老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

「万葉集」わかりづらい歌 2140

「恋の歌」から離れてみる。

「おほほしく」の続き。

 

1)"夜渡るわれ"の歌。意味深?

 万葉集10巻(秋の雑歌)の中で「詠鴈(かりをよめる)もしくは(かりをよみき)」という題詞の付された13首の歌(2128~2140)の最後の歌です。

 

歌番号 10-2140

●漢字本文

   年之経往者 阿跡念登 夜渡吾乎 問人哉誰

 

●読み下し文

  あらたまの 年の経行けば 率ふと 夜渡る我を 問ふ人や誰

 

●訓(よ)み 

  あらたまの としのへゆけば あどもふと よわたるわれを とふひとやたれ

 

●現代語訳

  もう何年も経ったので 連れていこうと思って 幾夜も通いつめる私なのに、(今更おぼつかないかと)問うのは、一体誰だろう。

 

●作者 

  未詳 

 

◆念のため「岩波文庫」の訳:

 (あらたまの)年が経ったので、仲間を誘って 夜空を飛ぶ私に問いかけるのはどなたですか。

    

 

2)わからないことば

  学研全訳古語辞典(Weblio古語辞典内)から〈▶は空論城主付記〉

◎あらたま-の 【新玉の】

 分類:枕詞 「年」「月」「日」「春」などにかかる。 かかる理由は未詳。「あらたまの年」

 

 ▶「璞(あらたま)の」という漢字表記もある

 ▶「あらたまる」という意味の由来説などもあるようですが、確定的でなく翻訳しにくいことばのようです。なので、「岩波文庫」は、この歌に限らずですが、枕詞は訳さず( )で括ってそのまま記載。そういう方針のようです。

  

 ◎あども・ふ 【率ふ】他動詞ハ行四段活用 活用{は/ひ/ふ/ふ/へ/へ}

 意味 ひきつれる。

 出典:万葉集 一九九 「御軍士(みいくさ)をあどもひ給(たま)ひ」

 [訳]: 皇軍をひきつれなさり。

 ◆上代語。

 

 ▶「あ」は「自分に」で、「ともふ」は「伴なわす」というような意味かと妄想します。あくまで空論城妄想説です。

 

 

3)現代語訳がピンとこない

 上記の「万葉百科」さん訳も、「岩波文庫」さん訳も、この歌だけでは、なんのことを言っているのかさっぱりわかりません。「夜渡ろうとしている雁?人?に、誰かが問いかけている」みたいな状況の歌のようですが。

 「岩波文庫」の2140番の説明を読むと、この歌が、その前の2139番の歌意を受けて歌われているらしいということがわかります。

 

 2139の歌を見てみます(再び「万葉百科」さんからの引用)。

 

●漢字本文 

  野干玉之 夜渡鴈者  幾夜乎歴而鹿 己名乎告

 

●読み下し文

  ぬばたまの 夜渡る雁は おほほしく 幾夜を経てか己が名を告る

 

●訓(よ)み 

  ぬばたまの よわたるかりは おほほしく いくよをへてか おのがなをのる

 

●現代語訳

  まっ暗な夜空を渡り鳴く雁は、心もおぼつかないのか、 幾夜にもわたってわが名をいうことよ。

 

●作者 

  未詳

 

岩波文庫訳(念のため)

 (ぬばたまの)夜空を渡る雁は、(心細げに) いったい幾晩、自分の名前を呼んできただろうか。

 

「ぬばたまの」は「黒」「夜」などにかかる枕詞

 

 ▶「己名」(わが名/自分の名)について「岩波文庫」で、《 ▷カリはその鳴き声の聞きなしによって命名されたらしい。カリカリとなくその声を、カリが自らの名を連呼するように聞きなした。・・》と説明されています。

 「クヮヵ クヮヵ」「クヮㇰィ クヮㇰィ」(ネットに上っている雁の動画で鳴き声の聞きなしをしてみました。因みに鴨は「グァ グァ」)と鳴く雁の声が、万葉時代の人には「カリ カリ」と聞こえ、それが雁の名にもなった。らしいです。

 

 ▶空論城主もつい両者混同するのですが、雁よりも小型の鴨(カモ)は、カルガモオシドリなどが通念生息(定住)し、冬季にはマガモコガモオナガガモスズガモなど多種が飛来するようです。一夫多妻だそうです。

 それに対し、鴨より大きめ(で、鶴よりは小型)の雁(カリ・ガン)は、基本、毎年冬季(万葉時代の秋)の飛来系のようです。リーダーを先頭にV字型で翔ぶ雁行(がんこう)は、雁特有のもので、鴨は行わず、見分けのポイントになるそうです。雁は一夫一妻だそうです。

 生態からいえば一夫一妻の雁のほうが「妻恋」の鳥にふさわしそうですが、万葉の常識は鴨が「妻恋」の鳥で、雁は「秋の鳥」としての季節感のほうにウェイトが高く、恋の歌には「恋の使い」として関わる程度とのことです(大阪公立大学学術情報リポジトリ内の朴喜淑先生の『万葉集の雁考』)。

 これ大事です。

 

 「真っ暗な空を飛びながら鳴く雁が、何日も自分の名前を呼びながら飛んでいる」っていうのが2139番の歌で、これをを受けて、2140番の歌は、「年を経て、皆を率いて夜空を飛んでいる私に2319の歌であれこれ言うのはだれ」というような歌になっているってことらしいです。これで2140の歌、納得です。

 

 

4)話をややこしくする「おほほしく」

 そういう理解で問題なさそうに思えるのですが、「万葉百科」さん、「岩波文庫」さんの現代語訳がなお、いまいちわかりづらいのは、2139にある「おほほしく」ということばの解釈と、このことばに結びつけられる「恋心」という解釈常識のようなもののせいです(この歌では「万葉百科」さん訳でその傾向が強いように空論城主は妄想しています)。

 「万葉百科」さんは、「おほほしく」を「ぼんやりしている」「心が晴れない」という辞書的な二つの意味で処理される傾向があるのですが、この2139番の歌では、そのあとの「幾夜を経てか おのが名をのる」(幾夜にもわたって自分の名を名のる)の句との整合性上、その辞書的な二つの訳では、どうもしっくりこないと思われたのか「心もおぼつかない」というあいまい訳語で解決図られたやに思えます(定かではありませんが)。

 「岩波文庫」さんは「心細げに」とされております。これも(空論城主的には)曖昧訳に思えます。

 

 「夜渡」って鳴く「雁」が恋愛と絡められているようなのです。「おほほしく」ということばは「恋情」と結びつく場合が多いので、ここでもそういう解釈が行われているのかと思います。

 そういう「恋心」解釈の仕方から「何夜も自分の名前を名告る」のは、恋がなかなか成就しないから、ということになり、そこにあるであろう「もどかしさ」を「おぼつかない」という訳語で「万葉百科」さんは表現されたのではないか? と拝察するわけであります(もちろん定かではありませんが)。

 「岩波文庫」さんの「心細げに」というのも心的状況の訳で、「おほほしく」の辞書的な「心晴れず」訳のヴァリエーションだと思いますが、でも、この歌では、その心的状況の見方は若干的はずれなんじゃないかと空論城主は妄想します。

 上述の、大阪公立大学朴喜淑先生の万葉集の雁考」での、万葉人は、さほど雁と恋情とを結びつけて認識してはいなかったという見方、雁の歌13首ではどうでせうか。

 

 

5)「おほほしく」は弱さ解釈でいい?

 2128 秋風にのって大和方向へ山越えて飛んでいく雁の声。雲の中に隠れつつ

 2129 未明の朝霧の中で鳴いて飛び行く雁 私の恋をあの娘に告げてくれ

 2130 わたしの家で鳴いていた雁が 雲の上で今夜鳴いている 故郷に帰るか

 2131 雄鹿が妻を恋いて鳴くとき 月がみごと 雁の声もして 飛んで来るらしい

 2132 雲のかなたに雁の声が聞こえた頃からうっすら霜が降り 寒いよ今夜は

 2133 秋の田の刈り取り分を刈ったら雁の声が聞こえた 冬が近づき

 2134 葦の辺りの 萩の葉が揺れ 秋風が吹き来る そんな時 雁は鳴き渡る

 2135 難波の堀江の葦の辺りに 雁は寝ているだろうか 霜が降るのに

 2136 秋風とともに山を越えてゆく雁の鳴く声が遠くなった 雲に隠れたようだ

 2137 朝早く飛び立った雁の鳴き声は 私みたいにもの思いしてるのか悲しげだ

 2138 鶴の鳴く声が今朝していた 一方で雁の鳴き声は何処へ飛び去るのか雲の中

 2139 真っ暗な夜を渡る雁は(弱く聞こえる)遠い声で何日も何日もかりかり自分の名を名告るように鳴いてるよ

 2140 新しい年になったら一羽残さず皆を率いてこうと夜空を飛びゆくわたしに、とやかく言っているのはだれですか

 

 ▶2140の歌が2139の歌を受けているという解釈をもとに、2139と2140の歌を上記のように訳してみました。

 

 13首中、「恋」が主題の歌は2129の歌(まさに恋の使いとしての歌)ぐらいではないでせうか。

 その他の歌の中にも恋の歌だと読めばそう読めそうな歌もありますが、でもそんなに「恋」にこだわらず、万葉人の雁そのものや、自然への眼差し、季節感で歌われている歌として鑑賞していいように思うのです。

 空論城主の訳では、2139番の「おほほしく」も上記のように、遠い空の高みから聞こえる「か細い声(弱い声)」として解釈しました。雁の心的状況を言っているのではなく、見上げた空の状況を言っているという解釈です。

 前回書いた「おほほしく」の「弱さ」解釈です。

 これを恋心での鬱々解釈するから訳がよくわからなくなると思うのです。

 

 

万葉集 気になることば「おほほし」

 

 「おほほし」っておおらかな響きなんですが・・

 

1)「おほほし」は「弱さ」をいうことば

 「おほほし」ということばのおおもとの意味合いは、空論城主が考える結論を先にいえば「弱さ」にあると思っています。おおらかなことばの響き・印象とはうらはらな意味合いを持ったことばだと思っています。

 

 

2)「おほほし」の辞書解説

 小学館デジタル大辞泉」<Weblio古語辞典内>では、「おぼほ・し」と同じことばとして説明されています。

 [形シク]《「おほほし」 「おぼぼし」とも》

  1 おぼろげである。ぼんやりしている。

    「雲間よりさ渡る月の—・しく相見し児らを見むよしもがも」〈万・二四五〇〉

  2 心が沈んで晴れない。

    「玉桙(たまほこ)の道だに知らず—・しく待ちか恋ふらむ愛(は)しき妻らは」     〈万・二二〇〉

  3 愚かである。

    「はしきやし翁(おきな)の歌に—・しき九(ここの)の児らや感(かま)けて居らむ」〈万・三七九四〉

  [補説] 一説に、「おぼおぼし」の音変化とも。

 

 ▶1の「おぼろげである」「ぼんやりしている」という言い方は、どことなくのどかさを感じさせますが、見え方をいう「おほほし」はむしろ「よく見えない」「見え方が弱い」という焦燥感のような思いを含んでいると空論城城主は思っています。

 ▶2の「心が沈んで晴れない」というのは、心が「弱っている」状況を言っています。「鬱陶しい」とか「鬱々として」などの「鬱々系」の世界です。

 ▶3の「愚かである」という意味立ては、ちょっと行き過ぎな気がします。3794の歌は前提として「竹取の翁伝説」(「かぐや姫」の竹取翁と類縁なのかもしれませんが、ここでは直接その話ではありません)というものがあり、9人の仙女たちが、山の奥で行っていた儀式に翁が紛れ込む。その時に「うっかり」「注意不足で」紛れ込みを見逃してしまったということを言いたく「おほほしき(大欲寸)」が使われています。

 「気遣いが足りない」「気が利かない」くらいがいいのではないでしょうか。

 

 

3)角川古語辞典では「おぼぼし」

 「角川古語辞典」では「おほほし」の見出しでなく「おぼぼし」の見出しで掲示されています。

 「おぼぼ・し」=おほほし 形シク ⦅「おぼおぼし」の約⦆

 ①おぼろげだ。ぼんやりしている。「ぬばたまの 夜霧の立ちて―・しく」(万・982)」

 ②気が晴れない。ゆうつだ。「秋萩の散りゆく見れば—・しみ」(万・2150)

 

▶角川古語辞典も大辞泉と同じ①②の意味立てがありますが3の「愚かである」の意味立てはありません。まあ、それでいいんじゃないかと思います。

 それよりも「角川古語辞典」が「おほほし」を従的に扱い、「おぼぼし」を見出しとし「おぼぼし」は「おぼおぼし」の約であると書いている点が気になります。

 

 

4)「おぼおぼし」の約なのか

 たしかに「おほほし」の大らかな響きに「ぼんやりしている」や「心晴れない」といった語義はしっくりこず、「おぼろ」とか「おぼつかない」などの「おぼ」の響きなら違和感薄れます。

 「角川古語辞典」が「おほほし」でなく「おぼぼし」を見出しとして立てたのは、「おぼ」をより古いことばと見做しているからなのかな、などと勝手に妄想したりするのですが、もちろん定かなことではありません。

