹿さ加減は、不易の方のようです。(凡の字は48p49pで説明)

 

2)本書にも「刀自」登場

 大陸の古い秦漢時代の文字文化や文物を携え、4世紀末ごろから我が国にやってきた第一波の帰化人らは、その漢語能力を発揮し、書記係"史(ふひと)"の従事者として西史氏(かはちのふみし)や東文氏(やまとのふみし)などと呼ばれていた。そんな彼らも二世、三世と世代交代し、5世紀から6世紀に中国六朝時代の新しい漢語文化と文物を携えて第二波の帰化人がやってくると、今の時代の「文」が読める帰化人らにお株を奪われるような事態(敏達紀の王辰爾の逸話)も出来していたそうです(この逸話には他の解釈もあるようですが)。

 しかし、第一波の文氏らは、たとえば、「天」という漢字を、音をそのままに「テン」と読む「音」、同じ意味の日本語で「アメ」とよむ「訓」という概念を創出することで、漢字を使って「にほんご」を表記しようとした、日本語漢字文化の創出に多大な貢献がああったと藤堂先生は称賛されております。彼らの創り出した文体を「史部流(ふひとべりゅう)」というそうです。

 その「史部流」で681年に書かれたのが群馬県八幡村の<山名村碑>の碑文だそうです。その碑文の中に「刀自」ということばがあり、藤堂先生は、その刀自を含む部分の説明で「辛巳、僧、刀自のように、漢語をそのまま音読して借用したもの。」と、刀自は「辛巳」「僧」と同じ漢語だと認識され、説明されております。(140,141p)

 以前に漢和辞典の「刀自」説明の例として紹介した「学研」の『漢字源』はまさに藤堂先生の『学研漢和大辞典』の一般向け版のようなものなので、"「刀自」は漢語"の認識は、同社において揺るぎないもののようであります。でも、ほんとに「刀自」が漢語なら、漢籍のどこかに用例があってよさそうなものですが、見当たらなさそうなのは何故なのか? 時間解決トレー置き中です。

 

3)批判的継承

 Wikipedia藤堂明保を読むと、藤堂先生の「単語家族説」をめぐって、白川静との間で論争があったようです。また、あの高島俊男さんが藤堂説を批判的に継承されているそうです。高島俊男の「お言葉ですが」シリーズは全部読んでますけど、あのシリーズの中にもあったですかね、気づいておりませんでしたね。探してみませう。

 

  桜は雨に奪わるる 四月馬鹿

     昭和百年 四月一日 机上空論城城主

 

P.S.

 今日は雨ですが、昨日は曇り空でした。母の病院行きの付き添いの帰途、タクシーの運転手さんに"桜のきれいなところを通って帰宅でお願いします"と所望したら、運転手さん、意気に感じてくれて、ベスト・コースと、そのコースからする母の座るべき位置まで考えてくれ、途中のコンビニ駐車場で奥側に座っていた母に、入口側に座り直してもらい再出発。

 所沢、東川(あずまがわ)沿いの道、九分咲き、ところによって満開の桜を、途中、道幅が膨らんでいるところでは車を止めるなどして堪能させてくれました。

 いや本当に素晴らしい桜だったし、素晴らしい運転手さんのホスピタリティだった。母も、ずっと歓声に近い声上げながら楽しんでおりました。

 

昭和100年 弥生のついたち

 三月になってしまいました

 

1)母も少し落ち着いてきました

 手首骨折で1月29日手術をし

 週2でシャワー補助にきてもらったり

 また週1か2で術後の手のリハビリもあり

 従来からの病院通いもあり

 気ぜわしい2月でした

 (まだ続いてますが)

 もちろんまだ手の普段使いもできないし

 プレートが入ったままなんで

 地の痛みみたいなのも続いてるらしいですが

 毎食後飲んでた痛み止め(ロキソプロフェン)は

 2月25日くらいから飲まなくなっています。

 