 「おぼ」➡「おぼし?」➡「おぼおぼし」➡「おぼぼし」➡「おぼほし」➡「おほほし」といった流れですが、これも妄想の類です。

 

 「万葉百科」さんで検索すると3巻481番の歌に「朝霧(あさぎりの) 髪髴為乍(おぼになりつつ)」という表現があり、万葉百科訳では「朝霧が、ぼんやりと薄れつつ岩波文庫訳では「朝霧の姿もぼんやりとかすかになって」などと訳され、「髪髴(おぼ)」が「薄さ」「かすかかさ」で使われているのをしっかり確認するわけであります。

 ただ、「おぼ」と「覚ゆ(おぼゆ)」との関係性とか考え出すと、読書感想文派の手に負える話でなくなるし、「おぼ」から「おほほし」への流れも一本の流れなのかどうかとか、全くわかりません。

 

 ▶「髪髴」は現代でいう「彷彿(ほうふつ・と)させる」の「ほうふつ」と同義字のようです。古事記などでは「ほのかに」と訓読されるそうです<國學院大學神名データベース「熊野山之荒神(くまののやまのあらぶるかみ)」>。

 現代では「脳裏にはっきり浮かぶ」という意味で使いますが、もとは「はっきりしない」意だったようです。

 

 

5)当て字のバラツキ

 百聞は一見にしかずで、例のごとく万葉百科のデータ・ベースにて「おほほし」「おぼ」「いぶせ」「欝」「凡」を検索。「おほほし」関連のことばがどのように使われているか見てみます。

 「いぶせ」というのは「いぶせし」という「鬱々系」の心持ちを言い表す別系統のやまとことばです。下で確認するように「おほほし」に当てるのと同じ漢字を当てたりすので「おほほし」の仲間ことばとして確認しています。

 そんな風に「弱さ」を根にもつやまとことば、および関連のやまとことばに、古代人が当てた漢字には交錯があり、その状況をまず見てみようという心です。

 

 歌を全部書き出すと、ずいぶんな量になるのでことばに焦点当てました。

 「巻数-歌番号 該当漢字=訓み=現代語訳」の並びです。

 現代語訳は、万葉百科訳を=万)~ /岩波文庫訳を=岩)~ と併記しました。

 説明を加えたい場合、◆印で歌も記載しました。

 

02-0175 欝悒=おほほしく= 万)心も晴れず /岩)鬱々として

02-0189 欝悒=おほほしく= 万)鬱陶しく /岩)鬱々として

 ◆『旦日照(あさひてる) 嶋乃御門尒(しまのみかどに) 欝悒(おほほしく) 人音毛不為者(ひとおともせねば) 真浦悲毛(まうらかなしも)』

 

 ▷万葉百科訳:朝日に輝く島の宮の御殿は、うっとうしく人の気配もしないので 心から悲しいことよ。

 ▷岩波文庫訳:朝日の照っている島の宮なのに、鬱々として人の物音も聞こえないので、心悲しい。

 

 175番の歌とともに、「皇子尊(みこのみこと)の宮の舎人らの慟傷して作りし歌二十三首」という題詞を掲げられた23首の中の2首です。

 「皇子尊」は草壁皇子(日並皇子尊)のことで、皇子が没した時に仕えていた舎人たちが作った歌。『万葉集』第2巻の「挽歌」の部立に収められています。

 「嶋乃御門(島の宮)」というのは、「飛鳥の石舞台古墳付近の地、島庄にあった」もともと蘇我馬子の邸宅だったところで、その後、歴代天皇の別荘などとして使われたことなどが岩波文庫(「万葉集」)170番の歌で説明されています。持統朝に皇太子草壁皇子が居所として使っていたそうです。

 ここで「おほほし」は、辞書の意味立ての②の「気が晴れない」「憂鬱(ゆううつ)」系の意味合いで使われていますが、その現代語訳の「うっとおしく人の気配もしない」も、「鬱々として人の物音も聞こえない」も、日本語として非常に変です。

 おそらく「万葉百科」さんも「岩波文庫」さんも歌の背景にとらわれ過ぎているんじゃないでせうか。

 皇子が住んでいた「島の宮」が、皇子が亡くなったので、かつて賑やかだった人影が途絶え、森閑としているということを言いたいのだと思うのです。舎人らの気持ちのほうは「まうらかなしも」(心悲しい)とちゃんと歌われているので、「おほほしく」は「ひとおと」のことを言っていると見るほうが自然だと思うのです。

 「おほほし」が「弱さ」「薄さ」「疎らさ」「かすかさ」を淵源とすることばであることを改めて思うと、「森閑として」とか「ひっそりと」とかの訳語のほうがいいんじゃないかと思うのですが、どうでせう。

 

02-0219 於凡尒=おほに= 万)ぼんやりと /岩)何気なしに

 ◆『天數(あまかぞふ) 凡津子之(おほつのみこが) 相日(あいしひに)   於保尒(おほに) 見敷者(みしくは) 今叙悔(いまぞくやしき)』

 

 ▷万葉百科訳:天にまで数えあげる多―大津の乙女が私と逢った日にぼんやりと見たことは、今悔まれることだ。

 ▷岩波文庫訳:(そら数ふ)大津のおとめが姿をみせた日に、何気なしに見たことが、今となっては悔やまれる。

 

 「あまかぞふ」は「そら数え」。暗算のことだと「岩波文庫」では説明されています。ただここでは、大津の「おほ=多」への掛詞として使われているので、「万葉百科」さんはそこにこだわっているようです。

 訳では、「ぼんやり見た」「何気なしに見た」となっていますが、歌意としては、ちゃんと見なかった(相対しなかった? 見方が弱かった)という欠乏感があると思います。それを悔やんでいます。このちゃんと見なかったので悔やむとか、そのあと長く思い続けるとかのパタンが少なくありません。

 「ぼんやりと」とか「何気なしに」の現代語訳には少しヒリヒリした思いが足りない気がします。辞書の①の「ぼんやり」「おぼろ」の意味立ては「かすか」「ほのか」に置き換えたほうがいいと思うのです。

 

02-0220 欝悒久=おほほしく= 万)不安の中に /岩)心塞がる暗い思いで

 

04-0599 =おほに= 万)ぼんやりと /岩)ぼんやりと

 ◆『朝霧之(あさぎりの) 相見之(おほあいみし) 人故尒(ひとゆへに)  命可死(いのちしぬべく) 恋渡鴨(こひわたるかも)』

 

 ▷万葉百科訳:朝霧のようにぼんやりとしかお逢いしていないので、命も絶えそうに恋いつづけますことよ。

 ▷岩波文庫訳:(朝霧の)ぼんやりと見ただけの人なのに、命も絶えそうなほどに恋い続けています。

 

 「万葉百科」さんの訳も「岩波文庫」さんの訳も上句のほうは「ぼんやりと逢った」「ぼんやりと見た」などとのどかな感じなんですが、下二句の「命も絶えそうなほど恋い続けている」という強い表現との落差が気になります。

 上述のように、「おほに」の裏にある「弱さ」「不足さ」感にもっとウェイトを置いて、「朝霧のようにかすかにしかお逢いできなかった」とか「かすかに見ただけの人なのに」などと訳したほうが歌意はよりはっきりし、下二句との落差も縮まる気がするのですがどうでせう。

 

04-0611 欝悒=いぶせく= 万)重くふさぎこんで /岩)(心)晴れないのは

 ◆『今更(いまさらに) 妹尒将相八跡(いもにあはめやと) 念可聞(おもへかも)    幾許吾胸(ここだあがむね) 欝悒将有(いぶせくあらむ)』

 

 ▷万葉百科訳:もうふたたびはあなたにお逢いすまいと思うから、私の胸は重くふさぎこんでしまうのだろうか。

 ▷岩波文庫訳:これからはあなたに逢えないと思うからでしょうか、こんなにも私の心が晴れないのは。

 

 175番、189番で「おほほしく」と読ませた「欝悒」の字がここでは塞ぎこむ思いをいう「いぶせく」と訓まれていると言いますか、塞ぎこむ思いをいう「いぶせく」にも「欝悒」の「おほほし」に当てるのと同じ漢字が当てられているといったほうが正しいかと思います。

 「いぶせし」は「おほほし」とは別系統のことばでせう。「居塞せし(ゐぶせし)?」。それが意味合いの近似性から「欝悒」という漢字で交差しているということかと思います。

 

04-0638 =いぶせし= 万)なごまない /岩)乱れました。

 ◆『直一夜(ただひとよ) 隔之可良尒(へだてしからに) 荒玉乃(あらたまの)  月歟経去跡(つきかへぬると) 心(こころ)(万:いぶせし/岩:まとひぬ)』

 

 ▷万葉百科訳:たった一夜だけ逢えなかったのに、すさまじくもひと月も経ったのかと心はなごみません

 ▷岩波文庫訳:たった一夜離れていただけなのに、一月も経ってしまったかと心乱れました

 

 岩波文庫が「遮」を「まとふ(迷ふ)」と訓んだ理由は歌の説明に書いてあります。

 逢わなかった一夜が一月にも思えるという歌で、作者・湯原王なのか、あるいは写本を書き継いで来た人たちの誰かなのかが、歌意「ジリジリする思い」に対して「遮」の字を当てた。

 その字は『類聚名義抄』(平安時代後期頃の漢字辞書)の「妨げられて心が迷う」の語釈と通底している、ということのようです。

 いろいろある「鬱々とした」思いの中で、隔てられたり、遮られたりしたときの辛さにフォーカスする漢字としての「遮」。

 天智天皇の孫で、志貴皇子の子でありながら天武朝下、政争から身を引き女性との悲恋を万葉集に残した(Wikipedia)作者・湯原王(ゆはらのおおきみ)が、ほんとはどう詠んでいたのかはもう誰もわからないので、「万葉百科」さんのように「心いぶせし」といっていたかもしれないという推定も否定はできない、ということのようです。

 ともあれ、「鬱々とした」思いが「いぶせし」に繋がり、さらに「まと(ど)ふ(遮)」にまで繋がってきました。

 

04-0677 =おほほしく= 万)心晴れやらず /岩)ぼんやりとしか

04-0769 欝有来=いぶせかりけり= 万)こころも塞ぐ /岩)うっとおしい

 

04-0789 情八十一=こころぐく= 万)心もおぼろで /岩)=心晴れず切ない

 ◆『情八十一(こころぐく) 所念可聞(おもほゆるかも) 春霞(はるがすみ)    軽引時二(たなびくときに) 事之通者(ことのかふょへば)』

 

 ▷万葉百科訳:何となく心もおぼろで晴れやかに思われぬことです。森の霞がおぼろにたなびく時におことばをいただくと。

 ▷岩波文庫訳:心晴れず切ない思いがします。春霞のたなびいている時にお便りがくると。

 

 「八十一」が「ぐく」なのは、九九=八十一から。戯書というそうです。それを伝えたいのではなく、この歌の岩波文庫解説にある「心ぐく」が「心ぐし」の連用形で、「心ぐし」は「心が晴れず、切ない気持ちを表す」という解説の方にひっかかったわけです。

 つまり、鬱々とした心を表わすことばに「こころぐし」系もあると。

 この「ぐし/ぐく」は「潜く(くく)」と関連があるのかとも思うのですが、まだよく空論城城主はわかっておりません。

 漢字被りがあるわけでもないのですが、「おぼろ」とか「心晴れず」の現代語訳のところでの交差であります。

 

05-0884 意保〻斯久=おほほしく= 万)いぶせく /岩)心も暗く

05-0887 意保〻斯久=おほほしく= 万)心も暗く /岩)心塞いだまま

 

06-0965 凡有者=おほならば= 万)通り一遍の方なら /岩)普通の方になら

 ◆『凡有者(おほならば) 左毛右毛将為乎(かもかもせむを) 恐跡(かしこみと)     振痛袖乎(ふりたきそでを) 忍而有香聞(しのびてあるかも)』

 

 ▷万葉百科訳:通り一遍の方ならばどのようにもしましょうものを、恐れ多さに、振りたい袖も 我慢していることですよ。

 ▷普通の方になら、どうとでもいたしましょうが。恐れ多いので、振りたい袖を 堪えています。

 

 「岩波文庫」によれば、<「遊行女婦」(遊女)の児島が帰京する大伴旅人を送る宴席で作った歌 >だそうです。「凡有者(おほならば)」は相手が平凡な人であるならの意。とあります。平凡とは、つまりは身分が「高くない」「低い」と言っているのでせう。

 「弱い」「薄い」系のことばということになるかと思います。

 「袖を振る」のは愛情のしるしなのだそうです。

 身分の低いひとなら、あれこれ(気兼ねなく)しましょうが、身分の高い(恐き)人なので、別れの愛情表現など、(わたしも)憚っているのかなあ(「かも」は詠嘆の疑問とみてます)。

 と、相手の恐さ(かしこさ、身分の高さ)に委縮している自分に驚いたり少しイラついたりしている歌意のようです。

 

06-0974 凡可尒=おほろかに= 万)いい加減に /岩)いい加減に

 ◆『大夫之(ますらをの) 去跡云道曽(ゆくといふみちそ) 凡可尒(おほろかに)    念而行勿(おもひてゆかな) 大夫之伴(ますらをのとも)』

 

 ▷万葉百科訳:雄々しい男子が行くという道であるよ、いいかげんに考えて行くな。雄々しい男子たちよ。

 ▷岩波文庫訳:ますらおの行くという道だぞ。いい加減に思っていくな。ますらおたちよ。

 