2)日高の餃子販売停止中

 今日、気温もぐんと上がって

 お日柄もよく、外に出たついでに

 日高で冷凍餃子を仕入れようと思ったのですが

 「一部材料の仕入れ難」(HP)とかで

 2月1日から販売停止になっていたらしいです。

 歯の弱い母は、堅い肉や

 筋張ったものを食べれなくなったので

 日高の餃子は、我が家の必需品であり

 毎日の献立のアクセントにもなり

 量の割にお安い値段だったので

 すごく重宝していたのですが・・。

 販売再開は、きっと

 値上がり値段で、なんでせうね。

 ご時世ですからね。

 しかたないですね。

 

3)ご時世といえば

 ウクライナのゼレンスキーと

 アメリカのトランプが大喧嘩。

 国助けてやるかから資源差し出せって

 トランプは正気の沙汰ではありませんね。

 なんで、こんなやつをアメリカ国民は選んだのか?

 

 理屈じゃないんですね。

 理屈じゃない理屈の振り回し。

 

 そういうのに心酔する人たちが

 アメリカにも

 日本にも

 世界中に溢れかえってますね。

 ブームですね。

 

 ブームはいつか終わるんですが・・。

 どうなんでせう。

 

 

4)刀自の件は

 漢和辞典の出版社さんに連絡しました

 時間かかるけど調べてみるとのことでした。

 あとは成り行きですね。

 

 

5)キーコーヒー美味い

 長年、インスタント・ドリップのコーヒー

 キーコーヒーでないの

 飲んできたんですが

 キーコーヒーの買ってみて

 この数十年はなんだったんだと

 他のものを試してみようともしない

 己が生活感覚の鈍重さというものに

 あらためてあきれ返りました。

 少し高いのかな。

 でも、そもそも嗜好品じゃないか。

 ねぇ。

 

 

6)『評伝 宮田輝』(古谷敏郎著)を読む

 自分が17歳の時の1974年(昭和49年)2月に宮田輝さんはNHKを退職され、その年の7月7日の参院選(七夕選挙)で259万票(参院全国区時代)を獲得しトップ当選。

 労使闘争の気分がまだまだ豊かな炭坑町の労働者の子だった高校生は、あの頃、宮田輝さんが自民党から出馬されたことを知り大いにがっかりしたという記憶をもっておりました(その後、こちらの社会を見る意識もだいぶ変遷してますが)。この本で、あの時の大いなるがっかりの向こう側に何があったのか知れると飛びついたのでした。

 宮田輝さんは、本当は選挙になんか出たくはなかったらしいこと。あの田中角栄の人気急落立て直しのために(なんらかの断れない成り行き、レールが敷かれ?)担ぎ出されてしまったらしいこと。宮田輝という人はオレがオレがの人とは対極の人だったらしいこと。そんな人でないことを奥さんも一番願われていたらしいこと。そういう昔気質(大正人気質?)の人であったらしい宮田輝という方のことがこの本で確認でき、あの時感じた勝手なワダカマリがやさしくほぐされていき読んでよかったなと思いました。

 宮田輝さんは集合写真では一番後ろか端に立つような、本来政治家向きの人ではなかったようですが、一期目で終えてもよかったのに二期、三期と挑まれたのは宮田輝さんの生真面目さのせいだったんでしょうか。東京・立川の昭和記念公園の設立にかかわったっことが目ぼしい実績のように語られていますが、もっと目に見えないところで、郷土芸能の保存とかいろいろと、活躍されていたんじゃないか、そのいちいちを宮田さんは当然のこととして、周囲に言いふらすようなこともなく行われていたんじゃないか。始めた以上はちゃんとやり通したい。そんなお気持ちだったんじゃないか。そんな風に読みました。

 癌闘病の中自らの余命を思い、気心の知れた昔の仲間たちに集まってもらい自分の葬儀の構成を相談されるところなんか宮田輝さんの人生の豊かさそのもののように思えましたし見事な人生の終い方だなと目頭熱くなりました。