 「おほろか」が「いい加減に」と訳されるのは「不十分に」考える「十分に考えない」「考えが足りない」ということでせう。

 「弱さ」「薄さ」「疎らさ」をいう「おほ」系統なのでせう。

 ここでふと後代の「おろか」を連想しますが、実際関連があるのかどうかはまだ確認していません。

 空論城城主の出身地は福岡県南部なんですが、あのあたりには「おろよか」ということばがありました。「悪か」とは断言できないが、どちらかといえばそれにちかい「良か」さ加減が「おろ良か」だったと思います。

 古代からのでんでんむし運動で地方に押しやられた「おろ」なんでせうか? これも定かではありませんが。

 

06-0982 不清=おほほしく= 万)ぼんやりと /岩)ぼんやりと

 ◆『烏玉(ぬばたまの) 夜霧立而(よぎりのたちて) 不清(おほほしく)    照有月夜乃(てらすつきよの) 見者悲沙(みればかなしさ)』

 

 ▷万葉百科訳:ぬばたまのような夜の霧が立って、ぼんやりと照っている月は、おもむき深いことだ。

 ▷岩波文庫訳:(ぬばたまの)夜の霧が立ってぼんやとり照っている月を見ることは悲しいことだ

 

 作者である坂上郎女さんが、夜霧の向こうにうっすらぼやけて見える「おほほしき」月を言いたくて「不清」という漢字を当てられた。月の光や輪郭のはっきりしない点にこだわりたかったのではないでせうか。当て字がバラつく好個の例かと。

 細かいことをいうと、「かなし」は「愛し(かなし)」(心が向かう)だろうと「万葉百科」さんは解釈され、岩波文庫さんは漢字として「悲」が使われているのだからここは「悲し」でいいだろうと判断されたのかと思います。

 

07-1225 欝之苦=おほほしく= 万)ぼんやりと /岩)くぐもった声で

 ◆『狭夜深而(さよふけて) 夜中乃方尒(よなかのかたに) 欝之苦(おほほしく)   呼之舟人(よびしふなびと) 泊兼鴨(はてにけむかも)』

 

 ▷万葉百科訳:さ夜もふけ、さっき夜中の潟でぼんやりと呼び声がひびいていた船人たちも、今はどこかに泊っているだろうか。

 ▷岩波文庫訳:夜が更けて夜中の潟でくぐもった声で呼び合っていた舟人たちは、もうどこかに船を泊めただろうか。

 

 作者は未詳です。"夜更け"と"夜中"が重言かもしれないらしいです(岩波文庫)。「潟」ってことは、遠浅かどうかはともかく、そうとうな広がりを感じさせます。

 「漁り(いさり)」する人とは書いてないのですが、夜中だというので、舟人は潟の向こうの波の上で夜釣りをする人かもしれません(そういう歌も多いです)し、そうでないかもしれません。

 ともあれ、そういう反響物のないところで交わされている声は、少し離れた者にさえなかなか届きにくくなります。

 陸か浜辺かでその声を聞く者には「闇の奥に聞くような声」「消え入るような声」になります。未詳の作者さんはそれを言いたかったのだと思います。そして、その声がほんとに聞こえなくなった時に、あれどこかにいっちゃった? って思ったのでせうね。

 

 万葉百科さんの「ぼんやり」と呼び声がひびくというのもイマイチですし、岩波さんの「くぐもった声」は「欝」の字に引っ張られすぎだと思います。ここはまさに音声の「弱さ」がポイントだと思うのです。

 

 ▷私試訳 : 夜更けて 夜の潟の向こうの波の上で かすかな 呼び声が聞こえてた舟人も もうどこかに船を入れたんでしょうか (全く声がしなくなりましたね)

 

 ▶この歌については、「夜中乃方尒」の「方」を「潟」ではなく、「方角」の「方」として、「夜中」をある地域を指しそこに向かう意と捉える解釈もあるようです。

 「河童老」さんという、古典の知識・造詣のすごくしっかりなされてる、現在横浜在住らしい方の『万葉集』を訓(よ)む(その千五百八十四)2021年02月10日付け に書いてあります。

 巻9-1691 客在者(たびなれば)三更判而(よなかをさして)照月(てるつきは) 高嶋山(たかしまやまに) 隠惜毛(かくらくおしも)

 

 ▷万葉百科訳:旅なので 夜中の方に 照り移っていく月が  高島の山に 隠れるのは惜しいことよ。

 

 が、類型の歌としてあるようです。なるほどぉ。どうなんでせうね。

 

 机上空論城城主には肯定も否定もできません。ただ、1225の歌に「呼之舟人(よびしふなびと) 泊兼鴨(はてにけむかも)」の二句があるので、「潟」解釈でもいいんじゃないかなと、軽率に思うばかりであります。

 

07-1312 凡尒=おほろかに= 万)いい加減な /岩)疎略に

07-1333 於凡尒=おほに= 万)いい加減に /岩)ぼんやりと

08-1451 於保束無毛=おほつかなくも= 万)ぼんやりとおぼつかなく /岩)あなたの気持ちがはっきりせず

08-1479 欝悒=いぶせみ= 万)心もうっとうしい /岩)うっとうしい

08-1568 欝悒=いぶせみ= 万)うっとうしい /岩)鬱々とする

08-1809 悒憤=いぶせむ= 万)心晴れやらず /岩)いらいらして

10-1813 欝之=おほにし= 万)おぼろな /岩)ぼんやり

10-1875 欝束無裳=おぼつかなしも= 万)ぼんやりとして /岩)ぼんやりとしてはっきりみえない

10-1909 =おほほしく= 万)おぼろに /岩)ぼんやりとほのかに

10-1921 不明=おほほしく= 万)ほんの少しだけ /岩)おぼろげに

10-1952 於保束無=おぼつかなき= 万)心がおぼつかない /岩)ぼんやりとした

10-2139 =おほほしく= 万)心もおぼつかないのか /岩)心ぼそげに

10-2150 欝三=おほほしみ= 万)心もおぼつかなく /岩)心が晴れず

 

10-2241 凡〻=おほほしく= 万)ぼんやりと /岩)ぼんやりとしているように

 ◆『秋夜(あきのよの) 霧発渡(きりたちわたり) 凡〻(おほほしく)    夢見(いめにそみつる) 妹形矣(いもがすがたを)』

 

 ▷万葉百科訳:秋の夜霧が立ち渡り、霧のようにぼんやりと夢に見たことだ。妻の姿を。

 ▷岩波文庫訳:秋の夜の霧が一面にたちこめてぼんやりとしているように、ほのかに夢にみましたよ、あなたの姿を。

 

 作者は柿本人麻呂です。霧の中でみるような感じで夢に見ましたよあなたの姿を。と言っています。夢に見るほどだから、女性のことを思っているのでしょうが、もっと見たかったというような切迫した感じはありません。

 「凡〻」という漢字が当てられたのも切迫感よりはボンヤリ感を言いたかったからなのでせうか? わかりませんが、切迫感の薄らいだボンヤリことば派生の痕跡なんでせうか。

 

10-2263 烟寸=いぶせき= 万)うっとうしい /岩)鬱陶しい

 

11-2449 於保〻思久=おほほしく= 万)ぼんやりと /岩)ぼんやりおぼろげに

 ◆『香山尒(かぐやまに) 雲位桁曳(くもゐたなびき) 於保〻思久(おほほしく)   相見子等乎(あひみしこらを) 後恋牟鴨(のちこひむかも)』

 

 ▷万葉百科訳:香具山に 霞がたなびく。そのようにぼんやりと逢った子を、後に恋するだろうかなあ

 ▷岩波文庫訳:香久山に雲がたなびいてぼんやりしているように、おぼろげに顔をみただけの子なのに、後で恋しく思うことだろうかなあ

 

11-2450 於保〻思久=おほほしく= 万)ぼんやりと /岩)ぼんやりと見た

 ◆『雲間従(くもまより) 狭陘月乃(さわたるつきの) 於保〻思久(おほほしく)   相見子等乎(あひみしこらを) 見因鴨(みるよしもがも)』

 

 ▷万葉百科訳:雲の間を渡っていく月のようにぼんやりと逢った子にもう一度逢うすべがほしいよ

 ▷岩波文庫訳:雲間を移っていく月のように、ぼんやりと見たあの子を、見る術があったらなあ。

 

 上記二首も人麻呂の歌です。ここは、チラッと見て忘れられず恋に焦がれる「チラ見惚れ」パタン歌。

 チラッとしか見なかった口惜しさが「凡〻」ではなく「於保〻思」の漢字に込められている!と見ていいんじゃないでせうか。

 

 万葉百科さんの2首ともの「ぼんやり逢う」ってどういうことでせう。自分の意識の問題のようにも読めるんですが、そうではなく、この歌は、ちゃんと見たか、見えたかっていう方が問題なんだと思います。そこを踏まえていれば、こういうボンヤリした現代語訳にはならないんじゃないかと思うわけです。

 

11-2523 凡者=おほならば= 万)通り一遍の気持ちなら /通り一遍の気持ちでしたら

 ◆『凡者(おほならば) 誰将見雖(たがみむとかも) 黒玉乃(ぬばたまの)  我玄髪乎(わがくろかみを) 靡而将居(なびけておらむ)』

 

 ▷万葉百科訳:通り一ぺんの気持なら、誰が見ようとて、漆黒のこの黒髪を靡かせていましょうか。

 ▷通り一遍の気持ちでしたら、あなた以外の誰が見ようというので(ぬばたまの)私の黒髪をなびかせていましょうか。

 

 前回(10月8日)取り上げた歌です。今回のこの稿を起こす動機になった歌です。作者は未詳です。まあ間違いなく女性です。

 

 前回「凡者(おほならば)」を「万葉百科」さん「岩波文庫」さんが、どちらも「通り一遍の気持ちなら」と訳されているということで、作者(女性)は、"自分の気持ち"が並みのものではないということを言おうとしているという解釈であり、作者の目は自身の心持ちに向いていると解釈されていると理解しました。

 

 一方、空論城城主は、「凡者(おほならば)」を「見えにくいなら」の意味で「薄暗がりの中でなら」と訳し「誰が見ようといえど真っ黒い私の黒髪をなびかせていましょう」という訳を試み、作者の目は、暗闇の深さにむかっていると主張し、どっちなのかを自分への宿題のように結びました。

 

 その宿題に決着をつけるべくこれを書いているわけですが、以下に続く「凡(おほ)」字ことばを見たうえで改めてこの宿題に戻りたいと思います。

 

11-2535 凡乃=おほろかの= 万)通り一遍の /岩)通り一遍の

 ◆『凡乃(おほろかの) 行者不念(わざとはもわじ) 言故(わがゆゑに)   人尒事痛(ひとにこちたく) 所云物乎(いわれしものを)』

 

 ▷万葉百科訳:通り一ぺんの事とは思うまい。私のために人からあれこれとうわさされたものを。

 ▷岩波文庫訳:通り一遍の気持ちは抱きますまい。私ゆえに人からうるさく噂されたあなたなのに。

 

 「岩波文庫」は、「行」を「心」と読んでいる。その理由は『類聚名義抄』によることが歌の説明に書いてあります。

 ともあれ、「凡乃(おほろかの)」は「行(わざ)」「心(こころ)」に掛かり「不念((お)もはじ)」で打ち消されている。文法的にといいますか、文の構造的には順接といいますか、すっきりしている気がします。

 「言」を「わが」と読んでいるのは、単純にそういう読み方と意味合いがあるからでした。漢和辞書を引いたらちゃんと出ていてびっくりしました。

 

11-2568 凡=おほろかに= 万)並一通りに /岩)いい加減に

 ◆『凡(おほろかに) 吾之念者(われしおもはば) 如是許(かくばかり)   難御門乎(かたきみかどを) 退出米也母(まかりいでめやも)』

 

 ▷万葉百科訳:並一通りに私が思っているのなら、これほど抜け出しがたい朝廷の御門を、どうして退出して来ましょう。

 ▷岩波文庫訳:いい加減に私が思うのだったら、これほど厳重な御門なのに退出してくるでしょうか

 

 「凡(おほろかに)」は「吾之念者(われし(お)もはば)」に掛かっている。「凡(おほろかに)」自体は、程度の低さ・弱さを言っているだけかと思います。これも文の構造的にはすっきりです。

 

11-2720 欝悒=いぶせき= 万)隠って鬱々とする /岩)ふさぐ思い

 

12-2909 凡尒=おほろかに= 万)通り一遍に /岩)通り一遍に

 ◆『凡尒(おほろかに) 吾之念者(われしおもはば) 人妻尒(ひとづまに)  有云妹尒(あるといふいもに) 恋管有米也(こひつつありめや)』

 

 ▷万葉百科訳:通り一ぺんに私が思うのなら、人妻だというあなたに恋いつづけていたりしましょうか。

 ▷岩波文庫訳:通り一遍に私が思うのだったら、人妻だというあなたに恋いしつづけるでだろうか。

 

 「岩波文庫」によれば、人妻との関係は重い禁忌だったそうです。古代は性的にはおおらかだったようなことが言われますが、妻と定まったあとはやはりタブーにしばられるというのは今と変わらなそうです。このあたり母系制の観念ともからめて詳しくみてみないとよくわからないです。