 著者は、最近もNHKテレビで見かけたことのあるNHKのアナウンサーさんなので、歴代のNHKアナウンサー陣の歴史とか内部情報にも明るいのですが、番組のための取材徹底を重視した宮田輝さながらに、長年宮田家通いを行い、親族の信頼を得て、宮田家に保管されている「原資料」につぶさにあたって、宮田輝その人の輪郭を描き出され、見事だと思いました。文章もなかなかに巧みで、宮田輝さんの評伝の書き手として相応しい書き手だったのではないでしょうか。

 ついでながら、自分が生まれる数日前に、田中角栄がラジオで浪花節を唸っていたんだと知り驚きでした。まあ、もはやどうでもいいことではありますが。

 

「刀自」を求めて1月が終わる

 漢和辞典の謎

 

1)「刀自」ということば

 

 「刀自(とじ/とうじ)」は、日本の古代、女性の戸主とかリーダー的存在をいう呼称だったとされているらしいです。

 万葉の女流歌人「吹芡刀自(ふきのとじ)」の名前とか、「万葉集」の歌の中などにも女性への呼称(「母刀自」など)として登場します。

 普通に考えると「とじ(とうじ)」という日本の古代のことばに、中国から輸入された漢字の「刀」(古代音の問題とかよくわかりませんが、Weblio日中中日辞典で見る:dāo)と「自」(同:)の音字が当てられた、と考えるのが自然のように思います。

 

 ところが話は少しややこしくなります。

 

 漢和辞典を見ると、「刀自」が「老婦人」を指す、(国字ではなく)中国の漢字、中国のことばとして説明されているのです。

 

 て、ことは、

 

 漢字の歴史の古さ、古代における日本側の一方的受容状況からからいえば、その「刀自」が日本に輸入されて、古代日本語の意味大系の中に吸収され広まったと考えるのが、これまた自然なような気がするのですが。

 

 日本の中古時代のインテリさんたちも、それが気にはなりつつ、しかし、外来語をただ使っているとはナショナリズム的にもそうは思いたくなかったのか、平安中期の辞書『和妙類聚抄』(醍醐天皇第5皇女の勤子内親王の求めに応じて源順<みなもとのしたごう>が編纂したもの。略称「和妙抄」=Wikipedia)に次のような記述があるようです。

 

〔倭名類聚抄〕

〈二/老幼〉

負(○)〈俗作刀自〉 劉向列女傳云、古語老母爲負、漢書五娼武負位引之、今按俗人謂老女(刀の下に目の)字從目也、今訛以貝爲自歟、〈今按和名度之〉

 

《私試訳》(⇐訳の正確さ、定かではありません。念のため)

 「負」〈世間で「刀自」となす〉 劉向(りゅうきょう=前漢の人=紀元前後の人)の「列女傳」に云っているように、古語で「老母」は「負」となし「漢書」の「五娼武負位」(の負)はこれによった呼び方。今考えるに(中国の)世俗の人は老女を言って(刀の下に目の)字でなし(書き表し)、目を従わせるなり。今は誤って「貝」の字をもって「自」だとなすか。<今考えるに和名の「とじ(渡之)のこと)」>

 

 ▶劉向の「列女傳」というのはその名の通り女性列伝。第三巻の「人智傳」の中に「魏曲沃(ぎのきょくよく)」という、女は男に付き従うことこそ家の幸せ、身の幸せ、世の平和と考えるお母さんの話があり、そのお母さんが自分のことを「曲沃之老婦也(きょくよくの老婦なり)と自己紹介します。

 

 ▶「五娼武負位」というのは、「史記」の「高祖本紀」の高祖=沛公(劉邦)の逸話にある酒屋の「王媼(わんばあさん)」と「武負(ぶばあさん)」が、沛公の身に漂う竜神の気を感じ、ツケ飲みのメモ(券)を(出世払い)だとちぎって捨てたという話の部分を言いたかったんじゃないでしょうか(間違っていたらすみません)。