 ともあれ、この「凡尒(おほろかに)」は「吾之念者(われしおもはば)」と「ば(者)」で仮定の問いかけが行われ、文末に「恋菅有米也(こひつつありめや)」の「や(也)」が置かれて、歌全体を反語化しています。それによって、「通り一遍に思うなら・・・・するだろうか」という歌が成立しています。

 

 

6)宿題へのアンサー

 では、改めて、11-2532の「凡有者(おほならば)」ですが、この「おほならば」という仮定の問いかけはどこに掛かかる、繋がるかといえば「靡而将居(なびけておらむ)」につながると思われます。

 それを直訳すると「弱い」としたら「靡かせていよう」ということになるかと思います。

 これを「いい加減な気持ちなら」と、気持ち解釈すると「靡かせていよう」では意味が通じません。

 そこに「誰将見雖(だがみんとかも)」「だれが見ようといえども」ということばが挟まることで、「靡而将居(なびけておらむ)」の訳が「靡かせていようか」と語尾に「か」をつけて反語化されているわけです。

 そのことによって「通り一遍の気持ちなら」「黒髪をなびかせたりはしない」いや「強い思いがあるからこそ靡かせるのだ」という反転解釈に整えられているわけです。 

 

 でも「靡而将居(なびけておらむ)」に「や」とか「かも」とかの反語要素はないです。「将」は、ここでは「まさに・・」という意志や「今にも・・」という予期の字で使われているかと思います。

 「将(はた)」読みで、「はたまた・・か」という使い方が「万葉集」953番にありますが、

 

 ◆『竿壮鹿之(さおしかの) 鳴奈流山乎(なくなるやまを) 越将去(こえゆかむ)   日谷八(ひだにや) 君(きみが) 當不相将有(はたあわざらむ)』

 

  ▷万葉百科訳:さ男鹿が鳴く山を越えていく日にさえも、あなたはやはり逢おうとしないのだろうか。

  ▷岩波文庫訳:雄鹿の鳴いている山を越えていく日さえも、もしかして、あなたは、逢ってくれないのではなかろうか)<岩波文庫

 

  越えて行こうとする日(だに=さえも)のあとの「や(八)」や、「もしかして」の「當不(まさに~ず)」という再読文字・否定辞によって「はたまた・・か」の反語化が成立しています。

 まだ全然わかっていませんが「将」一字で反語機能を果たし出すのは平安時代とかもっとあとの時代からなんじゃないでせうか。

 

 なので、「誰将見雖(たがみむとかも)」によって、全体の反語化が行われているように見えるのですが、「だれかが将に見ようとすると雖も(誰が見ようとしたとしても)」は「靡而将居(なびかせていよう)」に、2909番で見た「也」のような反語がないので、ただ、順接的に掛かっていくだけで、

 「いい加減な気持ちなら」➡「だれが見ようといえど」➡「黒髪を」➡「靡かせていよう」

 というふうにしか解釈できないんじゃないかと思うのです。

 

 でも、「おほほしく」を「よく見えない」の意で解釈すれば、

 「暗くてよく見えないなら」➡「だれが見ようと(いいじゃないか)」➡黒髪を➡「靡かせよう」の意で成立すると思うのです。

 

 いやいや「凡有者(おほならば)」のことば自体に歌全体を反語化、疑問化する仕掛けがあるんだ!、というようなことがあるんでせうか? わかりません。

 

 古文法の専門家さんたちが、そういう読み方をされているということにはそれなりの理由があるとは思うわけです。

 古語文法のことに詳しかったら断言文末で締めくくれるところですが、そうでないところが読書感想文派の悲しいところです。トホホ。

 今後そのあたりつまびらかになって、前言撤回するかもしれませんが、今回も蟷螂之斧は振り上げたままになってしまいます。すいません。

 

 

7)バラツキ具合の続き

12-2949 欝悒=いぶせし= 万)心がふさぎこんでいます /岩)気がふさぎます

12-2991 馬声蜂音石花蜘蹰荒鹿=いぶせくもあるか= 万)心がこもって鬱陶しい /岩)心が塞ぎます

 この「馬声蜂音石花蜘蹰荒鹿(いぶせくもあるか)」も「万葉集」の戯書といわれるものです。検索すれば出てきます。

 

12-3003 不明=おほほしく= 万)ぼんやりと /岩)ぼんやりと

12-3161 欝悒=おほほしく= 万心が晴れない /岩)不安に思う

13-3335 =おほ= 万)いい加減には(立たず) /岩)並大抵には(立たず)

14-3535 於保=おほ= 万)いい加減に /岩)粗末に

16-3794 大欲寸=おほほしき= 万)ぼんやりした /岩)ぼんやりものの

 

 3794番の歌の要点については、「デジタル大辞泉」の3の意味立て「愚かである」についての話の中で触れております。

 

17-3899 於煩保之久おぼほしく= 万)ぼんやりと /岩)ぼんやりと

 ◆『海未通女(あまをとめ) 伊射里(いざり) 多久火能(たくひの)     於煩保之久(おぼほしく) 都努乃松原(つののまつばら) 於母保由流可問(おもほゆるかも)』

 

 ▷万葉百科訳:海人の娘たちが夜釣りに焚く火のようにぼんやりと、角の松原が思われることだ。

 ▷岩波文庫訳:海人おとめが焚く漁り火がぼんやりしているように、心もとなく角の松原が思われるのだ。

 

 「於保之久(おぼほしく)」。二番目の音字に「保(ほ)」でなく濁音の「(ぼ)」の字をあてて「おぼほしく」と言っています。というか、逆で、「おほしく」というやまとことばの音をそのまま表現しようとして、「ぼ」の音に「煩」の字が当てられています。

 「岩波文庫」解説によれば「おほほしく」を「おほしく」と言っているのはこの歌だけなのだそうです(「於呂加尒」おろかに ならば4465番にもあります)。

 Wikipedia掲示の「上代特殊仮名遣」表を見ると、「ほ」音、「ぼ」音には甲乙音の区別はないですが、「保」は「ほ」音、「煩」は「ぼ」音の字として区別されています。

 初めのほうで「おぼ」がおおもとで、だんだんと「おほほし」になっていったのか?というような、ことを書いているのですが「おぼほし」の例がこうも少ないのは、古い言いかただから少なかったのでせうか? どうなんでせう。よくわかりません。

 

 作者は、大伴旅人の従者(名は未詳)だそうです。大宰帥(だざいのそち)である大伴旅人天平二年(730年)の冬十一月大納言に任ぜられて《太宰帥の任はそのままで》京(奈良)に上った際、従者らは海路を経て京に入ったそうです。その海路の旅を悲傷して作られた歌なのだそうです。

 「悲傷」とは、「悲しみ心を痛めること」のようです。古代の船旅は我々が想像する以上に大変だったのでせう。船酔いとか卑近な想像もしますし、船旅用の船がどれくらいの大きさであったかわかりませんが、今からいえば小型だったでせうから、雨風の時の命がけ感すら妄想されます。

 「旅(羇旅)を悲傷して」というようなことばが公の歌集に当たり前のように記載されているのですから。

 ですから身分の高い大伴旅人は、全路そうであったかどうかはともかく、陸路で京へのぼったのでせう。

 角の松原というのは現在の西宮市あたりにあった古代の大阪湾沿岸部の勝景の一つ(岩波文庫)だそうです。古代でも有名だったようです。大阪湾が船旅の到達地点だとすると、西宮辺りならまだまだ手前でせう。

 船旅に疲弊しきった身で、なかなか目的地に到達できない焦りすら感じさせる辺りかもしれません。

 そんな中で、従者らは、海人乙女らの焚く漁り火を目にしたのでせう。1225番の歌で触れたように辺りに反射物がない夜の海は、声だけでなく火の光さえも闇に吸い込まれるように「弱々しく」もの寂しいものだったのではないでせうか。

 ここには挙げていませんが3170番の歌では「漁り火」と「髪髴(ほのか)」がセットで歌われていたりします。

 そういう心細さ、弱った思いの中で、この闇の向こう辺りが角の松原だと聞いたり思ったりした。そういう状況だったのではないでせうか? 旅の景勝地にぼんやりと憧れるとかそういう心の状態ではなかったように思います。

 この歌の「おほしく」は「ぼんやりと」と訳すよりは「ほのかに」とか「心細くも」などのほうが相応しいのではないでせうか。

 

18-4113 移夫勢美=いぶせみ= 万)心鬱陶しい /岩)気が滅入る

19-4164 於保呂可尒=おほろかに= 万)通りいっぺんに /岩)おざなりの

20-4465 於煩呂加尒=おぼろかに= 万)あさはかに /岩)いい加減に

 

 

8)「弱さ」にこだわって訳す

 「弱さ」を淵源にすると思われる「おほほし」系のやまとことばや近しい思いを述べるその他のやまとことばに、それを歌った? 書き留めた? 人の視点次第で、実にさまざまな漢字表現(当て字)が行われたらしい、ということが多少伝わったでせうか?「夜露死苦!」の暴走族とかなり近しい暴走具合です。

 ともあれ、空論城城主が言いたいのは、「おほほし」の現代語訳として、「ぼんやり」と「心が晴れない」の二つの辞書的意味で機械的に訳していくと、歌の真意を取りこぼしてしまうんじゃないかという懸念です。

 歌意のおおもとにある「弱さ」をはずさず、じっくり歌の世界に浸りこめば、ピンぼけ解釈は減らせるんじゃないかなと思う次第です。

 

 ▶ネットに上っているPDF「帯広大谷短期大学紀要(第50号)2013年3月」の古代の食文化などがご専門らしい池添博彦先生の『万葉集の語彙について(2)』にて、「こころ」の関連語の中で「心が定まらず、不安な気持ちを表す語」の類として、「おほに」「おほほし」「おほろか」「おぼつかなし」「いぶせし」などのことばの分析が行われています。

 そういったことばの底にあるものを、さらに、心に限らず自然一般も含めた「弱さ」へのことばとして「おぼ」「おほ」などがあったんじゃないかと捉えようとするところが、空論城城主の力点のほかと違う所かと思います。ご理解いただけるでせうか。

 池添先生の論考は、大学の先生、いわばプロの行われることばの分析であり、「こころ」「うら」「した」「おもふ」などについて当てられた漢字の意味もからめた分析で大変興味深く、ご一読をお勧めいたします。 

 

////////////付記///////////

 今年も11月3日文化の日は「特異日」の面目を保ちました。

 ここ数日の曇りや雨の日続きのなかで、傘マークから曇りマークへの矢印がついている北海道を除けば、ほぼ全国的に晴れマーク。いやあ、見事です。敬服、感服至極です。

 昔は毎年この日が家族旅行の日だったんですが・・・。

 まあ、昨夜から3夜連続の「ブラタモリスペシャル版「東海道五十七次」もやっているし、嬉しい限りです。

万葉集 わかりづらい歌 2532

 古代人の日記ののぞき見?

 

1)漆黒の黒髪をなびかせる

 

番号 巻11-2532

●漢字本文

  凡者 誰将見雖 黒玉乃 我玄髪乎 靡而将居

 

●読み下し文

  おほならば 誰が見むとかも ぬばたまの 我が黒髪を なびけて居らむ

 

●訓み

  おほならば たがみむとかも ぬばたまの わがくろかみを なびけてをらむ

 

●現代語訳

  通り一ぺんの気持なら、誰が見ようとて、漆黒の この黒髪を 靡かせていましょうか。

 <「万葉百科」さんより>

 

 この現代語訳を読んでも、状況がいまいちよくわかりません。「岩波文庫」を見てみます。

 

 

2)正述心緒とは

 

万葉集」の第十一巻は、

 

 「寄物陳思(きぶつちんし)」    2415~2507  93歌

 「問答(もんだふ)」        2508~2516   9歌

 「正述心緒(せいじゅつしんしょ)」 2517~2618 102歌

 「寄物陳思(きぶつちんし)」    2619~2807 189歌

 「問答(もんだふ)」        2808~2827   20歌

 「譬喩(ひゆ)」          2828~2840  13歌

 

 というような「部立」(内容分けの構成)になっているのだそうです。

 2532番歌は「正述心緒」の一つということになります。

 

 「正述心緒」とは、「相聞歌の表現方法による分類の一。心の有様(心緒)をそのまま率直に表現する(正述)もの。」と「岩波文庫」巻末で説明されています。

 相聞歌とは二者間で交わされるやりとりの歌のことであり、男女間の恋のやり取りの歌が大半を占めているそうです。

 「正述心緒」というのが全体どんな感じなのか。上記の通り102歌もあるので、とりあえず冒頭の20歌を見てみます。歌意がわかりやすいように「万葉百科」さんの現代語訳を並べます。「/未詳」というのは作者不明ということです。

 

 

3)素朴な心情吐露

2517 母の気に障れば 良くない事に あなたも私も なってしまう/未詳

 

2518 あなたが 私を送ると言って 袖が濡れるまで泣いたことが 思い出される/未詳

 

2519 奥山の真木で作った板戸とて押し開いて、ままよ出ていらっしゃい。後は何事があろう。/未詳 

 

2520 刈薦のたった一枚を敷いて寝ていても、あなたと寝ていると寒いことはない。/未詳

 

2521 杜若(かきつばた)のように、ほんのり美しい紅顔の君を、唐突に思い出し思い出ししては、嘆いたことだ。/未詳

 

2522 恨めしいと思う大岩があったので、外からだけ見ていた。心には思っていたのに。/未詳

 

2523 赤味をおびた色のように表面には出さなかったが、心中で少ししか思っていなかったわけではない。/未詳

 

2524 わが背子に直接お逢いしてこそ浮名は立つでしょうが、ことばを通わせるだけでどうして。それが理由で――。/未詳

 

2525 心を尽くして片思いをするからか、この頃の私の心は、生きているとも思えないことよ。/未詳

 

2526 待っているだろうに、到着したら嬉しくて笑う姿を、いって早く見よう。/未詳

 

2527 誰がこのわが家に来て呼ぶのだろう。たらちねの母に叱られて物思いする私なのに。/未詳

 

2528 共に寝ない夜は千夜もあろうとも、あなたが後悔なさるような心を、私は持ちますまい。/未詳

 

2529 家に出入りする人は路もいっぱいに往来しているが、私が待つ、あの人の使いは来ないことよ。/未詳

 

2530 あら玉の伎戸が作る竹垣の編目のようなすき間からだけでも、妻が見えたら、私はこんなに恋に苦しむことがあろうか。/未詳

 

 ▶「年」「月」「日」に掛かる枕詞の「あらたまの」ですが、ここでは、そう繋がらないためなんでせう、この「あらたまの」は、静岡辺りの地名と考えられているそうです。「伎戸(きへ)」も「麁玉村」のどこからしいです。

 

2531 わが背子の、その名を人にはいうまいとして、私は魂きわる命を棄てました。お忘れになりますな。/未詳

 

2532 通り一ぺんの気持なら、誰が見ようとて、漆黒のこの黒髪を靡かせていましょうか。/未詳

 

2533 顔を忘れるなどということをどんな人がするのだろう。私にはできない。絶え間なく思っているので。/未詳

 

2534 わが片恋の人のゆえに、あらたまの年月長く私は恋いつづけるのかなあ。/未詳

 

2535 通り一ぺんの事とは思うまい。私のために人からあれこれとうわさされたものを。/未詳

 

2536 わが命とも妻を思うので、年月がどのようにたっていくかも考えられないことよ。/未詳

 

2537 たらちねの母にも知られないで私が抱いている心は、ままよ、あなたのお気持どおりに。 /未詳

 

2538 一人で寝たとて薦(こも)が朽ちるということがありましょうか。それほどの蓆(むしろ)なのに、綾織の蓆が破れて緒になるまでだってあなたをお待ちしましょう。/未詳

 

 ▶大岩の歌(2522)とか、わかりにくい歌があったりもしますが、純朴そうな恋心から、命を捨てるとか物騒・ドラマチックな文言まで含む、恋する乙女や若者たちの日記の走り書きを読むような感じです。

 2618番まで概ねこんな感じです。第十二巻にも「正述心緒」があるのですが、そのブロックも似た感じです。

 和歌や長歌としての歌意や体裁の整った有名歌人の歌のようなものではなく、今日でいえば個人の日記に書かれたことばのような、真率・素朴な心情吐露に、古代の人もなにがしかの感興を覚えたんでせう。ジャンル建てせずにいられなかったようです。

 

 

4)誰が書き記したのか

 ところで、万葉時代、読み書きのできる人は限られていたはずです。だから、一般庶民が、歌を書き記すなんてことはなかったでせう。

 一方で、民謡のように、生活の場にはとにかく歌があって、ほかにエンタメの無かった時代、人々はなんであれ歌にして歌っていたのだとうと思います。

 防人の歌も、ドラマでよく見る、太平洋戦争の時の出征兵士の挨拶のようなものが、歌で行われていたんではないかと空想するのです。そういったものを、読み書きできる知識人たちが、記録していったのだと思うのです。なぜそうしたか・・・です。

 

 因みに、今、民謡のようにと書きましたが、あくまで生活とともにあったという意味です。その賑やかさの質は想像とだいぶ違っていたろうと思うのです。

 「雅楽」や「幸若舞」(「幸若舞」は、Wikipediaによれば、中世・室町時代の末頃に記録は遡るようです)などの、(現代人からする)単調さは、「万葉集」の歌や「記紀」の歌謡などと相通ずるような気がします。早いリズムで魂をゆさぶる岩手県の「早池峰神楽」も「幸若舞」とほぼ同じころに記録は遡るらしいのではありますが(Wikipedia)。

 ともかく、雅楽幸若舞のような音曲で、当時の人々がノっていたのだとすると、西洋音楽の音階が体中にしみ込んでいる現代人の感性で古代のエンタメ空間を想像してはいけないんだろうなと思うのです。

 大河ドラマの「光る君へ」で、紫式部である吉高由里子さんが琵琶を鳴らすシーンを2度ほど見ました。ボロロン・・・・。ボロロン・・・・と。これのどこが楽しいんだとハテナ・マークが三つほど並びました。

 古代の弦楽器の出現時期とか全くわかりませんが、まあ、大方が未登場だった時代、琵琶の単調な音ですら、音階(和音?)というものを初めて聞いた人々は大感動だったんだろうなあという想像はできます。

 だから、大陸奥深くの照葉樹林帯の源流あたりの民俗芸能だって、千年二千年ずっと変わらないなんてことはないと思うので、映像などで、賑やかな歌などで文化の古層が暗示させられたりしているのを聞いたりすると「まてよ」などと思うのですが、まあ、あくまで個人的な感想です。

 

 とまれ、話を元に戻します。

 古代の知識人はなぜ民衆の歌まで書きとどめたか・・・でした。

 

 

5)ナショナリズムが書き記させた

 空論城城主は、以前、万葉集の誕生と大陸文化』(山口博著・角川選書273)という本を読み、感化されております。

 大陸の漢字文化受容期、中央、地方の知識人たちは、大陸の「漢詩」はともかく、国民心情の発露としての『詩経』のような作品の存在に触発され、漢詩ももちろん作りながら、我が国の国民文化としての「歌」を集積し、その存在を諸外国に知らしめることこそ真に大陸文化と対峙しうる国家・国民の存在証明になりうると感じ、覚えたての漢字でせっせと歌ことば(ヤマトことば)を書き記そうと懸命になった。そういう気運・ナショナリズムがあった。

 やがて、各地、各層の知識人たちが書き溜めた歌(漢字表記)が、国家的事業として大編纂された。それが『万葉集』だった。というような趣旨だったかと受け止めています。

 「正述心緒」のような素朴な歌が記録されたのも、そういうナショナリズムのおかげだったのかもしれません(定かではありませんが)。

 

 

6)肚を括った女性は強い?

 2532の歌の前に、2531番の歌で(額面どおりに受け止めれば)、恋に命を賭す女のが歌われています。そこでやっと2532番の意味がなんとなく通じてきます。

 

 改めて2532の歌(「万葉百科」さんからの引用)

 

●漢字本文

  凡者 誰将見雖 黒玉乃 我玄髪乎 靡而将居

 

●読み下し文

  おほならば 誰が見むとかも ぬばたまの 我が黒髪を なびけて居らむ

 

●訓み

  おほならば たがみむとかも ぬばたまの わがくろかみを なびけてをらむ

 

●現代語訳

  通り一ぺんの気持なら、誰が見ようとて、漆黒の この黒髪を 靡かせていましょうか。

 

 「おほならば」が「通り一遍の気持ちなら」と訳されていますが、これは下で触れているように「岩波文庫」さんの解釈と同じであり、歌い手の女性が、自分の思いが通り一遍のように「弱く」はなく、むしろ「强い」んだと言っているという解釈によっています。

 この「おほ」については、空論城城主は「乏しい」「弱々しい」「かすかな」「かそけき」感じが原意だろうと考えています。

 その「かそけさ」は「ぬばたま」の闇(黒)とも呼応するかと思います。で、空論城城主はこんな訳をしています。

 

◆私試訳

  薄暗がりの中でなら 誰が見ようといえど 真っ黒い 私の黒髪を なびかせていましょう

 

 人の目にはよく見えないんだから、思いっきり靡かせてやるという、肚を決めた女性の強い(怖い)ことばでの歌。女性は闇の深さを見ている。そう解釈するのです。

 

 念のため「岩波文庫」の訳と説明、

 《 2532 通り一遍の気持ちでしたら、あなた以外の誰が見ようというので、(ぬばたまの)私の黒髪をなびかせていましょうか。

 ▷真実の心のゆえに、なびく黒髪をあなたにこそ見せようとお待ちしているのだと誘う。男の訪れを、女は髪を解いて待った。「ぬばたまの黒髪敷きて長き夜を手枕(たまくら)の上に妹待つらむか」(二六三二)。初句(=「おほならば」のこと)は既出(九六五)。 》

 

 女性は、自分の気持ちを見ている。これがメインストリートの解釈です。

 

 まあ、歌なんで、歌い手の気持ちのことを歌っているとみて、メインストリート解釈を受け入れたほうが良さそうな気はするのですが、でも、空論城城主は、とりあえず蟷螂の斧を振り上げたままにしておきます。

 その理由は、改めて。

 

「男じもの」の「じもの」の話

 

  「相違」を軸にしてみる

 

1)一目惚れ? ふられた? 男の歌

 前回の「万葉集」2580番の歌(「万葉百科」さんのデータ・ベースから引用)。

 

●番 号

 巻11-2580

 

●漢字本文

 面形之 忘戸在者 小豆鳴 男士物屋 恋乍将居

 

●読み下し文

 面形の 忘るさあらば あづきなく 男じものや 恋ひつつ居らむ

 

●訓 み

 おもかたの わすれへ あらば あづきなく をとこじものや こひつつをらむ

 

●現代語訳

 あの顔かたちが 忘れられる器(かたち)でもあるのなら、いたずらに 男たるものが 恋いつづけていようか。

 

●歌 人

 作者未詳 

   

 

2)「男じもの」学研全訳古語辞典(Weblio古語辞典)説明      

 

をとこ-じもの 【男じもの】 副詞

 男であるのに。

  出典:万葉集 四八一 「わきはさむ子の泣くごとにをとこじもの負ひみ抱(うだ)きみ」

  [訳]: わきに抱いた子が泣くたびに男であるのに背負ったり抱いたりして。

  ◆「じもの」は接尾語。

 

 

3)接尾語「じもの」の説明(同)

 

 -じもの 接尾語

  名詞に付いて、「…のようなもの」「…のように」の意を表す。「犬じもの」「鳥じもの」「鴨(かも)じもの」。

  ◆上代語。

 

 

4)「じもの」の説明と「男じもの」の説明が合わない

 

 「男じもの」は、男なのに、男らしくない、と言い

 「犬じもの」は、あたかも犬のようだと言っている。

 

 「じもの」は「・・のようだ」と訳せばいいと思って「男じもの」を「男のようだ」と訳したら、間違いのようです。ホントに? そう訳す例はないのかどうか?

 

 

5)「万葉百科」データ・ベースで「じもの」検索 17歌

 

 0050 鴨自物水尒浮居而 (かも じもの 水に浮かべゐて)➡ 鴨のように 水に浮かんでいて

 

 0199 鹿自物伊波比伏管 (しし じもの いはひふしつつ)➡ 鹿のように はらばい伏しつづけ

 

 0210 鳥自物朝立伊麻之弖 (とり じもの あさたちいまして)➡ 鳥のように 朝飛び立ち

 

  同 烏徳自物腋挾持 (をとこ じもの わきにはさみもちて)➡ 男らしくもなく 腋にかかえ上げて

 

 0213 鳥自物朝立伊行而 (とり じもの あさたちいゆきて)➡ 鳥のように 朝飛び立ち

 

  同 男自物腋挟持 (をとこ じもの わきにはさみもちて)➡ 男らしくもなく 腋にかかえ上げて

 

 ▶210と213は、両方とも柿本人麻呂の作品で、ほぼ同じ内容(微妙に違う)ながら別歌として「万葉集」に収録されている。

 

 0239 四時自物伊波比拜 (しし じもの いはひをろがみ)➡ 猪や鹿のように 伏し拝み

 

 0261 白雪仕物徃来乍 (ゆき じもの ゆきかよひつつ)➡ 雪のように、行き通いつづけ

 

 0379 十六自物膝折伏 (しし じもの ひざをりふし)➡ 鹿猪のように 膝を折って伏し

 

 0481 雄自毛能負見抱見 (をとこ じもの おひみむだきみ)➡ 男らしくもなく (泣く子を)背負ったり抱いたりしながら

 

 ▶万葉時代から、男は子どもの世話などやかないものだという役割区別意識があったようです。

 

 0509 鳥自物魚津左比去者 (とり じもの なずさひゆけば)➡ 水鳥のように苦しみながら進んでいくと

 

 0886 等許自母能宇知許伊布志提 (とこ じもの うちこひふして)➡ 仮りの寝床に 身を横たえ伏しては

 

  同 伊奴時母能道尒布斯弖夜 (いぬ じもの みちにふしてや)➡ 犬のように 道に倒れて

 

 1019 馬自物繩取附 (うま じもの なわとりつけて)➡ 馬のように 縄をくくりつけられ

 

  同 肉自物弓笶囲而 (しし じもの ゆみやかくみて)➡ けものみたいに 弓矢が囲んで

 

 1184 鳥自物海二浮居而 (とり じもの うみにうきゐて)➡ 鳥のように 海に浮かんでいて

 

 1790 鹿児自物吾獨子之 (かこ じもの わがひとりごの)➡ 鹿の子ではないが、そのようなたった一人の私の子が

 

 3276 馬自物立而爪衝 (うま じもの たちてつまづく)➡ 馬のように 道に立ちどまってはつまずくよ

 

 3649 可母自毛能宇伎祢乎須礼婆 (かも じもの うきねをすれば)➡ 鴨のように波に漂いつつ寝ると

 

 4408 可胡自母乃多太比等里之氐 (かこ じもの ただひとりして)➡ 鹿の子ではないが、たったひとり

 

 「男じもの」は、「男らしくなく」一択という状況わかります。なぜなんでせうか?