 

 「負」が婦人・老母のことだというのは(漢和辞典にもそう書いてあり)、そこは素直に納得するのですが、「和妙抄」の<今考えると和名の「刀自」のことか>の前の部分は、「負」に似た古い字の下部分が「目」だったり「貝」だったり「自」だったりすると言っているだけで、そこから「刀自」の字が生まれたなどとは記述していないように読めると思うのですが、既述の頭に"「負」〈世間で「刀自」となす〉"とあり、「負」を分解して「刀」と「自」が作られたと言っているように解釈されてしまっているようでもあります。

 この問題は、江戸後期の辞書の注釈書「箋注倭名類聚抄」の〈一/男女〉でも長々と論じています。こちらの漢文読解力がなさ過ぎて、よくわからないのですが、長い文章の一部分ですが、

 

 <・・又古多婦人名某刀自者

    またいにしへ 婦人名に 某刀自は多い

 

  見萬葉集日本紀等書

  万葉集』や『日本書紀』などの書に見えるのは

 

  蓋以漢字可充者

  けだし 漢字で 充てるべきが無いことをもって

 

  故用假名耳、

  ゆへに 仮名を用いたのみ

 

  源君以爲負字之俗譌、非是、

  源順(みなもとのしたごう)はもって「負」字の俗訛りとしている これは間違いである・・ >

 

 

 このあとにも、延々と、「負」または「刀の下に目の字」の用例のあれこれとか、麻と呂を合わせた磨という合字の問題とか、日本では「とじ」は「家の柱」のような意味で「老若」を区別する意味合いはないとか、いろいろ語られているようですが、なにせよくわかりません。

 とまれ、「箋注和妙類聚抄」は、「刀自」が「負」の字が俗用にくずれて生まれたというようなことではない! と言っているように思えます!(読み間違いしていたらすいません)が、合字問題を書いているので、これも、却って「負」から「刀」「自」が作り出された説を語っているようにも思えます(漢文読解がしっかりできれば、そう言っているかどうかきっちり語れるんでせうが)。

 

 

2)「刀自」を探せ

 

 しかし、俗用に訛る(誤解する?)もなにも、中国に「刀自」ということばがあるのなら、わざわざ「負」から云々の無理筋な解釈なんか必要ないはずです。

 

 ということで、机上空論城城主は、この一ヶ月、うちの母刀自の手首骨折によるあれこれの世話焼きしつつ、高校時代の漢文の参考書とか、「老子」とか「荀子」などの漢文の文庫本など、「刀自」の字だけを探して、ページをめくり続けているのですが、まったくみつかりません。「婦人」とか「妻」とかざらに出てきます。が、「刀自」みつかりません。

 

 「荀子」で少しだけ中身に入り込み、最近起きている、ポピュリズムとかデマゴーグの問題など、春秋戦国時代から頭を悩ましていたんだなと、いつの時代も一緒なんだなと、しんみりしたりしつつ。

 

 大修館「新漢和辞典(改訂版)」も学研「漢字源(改訂四版)」も「刀部」に「刀自」を記載し、漢字(中国語)として「老母。または中年以上の女を尊敬していうことば。▷婦の古字である負を分解して、誤用されたものと言われる。」(漢字源)などの説明が行われているのですが、「刀自」という字の漢籍の典拠例はまったく示されていません。

 

 「負」から「刀」「自」が出来たって話は、「和妙抄」が捏造した「それらしい話」なのか? それとも周りが勝手に「和妙抄」をそう読み間違えたのか? と、訝ったりもするのですが・・。

 

 でも、漢字の専門家の知識の量と深さは、レベチなはずなので、きっと、漢籍のどこかに「刀自」があるはずだと、探索は、まだまだ当分続くかと思います。

 

 もちろん、見つかったら即「漢和辞典さんごめんなさい」なんですがね。

 

・・・・すぐ追記・・・・・

 

 ネットで「漢籍全文資料庫」というサイトがみつかり、そこで「刀自」検索してみたのですが、漢書では、

 

 漢書/列伝 凡七十巻/巻五十四 李廣蘇建傳第二十四/李廣 孫陵..[底本:王先謙漢書補注本]

 第3213段 ..目廣年六十餘、終不能復對刀筆之吏矣!」遂引刀自頸。百姓聞之、知與不知、老壯皆為垂泣。

 

 このように、「自(みずから)刀で刎ねる(くびきる)」「刺す」系ばかりでした。

 「宋書」「晋書」「舊唐書」も同じでしたが、「史記」のデータで以下引っかかりました。 

 

 史記/世家 凡三十巻/巻三十二 齋大公世家第二..[底本:金陵書局本]

 段1541 ..子也、其子之忍、又將何愛於君!』 公曰『豎刀自宮以近寡人,猶尚疑邪?』對曰:『人之情非... 

 

 この読みを探し、またまた、変な展開になります。

 

 上に記した「史記/世家 凡三十巻/巻三十二 齊大公世家第二・・」は間違いなく「漢籍全文資料庫」さんで検索したものの写しなんですが、どうも、この文章は、史記の文章でなく、「呂氏春秋/先識覧/知接」の文章の一部のようです。

 

 うーん、どうなってんだろう。

 とまれ、読書感想文派の机上空論城城主の手に負えるような問題ではないので先に進みます。

 

 で、この「刀自」は「刀自」と区切るのでなく「豎刀」で区切れ「豎刁(じゅちょう)」さんていう斉の桓公の家臣のことらしいです。

 「刁(ちょう)」の音は、日中中日辞典によれば「diāo」らしいです。これも古代音の問題とかよくわかりませんし、「刀(dāo)」とどれくらい似ているのかなどさっぱりわかりませんが、「豎刀」と書かれたり「豎刁」と書かれたりしています。

 「自宮」っていうのは、男子が自ら去勢することらしいです。

 この「豎刁」さんは、桓公後宮の管理を、自宮してまで買って出て、桓公に気に入られたって、変なおじさんらしく、桓公の右腕だった管仲は、桓公に「あいつは非人情なやつだから信用しちゃいけませんよ」って忠告しているあたりの話のようです。

 変なおじさんは、管仲桓公の亡くなったあと権勢振り回し、斉の衰退を招くという変なおじさんの面目躍如の活躍します。ま、漢文派の人たちには夙に有名な話のようです。

 

 というような次第で、

 

 「刀自」を、漢籍のデータベースで検索してみても、みつかりません。

 このデータベース検索は(レーベルと中身が違うというようなことがあったりしつつも)「刀自」という単語の探索において、漢籍のページをめくって探すのとは比べ物にならない目配りの行き渡りようだと思いますから、「刀自」ってことばが、本当に中国の古代にあったのかどうか、極めて疑念が深まる次第です。

 

   

元気なんだか 老いてるんだか

 こういうのもボケの一種なのか

 

1)母(90歳)が椅子から落ちる

 

 2025/01/04(土)22:30頃

 ドシンという物音がする。

 

 90歳の老婆が

 棚の上の位牌をなんとかしようとしたらしい。

 

 取ってくれとか、上げてくれとか

 言えばいいのに

 夜も遅いからと

 遠慮心が働いて

 自分で椅子にのぼったらしい。

 (別に急ぐことでもなかったらしいのに)

 

 落ちて手首を床に打ちつけたらしく

 痛がっているものの、触っても

 飛びあがって痛がる風ではないので

 とまれ、骨折とかではない、と思う

 

 夏、首にまく冷却帯を

 タオルで包み込んで巻いて

 冷している。

 

 

2)記憶はこちらよりもゆたか

 

 先日、一緒にタクシーに乗った時

 運転手さんとあれこれ話しているうちに

 地元の橋の名前を織り込んで話し

 運転手さんが"よく覚えてますね"と驚いていた

 たしかにこちらもすっかり忘れていた名前だった。

 

 

3)たくさんの薬もちゃんと飲む

 

 「朝」と「夕」と「寝る前」の薬を

 ちゃんと整理して飲んでいる

 薬の名前も結構憶えている

 

 記憶や意識の薄らぐ系ではないらしい

 

 

4)ただ思い込みが強い?