 

 

6)「じもの」をさらに掘り下げる 

 

 goo辞書(デジタル大辞泉)の「じもの」 の解説に、「《形容詞語尾「じ」+名詞「もの」から》名詞に付いて、…のようなもの(として)、…であるもの(として)などの意を表す。 連用修飾句として用いられることが多い。」という説明がありました。

 

 「形容詞語尾」というのがよくわからず、これを検索したら、九州大学学術情報リポジトリ内の板橋義三先生の『形容詞化接尾辞「じ」の意味と起源について :「じ」は格助詞か形容詞活用語尾か』がヒットしました。

 

 板橋先生は言語学の先生で、この文章は、専門的な記述があって、理解の及ばない部分が少なくないのですが、「じもの」「じく」「じき」という「じ」がらみのことば(特に「じもの」)に関する論文の数が少ない事や、これらのことばへのアプローチ上にある問題点などが、少しわかった気になれます。

 板橋先生が「じもの」を考察されている部分を、読書感想文派なりに素人読みすると、先生は、「じもの」は、或るもの(A)と、或るもの(B)で、なにがしかの共通点を見いだし、それによってABを同一化しようとすることばだと説明されているようです(違っていたらすいません)。

「男」という「女」との対(つい)をなす(ということをすぐに連想させる?)ことばのような場合には、その対(つい)側の要素が軸になることもある、というようなことのようです(重ねて違っていたらすいません)。

 

7)トンデモ妄想古文法

 先生は、(否定的な意味合いを含んだ?)無声音の「n」+為「si」からの「ji」のプロセス自体は想定が可能ながら、それを形容動詞語尾へと関連付けるのは難しいと言われている部分があるのですが(読み方違っていたらすいません)、その形容動詞語尾との関連性の問題の辺りは全然分からないのですが、「じ」の音自体に宿るらしい否定的意味合いにすごく惹かれます。

 ド素人は、「じ」音の否定性ということで、「逢はじ」の「じ」=打消推量、打消意志の助動詞「じ」を単純に連想してしまうわけであります。

 そして、古代の人はこの「じ」を動詞にでなく、名詞(体言)にまでくっつけて使ったんじゃないかとトンデモ妄想をするわけであります。

 詳しいことを聞かれても困ります。ただ、ただ、以下のような読み方を思い浮かべるばかりであります。

 

 「鴨じゃないよねぇ でも水に浮いてるよ おれ (鴨のようだ)」

 「犬じゃないよねぇ でも這いつくばって物乞いしてるよ あいつ (犬のようだ)」

 「鳥じゃないくせに 朝早く出立してるよ あいつ (鳥のようだ)」

 「男じゃないよねぇ おれ 赤んぼ抱いたり 背負ったりしてさ」

 

 偉い先生が方は、同一性のほうにウェイトを置かれているようですが、ド素人は、相違性の方にウェイトを置いて無責任妄想するわけであります。だめすかね。

 

万葉集 わかりづらい歌 2580

 そもそもが危うい

 

1)女の顔が忘れられない男の歌

 また「万葉百科」さんのデータ・ベースから引用させて頂きます。

 

●番号

  巻11-2580

 

●漢字本文

  面形之 忘在者 小豆鳴 男士物屋 恋乍将居

 

●読み下し文

  面形の 忘るあらば あづきなく 男じものや 恋ひつつ居らむ

 

●訓(よ)み

  おもかたの わすれ あらば あづきなく をとこじものや こひつつをらむ

 

●現代語訳

  あの顔かたちが 忘れられる器(かたち)でもあるのなら、いたずらに 男たるものが 恋いつづけていようか。

 

歌人

  作者未詳 

 

(おもな古語)Weblio古語辞典さんから引用したりです。

 

おもかた【面形】 顔かたち。面ざし。 「—の忘れむしだは大野ろにたなびく雲を見つつ偲(しの)はむ」〈万・三五二〇〉

 

あづきなし  形容詞ク活用  活用{(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ}

 ①「あぢきなし①」に同じ。 出典:万葉集 二五八二 「あづきなく何の狂言(たはごと)」 [訳] 思うようにならず何というたわごと。

 ②「あぢきなし③」に同じ。 出典:日本書紀 神代上 「汝(いまし)、はなはだあづきなし」 [訳] あなたは、たいそう手がつけられないほどひどい

 ◆上代語。中古以降「あぢきなし」となる。

 

男じもの・・・「男であるのに」「男らしくもなく」などの意味。

 

をり 【居り】 

[一]自動詞 ラ行変格活用 {語幹〈を〉}

 ①座っている。腰をおろしている。 出典:万葉集 九〇四 「立てれどもをれどもともに戯(たはぶ)れ」 [訳] (わが子は)立っていても座っていても(親と)一緒に遊び興じ。

 ②いる。存在する。出典:万葉集 三三八〇 「埼玉(さきたま)の津(つ)にをる舟の」 [訳] 埼玉の船着き場にある舟が。

[二]補助動詞 ラ行変格活用 活用{ら/り/り/る/れ/れ}

 〔動詞の連用形に付いて〕…し続ける。…している。出典:伊勢物語 四五 「つれづれとこもりをりけり」 [訳] (喪中のため)しみじみとものさびしく引きこもっていた。をらむ 

▶「をらむ」は、「をり」の②番(いる。存在する)の未然形「をら」+未然形接続の推量助動詞「む」

 

◆私試訳

  あなたの顔が忘れられれば。(忘れられないから)どうしようもなく 女々しいかな 恋々としているんだろう

 

 美人だったんでせうね。一目惚れというやつなんでせう。

 

 

2)「へ」と「さ」が気になる

 この歌の歌意も興味深いのですが、その前に「万葉百科」さんの原文「忘戸」が『訓(よ)み』で「わすれ」とされながら、『読み下し文』では特段の説明もなく「わする」になっているのが何故なのか。気になります。

 ネットの読解サイトでも「忘るさ」で話を進めている例が少なくありません(『讃岐屋一蔵の古典翻訳ブログ』さん等)。

 岩波文庫万葉集』にそのヒントらしいものがありました。

 

《 面形の 忘るさあらば あづきなく 男じものや 恋ひつつ居らむ 

  顔形を 忘れる時がもしあるなら、情けないことに、男なのに 男らしくもなく、恋していようか。

 ▷第二句の「忘るさ」の原文は、諸本「忘戸」。「戸」を「さ」の誤字と見る。その「さ」は「行くさ来さ」(二八一・四五一四)に見える。時の意を表す接尾語。 》

 

 ▶「戸」が「さ」の誤字だとする見方があるらしいのです。しかも有力説のようです。

 

 一方で「万葉集読解」さんのように「戸」を「と」訓まれている例もあります。

 

《 2580 面形の 忘ると あらば あづきなく 男じものや 恋ひつつ居らむ

    (面形之 忘戸在者 小豆鳴 男士物屋 戀乍将居)

「あづきなく」は「味気なく」という意味だが、ここは「不甲斐なく」という意味。「男じものや」は「男たるものか」という意味。「彼女の面影が忘れられるものなら、不甲斐なく男子たるものがこのようにも恋いつつおらむや」という歌である。 》

 

 ▶それぞれの訳に大きな違いはないようなんで、「戸」は「と」訓んでもようさそうな気がするのですが、なぜ「戸」が「さ」の誤字とする説があって、しかも有力な説なのでせうか?

 もちろん、ちゃんとした理由や根拠があるのだとうと思うのですが、残念ながらそういう確かな資料とかPDF文書とかに、まだ辿り着けていません。

 なので、その点についての、目下の机上空論城城主の推測というか、いつもの妄想です。

 

 

3)上代特殊仮名遣

 岩波文庫万葉集』第三巻の[解説3]の「万葉集のことば」のなかに、「上代特殊仮名遣」についての説明があり、その中で「戸」は「ト甲類」の「ト」だという記述があって、それに触発されての推論・妄想です。

 

《 面形の 忘る あらば あづきなく 男じものや 恋ひつつ居らむ 》

 

 こう読んだ場合の「忘るとあらば」の「と」は助詞だと思うのですが、助詞の「と」には「跡」(「等」「常」「登」)などの「ト乙類」の「と」が使われ「ト甲類」の字(戸など)は使われないのだそうです。

 

 ▶因みに「万葉百科」さんで、助詞の「と」を検索すると膨大な数がヒットするので、例えば「とあら」検索してみたのが以下の状況です。 

 

№0199(万葉歌番号。以下同)「打蝉安良蘇布(うつせみあらそふ)」

№0343「不有(あらず)」

№0442「空物将有曽(むなしきものあらむそ)」

№0892「志可阿良農(しかあらぬ)」

№0948「湯〻敷有(ゆゆしくあらむ)」

№1031「好住其念(さきくそおもふ)」

№3086「人不在者(ひとあらずは)」

 

 限定的に検索した結果ですが、確かに、「戸」はひとつもありません。

 

 ▶念のため漢字の「戸」から検索かけてみます。

 検索の趣旨とは直接関係のないものも含め190件ほどヒットするので、若番からいくつか当たる程度にさせて頂きます。

 

№0001「押奈手(おしなて)」

№0031「将曽跡母八(あわむとおもや)」

№0050「神長柄所念奈二(かむながらおもほすなに)」

№0094「玉匣三室山乃(たまくしげみむろやまの)」⇦

№0126「屋不借(やかさず)」⇦

№0309「石室尒(いわやに)」⇦

№0379「木綿取付而斎乎(ゆふとりつけていはひを)」

№0384「吾屋尒(わがやに)」⇦

№0418「鏡山之石立(かがみのやまのいはたて)」⇦

№2950「吾妹子之夜出乃(わぎもこがよでの)」⇦

 

 少ない用例で恐縮ですが、ざっと見て、音字としての「へ(べ)」よみ(乙類だそうです)が結構多い中、「と」とよむ(⇦を付した)ものは、「門戸」の類の「戸」(「ト甲類」の「と」=名詞)にほぼ限定されているようです。

 

《 「ト乙類」の「と」は、甲乙類の混同が早く進行した 》というようなことも「岩波文庫」解説に書いてあるので、時代的流動性も含んでいるらしいので、もしかしたらその1例だとすると、「わすると」読みで構わないって話になってしまうかもしれない? のですが、《 「ト乙類」の「ト」の甲乙類混同 》の検証の内訳を知ると、また軽々にものの言えない世界が広がっていそうな気がするので、読書感想文派としては、ひとまず、「戸」を助詞の「と」よみすることはその当時一般的ではなかったらしい、という理解をしておきます。

 

 

4)「へ」が退けられるのはなぜ?

 空論城城主は、ただの読書感想文家なので、古文文法もよくわかってないんですが、「わすれへ」を品詞解釈してみます。

 ▶「忘れへ」の「忘る」は、『角川古語辞典』によれば、次のような説明です。

 

[一]他動詞ラ行四段活用=(ら/り/る/る/れ/れ)  

  ①意図的に忘れる。 思い出さないようにする。思い切る。(用例:万4344)   

  ②(主として「わすらゆ」「わすらる」の形で)失念する。忘れる(用例:拾遺・恋)

[二]自動詞ラ行下二段活用=(れ/れ/る/るる/るれ/れよ) 

  〇(対象が)自然に記憶から消失する

[三]他動詞ラ行下二段活用=(れ/れ/る/るる/るれ/れよ)

  〇記憶を失う。失念する。 (用例:万892、3604)

 

 この説明からすると、「忘れ」は、[一]四段活用の已然形か命令形、[二][三]の未然形か連用形ということになるかと思います。これはいいのですが、

 

 ▶「へ」の方ですが、実はこれが厄介です。相当させられそうな辞書的「語」が見当たらないのです。

 動詞の未然形に接続して反復や継続を表す助動詞「ふ」(四段型)のというものがあるのですが、残念ながらこの「ふ」は四段型動詞の未然形(「忘ら」の形)にしか接続しないらしいので却下。

 ならば、方向を示す格助詞「へ」だと強引に考えてみた場合、「忘れ」を名詞と見て「忘れることへあるとしたら」とでも解釈するような、不自然な言い回しになってしまいます。まあ、そんな言い回しはしなかったでせう。

 

 なので、「わするへ」は、何を言っているのか、言い間違いか、書き写し間違いか、そのままでは語義不明のことば、というような判断になったのかと妄想するわけであります。

 そこで、「わするへ」は「わするさ」の誤字、写し間違いというような推定にも立ち至っている、というような推定・妄想でいいのでせうか。

 

5)「わするさ」の用例も見当たらない

 しかしながら「万葉百科」データベースで「わするさ」を検索してみるのですが、1件のヒットもありません。「忘るさ」でこの2580の歌のみがヒットします。それは後代の「わするさ」解釈に立つこれまで述べて来たような一派のせいのものです。

 なので、「わするさ」の誤字という有力説も結構危うい気がします。

 

 動詞の終止形について「~の時・~の場合」など表す接尾語「さ」の用例はたくさんあります。

 

№0281「徃(ゆくさくさ)」 訳:行きにも帰りにも

№1784「方毛方(ゆくさもくさも)」 訳:行きも帰りも

№4514「由久(ゆく)」 訳:行きも帰りも

№0449「還尒(かへるに)」 訳:帰りがけ

№3614「可敝流尒(かへるに)」 訳:帰る時に

№3706「可反流尒(かへるに)」 訳:帰りに

№3330「投乃(なぐるの)」 遠ざかるの枕詞

№2677「還胡粉歎(かえるしらに)」 訳:引き返す潮時もわからず

 

 こんなに「時」の「さ」用法が賑やかであるのに、「忘るさ」表現がないということは、覚えていたり、忘れたりしたことを言う時に「忘るさ」というような言い方はしなかったということになるんじゃないでせうか。

 もちろん、「岩波文庫」の解説を読めば、『万葉集』の原文は今のところひとつも伝わっておらず、平安時代の写本などが歴史的には古いものなのだそうです。

 平安時代以降の先人の営々たる『万葉集』の写本と読解の積み重ねを、今日の我々は「万葉集」として味わっているということです。真偽は深い深い歴史の奥底です。

 「蜻蛉日記」でもそういうこと書きましたが、突き詰めていうと結構危ういようなのです。

 ま、もちろん、この妄想自体が危ういのではありますが。

 

今までの日本でいいの?