 

 実は、少し前にも椅子から落ちた。

 普段はベッドの上でするズボンのはき替えを

 椅子の上でやって、バランスを崩したらしかった。

 その時も、

 そういうことは、ベッドの上か

 すぐ横のじゅうたんの部屋で

 座り込んでやってくれ

 わざわざ危ない真似するのはやめてくれと

 さんざん言っていたのだったけど・・・。

 

 何か"これを今したい"と思った時に

 そう思った自分を、

 俯瞰する意識が働かなくなっているのか?

 思い込んだら、

 突き進む傾向が強くなっているのか?

 

 病院に付き添って行ってても

 こうと思い込むと

 看護士さんに「〇〇のはずだけど」、みたいに

 畳みかけるようなことが、

 少なからずある気がする。

 

 

5)補聴器装用を昨年末から開始

 

 耳が遠いので、聞こえにくさから、

 コミュニケーションが噛み合わないんじゃないか、

 そんな感じを医師とのやりとりなど、

 傍で見ていて感じていた。

 

 本人は、聞こえているつもりでのやり取りが、

 微妙にずれていて、それが、

 微妙な老いぼれ感を醸している。 

 

 そう思ったので、

 

 2024年末(つい2週間くらい前に)

 両耳補聴器を補聴器外来を通じて装用開始。

 "41万円"!!。

 

 病院の先生との受け答えの噛み合わなさ感は

 装用後たしかに減った気がしたが

 

 思い込みが強め系の方は

 やはり、それはまた別個の

 問題らしい。

 

 

九十歳婆(くんじゅばあ) 椅子登り落つ 松の内

   ほんに今年も 思いやらるる

         柳樽風 昭和100年1月4日

 

 

 

・・・・・1月5日追記・・・・・・・・

 

朝起きても、痛みと腫れ、引いておらず

市内の日曜診療の病院確認し、

遠路タクシー走らす。

 

レントゲン写真を拡大すると

骨折してました(激しくではない)。

 

先生と看護士さんに患部を引っ張られて

母、ギッエーという叫び声をあげ

 

もう一度レントゲン撮影し

「ズレが補正された」由の話ありました。(??)

 

あとは、定期的な撮影で治癒を確認していくのみ。

母の飲んでる薬の量が多いので痛み止め薬も処方なし。

(こちらもその方向で話進める)

 

でした。

 

とりあえず片手では、

シャワーでの入浴的洗浄もできないので

(我が家にはほかに女手がなく)

明日以降、ケアマネさんと相談して、乗り切っていきませう

という(主に看護士さんアドバイス過多の)

先生とのやりとりでした。

 

 

『アメリカ』 サイモン&ガーファンクル

 突然、♪う~う~う~う~ん ううん~♪ と

 曲が頭の中で流れ出す

 

1)民主主義はどこへゆく

 そんなことを考えていたのだろうか。

 突然、サイモン&ガーファンクルの『アメリカ』が頭の中に流れ出した。

 

2)NHKで観た番組のBGMだった

 この曲は、Wikipedia によれば、1968年頃作られた曲だけど、日本では1971年8月に"独自企画"でシングル盤がリリースされたとのこと。

 Wikipedia には、日本でのシングル発売についてそれしか書いてないのだけど、自分の記憶に間違いがなければ、1970年頃、ベトナム戦争等で混迷を深めるアメリカの民主主義についてのアメリカのドキュメンタリー番組が NHK で放送され、そのBGMとして「アメリカ」が使われた。その後、レコード会社に問い合わせが殺到し、シングル盤が発売された。たしか、そんな風な記憶(60代、70代の人なら結構多くの人が記憶?)です。

 

3)友達が誕生日プレゼントにくれた

 なので、その記憶が間違いなければ、NHK での放送は、1971年の8月以前。1971年の前半ごろ(遡っても1970年終盤ごろ)ということになるかと思うのですが。

 サイモン&ガーファンクルの人気は、1970年に『コンドルは飛んで行く』が日本でも大ヒットして、洋楽少年たちをとりこにしてから始まっており、そんな中でのNHKのドキュメンタリーだったのであり、それが『アメリカ』という曲の歌詞ともからんで、実にタイムリーな出来事だったのです。

 1972年(中学2年)の誕生日に、クラスの友達(男子連)が小銭を出し合って、誕生日にこのシングル盤をプレゼントしてくれました。空論城城主が、サイモン&ガーファンクルの大ファンだということを知っていたからなんですが・・。

 今、そういうエピソードを聞いても、特段の感じもないかもしれませんが、テレビの中の都市の文化が、福岡県南部の田舎にも押し寄せてたころなんです。

 中学校の教室の中で、誕生日プレゼントが、男たちによって、もちろん"洒落"ではあったのですが、交わされるなんてなかったし(バレンタインデーに女子から男子にプレゼントするっていう気恥ずかしいイヴェントは既に始まっていて、女子らは狂奔したりしておりましたが)、かつ、その品物が"洋楽"であり、"あの番組"がらみのものであるというのが、実に、時代の最先端であるようなそんな感激・感銘を与えてくれた出来事でした。

 

4)塩ビ? ポリ袋? の包装だった

 その当時までのレコードは、ジャケットの外を、手で触るとやわらかいビニール袋に入れて売られていた(ジャケットを外に出したあとはヨレヨレになる)のですが、友達が買って来てくれた『アメリカ』は、パリっとした透明の包装に入ってました。はじめて見ました。

 ジャケットを抜き出してもパリっとしていたこのビニール袋と柔らかいビニール袋との違いをどう呼称していいのか、いうところのポリ塩化ビフェニール袋だったのかどうかなんて、まったくわかりませんが、とにかくキラキラで新しかった!

 その後は、すべてのレコードが、この袋に入れられていくのですが、その出端を、空論城主はプレゼントのシングル・レコードで受け取ったのでした。

 さらにその後の1990年代、この系(?)の袋がダイオキシン問題とかで時代の荒波にもまれるのではありますが、まだそんなことは知る由もなく、ただただ、そのシャキッとした煌めきに、新しい時代のうねりを感じ、酔いしれるばかりでありました。

 

5)あれから半世紀あまり

 アメリカも混乱してるし、フランスも大混乱だし、中東も、ウクライナ(ロシア)も、ジョージアも、ルーマニアでも、韓国も、もちろん日本も、たしか南米でも、最近のニュースが伝えているのは「混迷」そのもの。

 70年代、80年代に見えかけた世界の冷戦~平和は、40年代、50年代の戦争の時代のあとの一時期のプラトーのような時代の、幻想だったのでせうかね。

 そして、その時代を平和の方向に向かって推し進めていたと漠然と受け取っていたリベラルな気運のようなものに対して、いま世界中で発せられている怨嗟のようなもの。

 

 ご高説なんかどうだっていい、自分達のコミュニティの安泰を最優先させろ!

 社会格差の拡大を批判しながら、そのしくみの上にいるのがリベラルじゃねえか!

 

・・なんとなく、一理感じてしまう自分がいます。

 

 ただ、社会の基盤部分は、近代から営々と積み上げられてきた、自由、平等、公正、博愛、平和 っていう基本概念で構築されているっていうことを、忘れ去ってはいけないという思いも同時に脳裏を過ります。

 

 この気運は、一体どこへ向かうんでせうね。

 

  I'm lost.
  I'm empty and aching and I don't know why.