 

 二つの名曲と時代の曲がり角?

 

1)傑作が重なった2024年

 「さよーならまたいつか!」「恋のブギウギナイト」 この2曲。初めて聞いた瞬間、これは時代を超える傑作だと、おそらく、誰もがそう感じたんじゃないでせうか。

 この2つの曲には、ともに底流に「時代」というベース音聞こえます。それは、2つの曲それぞれが流されるTVドラマ「虎に翼」、「新宿野戦病院」に因むもの。

 「虎に翼」は日本の憲法精神の歴史の見つめ直しドラマ。「新宿野戦病院」は昭和からの歴史の果ての日本の今という時代見つめ直しドラマ。「新宿野戦病院」を書いた宮藤官九郎は、昨年「不適切にもほどがある!」で、華々しく、時代見つめ直しドラマの嚆矢を放ったその人。

 それらのドラマ関係者の? 期待を裏切ることもなく、期待に押しつぶされることもなく、名曲が生まれた! ということのスゴサにまず唸らされます。

 こんな傑作2曲が重なった2024年という年はどんな年だったか(まだ9月なんですが)。

 

2)ただただ唖然。呆れるしかない強烈男

 兵庫県知事パワハラ問題。

 この知事は、上の傑作2曲のインパクトを上回る強烈さで、2024年の男として記憶されるかと思います。

 東大出で、官僚(総務省)あがりのエリート知事が、自らをパワハラなどで告発しようとした通報者を、おそらく弁護士と構築した「公益通報対象外」の閉鎖論理回路で、目的が不正だと一方的に決めつけ、公益通報の入口手前で糾弾、自死にまで追い込みながら、ことの重大性理解できず、「公益通報対象外」ばかり念仏のごとく繰り返し、強弁し続けているというありえなさ。

 エリートである自分が選挙で受けた負託(周りはほぼ、もうそれが失敗だったと後悔している)にしがみつき、それは万死を凌駕するとでも、本気で思ってんじゃなかろうかと、この人の公務への情熱というものの異様さに、うすら寒ささえ覚えさせられている。 

 事案を公平公正に処理しようという姿勢が、招いてしまう罪の微細化のような地点?別の言い方をすれば、「過失責任」の度合い論? に議論を持ち込めば、一方的な断罪は無化できるみたいな、倫理とか、道義心とかは一切絡まない、夜中に張った蜘蛛の巣のような、自己の閉鎖論理回路だけ見みつめ、その上を ぐるぐる ぐるぐる 回り続けているらしく思える男。

 

3)自民裏金問題と総裁選

 岸田さんは、結局、いったい何をしたかったのか?

 昭和にあった政治とカネの問題。規制に向かったはずだった問題が、平成のころに右傾化の安倍派台頭と絡まり合いつつ、再び政治と社会を蝕んでいた。

 それが令和で無目的の岸田政権の下、2022年11月赤旗のスクープを起点とし、1年後の2023年11月に大手新聞が報じ出して大きな社会問題となる(Wikipedia)。

 これに決着をつけるようなパフォーマンスで国民の期待を煽るだけ煽って、結局見事に裏切り、失望させ、首相としての政治生命も自ら終わらせてしまった、わけわからん男。

 いま、自民の総裁選がタケナワらしいけど、兵庫の強烈男のインパクトの陰に隠れイマイチ。候補のメンツに、国民の関心ひきつける顔がない・・・。

 

4)いままでの日本でいいのか?

 国民は、政治とカネの問題とか、異常気象とか南海トラフとか、人口減少とか出生率の低下とか、労働人口の減少と移民受入れ問題とか、ジェンダーとかLGBTとか、年金問題とか、税と福祉の問題とか、中央と地方、あるいは貧富の格差拡大とか、中国やロシアとの国境問題、とかとか、などなど。だれがどう取り組んでも一筋縄ではいかない問題が山積していることを、みんな肌で感じている。

 自民がどうの野党がどうのとかいう話ではなく、そういった問題に、今までの対処の仕方、いままでの政治体制とかでホントにいいの? それがもう間尺に合わなくなってんじゃないの? そんな疑念を、国民は感じ始めている。時代はとっくに曲がり角を回っているんじゃないかと。

 自民内の勢力争いこそが、政治そのものだと思い込まされてきた戦後からの日本。そんな、お偉方の時代遅れの宴会ショーのような詐欺まがい政治の総裁選の、実の無い騒ぎには鼻白むばかりです。

 

 兵庫県知事の

 あの無機質な自信と

 岸田さんの

 首相としての

 結局のわけわからなさは

 戦後からの時代の伸展が

 何か大事なものを見失い

 迷路にはまり込んで

 空回りしていることの

 象徴のようなもんなんじゃいか・・・。

 

 ♪ 恋のブギウギナイト 無音からスタート。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 一昨日の日曜、米5キロ1袋ゲットできた。ずっと店の棚が空っぽだったので心配してたが、台所の米が底を突く寸前でのゲットだった。店の棚にはもう一袋しか残っていなかった。今朝、別の買い物で店に行ったら、棚はやはり空だった。日曜のゲットはラッキーなことだったらしい。

 

 先般、書いた母は、その後もろもろあって、目下介護認定申請中。仕事からリタイアして、やまとことばと戯れる、ノホホンな余生に入ったつもりだったのだけど、それを見透かしたように、次の"仕事"が差配される。まあ、おそらく皆、こんな風なんだろうな。

 

・・・・・・2024/11/27(水)追記・・・・・・・・

 兵庫県問題は、Wikipedia などで詳細わかると思うので、ここには記しませんが、百条委員会から知事失職までのごたごた(第2ラウンド?)があって、2024/11/17(日)に県知事選が行われて、なんと、斎藤氏が再選された。と思ったら、11月20日に選挙スタッフのリーダーの投稿から第3ラウンドが始まっている。

 斎藤さんに対する熱狂的な支持者とアンチ以外(おそらく世の中の殆どの人が)、何がどうなっているのか当惑しながら見ていると思う。

 総務省出身の知事で構築されて来た旧県政の弊害、それに挑みながらも"パワハラ問題"という逆境を招き入れてしまって、それでもなお、冷静さを失わず、涼しい顔でその事態を逆転させたはずのその人が、県民局長の自死にも動じなかった時と同じように、また、選挙スタッフ・リーダーの投稿を涼しい顔で「嘘」だと決めつけようとしている? という、うすら寒さが漂っている。

 (旧勢力の権勢に弊害があったということは、そうなのかもしれないし、前局長に、県職員としての不適切な行為があったということもそうなのかもしれません。ただ、その二つを一緒くたにして、前局長の告発の内容の調査を尽くさないまま、処分判断をおこなったことは、間違いだったと、空論城城主は外見的にそう思っている派です。)  

 斎藤さんは、おそらく、権力を牛耳って、懐を増やそうなんてことはあまり考えていない、一般的にいえばいい人なんじゃないかと思います。そういう角度で真剣に県政に挑もうとしてきて、これからもそうしようとしている人のように感じます。旧勢力の天降り先の制限とかは、単なる対立勢力への嫌がらせとかではなく、本来そうあるべき方向への改革として行ったんじゃないすかね。ただ、自分の周りに気心の知れたメンツを集めて、行っていこうとしていた政治に、新たな懸念が生じていたこともまた事実だったんじゃないすかね。まあ、そういうレベルでは、どっちもどっちといえば、そうで、選挙で勝った負けたの世界で普通だと思うんですが。

 気になるのは、世の中の人が、社会の中で一般に感じ、身に帯びる道義的な感性のようなものへのアンテナの感度の悪さようのうなものです。それが、前局長の問題も起こし、今度のリーダーさんの窮地追い込みにもつながっている気がします。自分は高潔な人間なんだから、その使命と志の前に、やり過ごしても構わない小さな問題のように思っているとしたら、それは違うと思うんです。

 法的な、整合性がどうなるか、それしか、この人は見つめていない。そんな気がしてせうがないんです。

万葉集 わかりづらい歌 1857

 

 『万葉集』を読んでいると、意味が通っているような、いないような歌に、時々遭遇します。巻10-1857の作者未詳の歌もそんなひとつです。

 

1)万葉百科さんから引用

 

番号 巻10-1857

●漢字本文

 毎年 梅者開友 空蝉之 世人吾羊蹄 春無有来

 

●読み下し文

 年のはに 梅は咲けども うつせみの 世の人君し 春なかりけり

 

●訓(よ)み

 としのはに うめはさけども うつせみの よのひときみし はるなかりけり

 

●現代語訳

 毎年変わらずに梅は咲くが、現世の人であるあなたには春がないことだ

 

 

2)「毎年」を「としのは」と訓む?

 「毎年」を「としのは」と訓むのは、たとえば、巻10-1881番の歌、

  

 漢字原文▶ 春霞 立春日野乎 往還 吾者相見 弥年之黄土

 訓 (よ) み▶ はるがすみ たつかすがのを ゆきかえり われは あいみむ いやとしのはに

 現代語訳▶ 春霞のたつ春日野を行きつ帰りつして、皆と逢おう。一層しきりに、毎年。 

 【万葉百科】

 

 の「年之黄土(としのは に)」ということばや、

 

 巻17-3991の長歌にある「登之能波尒(としのはに)」、

 巻17-4000の長歌にある「伊夜登之能播仁(いやとしのはに)」

 

 などの「としのは(に)」の意味の同定などから、それは原文に「毎年(尒)」と書いたものと同じものだと結論づけられているのだろうと想像され、そういう理解でいいかと思います。

 

 ▶岩波文庫万葉集』第三巻「[解説3]万葉集のことば」で、「トシノハ」というよみ方は、大伴家持が巻19-4168の歌で「毎年」を「等之乃波(トシノハ)」とよむよう指定している「歌語」としてのよみかたであること、日本書紀平安時代の訓には「トシゴト」もあり、歌語とそれ以外の語としての区別意識が感じられるなどが簡単に述べられています。

 

 ▶「年之黄土」は、「としのは に」でなく「としの はに」じゃないかと思われた方、『万葉集』は、こういう、今見ると、和語の意味と当てた漢字の意味がズレる当て方もふんだんにあります。これらの点は、「岩波文庫」の『万葉集』第一巻の巻末の「[解説1]万葉集を読むために」で説明されています。

 

 ▶そういう不揃いな記載の法則というのも、漢字を受容した和人たち同士の近さ遠さ、認識の広がりの速さ遅さや、あるいは、家持の歌人としてのこだわりのような、漢字を受容しながら自分たちの中で独自に醸成させていった日本語としての文字世界の伸展。それらの痕跡のようなものでせうから、それ自体がとっても興味深いです。

 

 

3)「吾」? 「君」?

 上掲の「万葉百科」さんの原文は「世人吾羊蹄」になっています。が、読みは「よのひときみし」となっています。

 「吾」が「君」と読まれています。

 この点について、「万葉百科」さんに説明はありませんが、「岩波文庫」の『万葉集』1857番の歌の説明によれば、

  《・・諸本の原文は「君」、赤人集の「年ごとに 梅は散れども うつせみの 世にわれはしも 春なかりけり」により「吾」の誤字と推定する。 》

 とあります。

 本来の字は「吾」推定ながら、誤写で広まった「君」が諸本の原本状態。

 というのが、「岩波文庫」(新日本古典文学大系萬葉集』の文庫版)さんの見解で、「岩波文庫」さんの読み下し文は、「年のはに 梅は咲けども うつせみの 世の人我し 春なかりけり」となっています。

 ネットでも、「我し」で読解されているものが少なくありません。

 なので、「万葉百科」さんが原文は「吾」にして、読み下し、訓み、現代語訳で「きみ・あなた」にされているのがなぜかは分かりません。

 ともあれ、以下、引用等で「君し」で読解されているものもあり、そこら辺はそのままとさせて頂きます。

 

4)1857番歌のよくわからないところ

 以上のような用語の問題も多々ありつつですが、「万葉百科」さんの現代語訳の「現世の人であるあなたには春がないことだ」の部分が、また、別の話、解釈の話にはなりますが、どういうことを言っているのかよく分かりません。

 で、ネットあれこれググります。

 

 万葉集読解」さん(2014年12月10日記、2018年8月19日記)が、その思いに応えてくれます。<以下引用。読みやすいよう改行入れさせて頂いてます>

 

 《・・・通例は下二句を「世の人君し春なかりけり」と訓じ、あまりにも相手を馬鹿にした言い方になる。

 なので、「君し」は「我れし」の誤記と解する説も飛び出してくる。が、この「君し」「我れし」論争は私には奇異に映る。

 原文は「世人君羊蹄」である。「羊蹄」は人ではなく、「ぎしぎし」という名のタデ科の大型多年草なのである。派手な梅の花とは対照的に地味な草。地味な花をつける。

 そして春には咲かず、開花は5月頃の草である。作者自身を羊蹄(ぎしぎし)に仮託した歌に相違ないのだ。

 「うつせみの」は枕詞。「世の人君羊蹄春なかりけり」は「なあ羊蹄(ぎしぎし)君よ。君もこの世の存在なのに、(梅のような)春はないものなあ」という意味である。作者の一種の嘆き節である。

 「梅は毎年春になると美しい花を咲かせるのに、なあ羊蹄(ぎしぎし)君よ。君も同じこの世の存在なのに、(梅のような)春はないものなあ」という歌である。・・・》

 

 見事な解読だと思いました。

 が、同時に、いくつか分からない点も生まれました。

 

 

5)新たな疑問

 空論城主は、雑草好きなのですが、「ぎしぎし」を「羊蹄」と書くとを知りませんでした。それに、「君羊蹄」を「きみし」と訓むってことは「羊蹄」で「し」。この語呂の悪さ、気になります。

 「羊蹄」は、「ひつじのひづめ」じゃないのか? あの北海道の「羊蹄山(ようていざん)」の「羊蹄(ようてい)」じゃないのか? 関係あるのか、ないのか? などのモヤモヤが湧きあがりました。

 

 で、またネットをググると、有珠山ブログ」さんの以下の記事に行き当たりました。

 

 

6)「羊蹄」の深い歴史とさらに深まる謎

 以下、「有珠山ブログ」さんの羊蹄山の名前の歴史」 2023.04.26からの一部引用です。素晴らしい写真は割愛させていただいています(また読みやすいよう改行、「」など、追加させて頂いてます)。

 

《 ・・みなさんは「羊蹄山」の名前の変遷がちょっとヘンなのはご存じでしたか?

 「羊蹄山」は最初、アイヌ語で「女山」という意味の「マチネシリ」と呼ばれ、ちなみに対をなす「男山」の「ヒンネシリ」は尻別岳と言われているようです。

 それから日本書紀に登場する北海道(蝦夷地)の「後方羊蹄」という地名からとって「後方羊蹄山(しりべしやま)」と呼ばれるのですが、「後方」で「しりべ」、「羊蹄」で「し」という、おもわず何で?と言ってしまいたくなる読み方になります。

 その後、地元の倶知安町から名前が読みづらいから変えてほしいという要請が出され、1969年に国土地理院から発行された地形図に記載されたことで今の「羊蹄山(ようていざん)」になったようです。・・ 》

 

 この記事で、今日に至る「羊蹄山」の名称の来歴はおおまか理解されます。ありがたいです。「羊のひづめ」は関係なさそうです。

 しかし、「有珠山ブログ」さんも書かれている「後方羊蹄」の「羊蹄」を「し」と訓む不思議。空論城城主の感じる語呂の悪さですが、なんとこの語呂ワル名称が、『日本書紀』に記されているんだという驚き。

 また、ネットをググりまくるわけであります。

 

 そして、神戸大学蓮沼啓介先生が今年(2024年)6月に「Kobe University Repository : Kernel」に上げられたばかりのPDFに行き着きます。

 

 

7)「ぎしぎし=しのね」登場

 以下また一部引用です。(読みやすいように適宜かっことか入れさせていただきました)

 

 《・・「しりへし」を和語と見て「しりへ+し」に分けた上で、「しりへ」を和語の 「しり+へ」と見て「後方」と漢訳し、残りの「し」を「しの根」と捉え、「しのね」を表す漢語である「羊蹄」に置き換えている(4)。実際には「しり」はアイヌ語の「 sir 」であり、利尻や国後や奥尻の「しり sir 」にあたる語である。沖合から見て山と見える島のことである。「へし」は「 pet 」という河や流れる水を意味するアイヌ語である。登別やサロベツに言う「別」や「ベツ」にあたる語である。・・》

 

 この記事によれば、「シリペツ(?)」というような蝦夷(エミシ)語がまずあり、それを和語に記録した最初の頃から「しりへし」という、和語の意味合い被せ気味のことばで書きつけられていたらしい、ということのようです。

 「しりへ=後方」の被せはその通りだったようですが、「し」が「しのね」というのはどういうことか、それについて文註(4)に少しヒントがあります。

 

 《(4)なぜ薬草であるしのねを中国では羊の蹄と呼ぶのか。その理由ははっきりしないが、羊の乳に似た白い乳液を出すので羊乳と呼ばれる薬草もある。後考を俟ちたい。》

 

 「しのね」というのは、川の土手や野原などに群生する「ギシギシ」のことらしいです。

 Wikipediaでは「ギシギシ」について以下のように説明してます。

 《ギシギシ(羊蹄[8]、学名: Rumex japonicus)はタデ科多年草。別名、シノネ、ウマスカンポオカジュンサイなどともよばれる。生薬名および中国植物名は、羊蹄(ヨウテイ)[9]。市街地周辺から山地まで分布し、やや湿ったところに群生する。春から夏に淡緑色の花を房状に咲かせる。食べられる野草としても知られ、ぬめりのある春の若芽を採取して利用される。根は便秘や皮膚炎に薬用される。

名称

 和名の由来は諸説あるが、正確な語源は明確ではない[10][11]。京都の方言に由来するという説や、子供たちの遊びで茎をすり合わせてギシギシという音を出していたことからこの名があるという説[10][11]が言われているほか、実が詰まってついていて、穂を振るとギシギシと音を立てるからともいわれる[12]。古い名称は之(し)で、根を薬用にしたため「之の根」(シノネ)の別名が生まれている[10]。・・》

 

 すなはち、「シリペツ(島河)」という蝦夷(えみし)ことばを「しりへし」と和語の意味被せ気味に記した最初の頃は、おそらくは「しりへ=後方+し=之」くらいだったのだろうけれど、その情報がだんだんと人づてに書き継がれ、言い継がれていくなかで、和人にとって「之」の字は「之の根」のことでもあり、漢語では「羊蹄」と書くというペダンチシズムが入り込み、「之」を「羊蹄」に置き換える人が現れ、また書き継がれ、おそらくは、古代の人々の中でもやがて、そのいきさつが曖昧になり、「羊蹄」が「之(し)」(助詞)として独り歩きし出した。ということのようです。定かではありませんが。

Wikipedia の 《 古い呼称は「之」で・・ 》の説明部分の典拠(10)というのが<田中孝治『効きめと使い方がひと目でわかる薬草健康法』講談社〈ベストライフ〉1995年2月15日>なのかどうなのか? それで合っているとすればそこを確認しないといけないと思うんですが・・。何を言いたいのかというと、お互いの説明が典拠になり合っている循環エラーを起こしていないか、心配しているわけであります。

 

 とまれ、『日本書紀』の「斉明紀」に「後方羊蹄」ということばが書き込まれたのは、このペダンチシズム含みのことば・知識が、既に一定の定着をみていたから、ということが言えるのかもしれません。

 我々は、7世紀前半から8世紀後半にいたる1世紀半の万葉の時代を、日本の黎明期、日本の古代というふうについ言ってしまうのですが、しかし、そのころの知識人たちは、『万葉集』に盛り込まれた漢籍の知識の奥深さから推定されるように、相当な博学多識の人たちであり、竪穴住居の未開人のようなイメージの人たちではなかったのは、間違いないようです。

 

8)念のための斉明紀確認

 念のため「斉明紀」の記載状況も見ておきたいのですが、手元の『日本書紀』(「日本の名著1」)では「斉明天皇」の段が割愛されています。他に現代語訳本を持っていなくて、目下正しいとされる訳がわからないのですが、Wikisource日本書紀から原文を写させて頂き、それに、空論城主のかなり適当な読みを付します(間違っていると思いますので予めご寛恕ください)。

 

《 ・・是月。遣阿倍臣。〈闕名。〉

 ・・この月、あべのおみをつかわす。〈その名を欠く〉

率船師一百八十艘討蝦夷國。

 船師180艘を率い、えみしの国を討つ。

阿倍臣簡集飽田。渟代二郡蝦夷二百四十一人。其虜卅一人。

 阿部の臣はつたえ集む、秋田、能代2郡のエミシ241人、その虜囚31人。

津輕郡蝦夷一百十二人。其虜四人。

 津軽郡のエミシ112人。その虜囚4人。

膽振■蝦夷廿人於一所而大饗賜祿。〈膽振■。此云伊浮梨娑陛。〉

 胆振(いぶりさへ)のエミシ20人にて、一所にて大饗を賜い碌を授けた。〈いぶり■ 此れをイブリサヘという>

即以船一隻與五色綵帛。祭彼地神。

 すなはち、船一隻と5色の綾布をもって、彼の地の神を祭った。

至肉入篭。

 シシリコに至る。

時、問菟蝦夷膽鹿嶋。菟穗名二人進曰。

 その時、トビウ・エミシのイカシマと、ウホナの2名が申し上げた

可以後方羊蹄爲政所焉。

 シリヘシを以って政庁と為すべきかな

〈肉入篭。此云之之梨姑。問菟。此云塗毘宇。菟穗名。此云宇保那。後方羊蹄。此云斯梨蔽之。政所盖蝦夷郡乎。〉

 〈肉入篭。これをシシリコという。問兎。これをトビウという。兎穂名。これをウホナという。後方羊蹄。これをシリヘシという。政所はエミシの郡を覆う?(=エミシたちのあちこちに居る郡全体を支配する?)

随膽鹿嶋等語遂置郡領而歸。

 イカシマらの語るところに従って、ついに郡領を置いて帰った。

授道奥與越國司位各二階。郡領與主政各一階。

 陸奥国と越国の国司にそれぞれ二階を授け。郡領と主政にそれぞれ一階を与えた。

〈或本云。阿倍引田臣比羅夫。與肅愼戰而歸。獻虜卅九人。〉

 〈ある本によれば、安倍の引田おみひらふ。ミシハセと戦いて帰る。虜囚9人を献じた。〉  》

  

 と、なるほど、「後方羊蹄」が、しっかりと、既成事実の認識っぽく記載されているのは、わかります。

 

 

9)あらためて「万葉集読解」さんの解釈を鑑賞

 以上のような、「後方羊蹄」の理解(定かであるかどうかはわかりませんが)を踏まえて、あらためて冒頭の、「万葉集読解」さんのこの歌の解釈をみてみます。

 「世人君羊蹄」を、「よのひときみし」と「羊蹄」が助詞の「し」として一般に訓まれることは重々承知のうえで、この歌の作者(未詳)は敢えて、「羊蹄」の「し」を「しのね=ギシギシ」であるという和語の元の意味に戻し、歌の意味の二重建てをしている、という見方です。

《 「梅は毎年春になると美しい花を咲かせるのに、なあ羊蹄(ぎしぎし)君よ。君も同じこの世の存在なのに、(梅のような)春はないものなあ」という歌である。 》

 

 そういう「華やかさ」と「地味さ」の対比の意味にもう少しこだわると。

 

 「ギシギシ」は雑草ですから園芸種のような花や、梅の華やぎなどと比べると確かに地味ではあります。

 この草は、Wikipediaでいうように、おそらく誰もが夏季の市街地、あるいは野山や川の土手などで見たことのある草で、80㎝~90㎝くらいの高さ、あるいは1mくらいの背丈になって、株立ちするのか、この草の盛んな時期には、雑草の中では割と賑やかに群れる感じなのです。

 花は確かに、小さな緑色の咢片のつぼみのようなものなので、色的には地味ですが、立ち上がる茎の"上部で分枝して、その枝先の節ごとに多数輪生する"(「野草・雑草の事典530」)ので、むしろ、川の土手歩き愛好家などには、雑草の中では一目でそれとわかるなじみ深い、むしろ「目立つ雑草」なのです。

 Wikipedia の説明にもあるように、古代には食用や薬用に用いられたようですから、古代の人たちにとっては、今われわれが想う何倍もの程度で、馴染深い草だったのではないでせうか。もちろんそれは「ギシギシ」に限ったことでもありませんが。

 ともあれ「之」ときたら「羊蹄(しのね)のし」、「あの(し)だべぇ?」みたいな反応が人々にあり、「梅の華やかさは、たしかにねぇけんど、俺らには欠かせねえ草だんべぇ」みたいなこの歌の歌意が、おおいに人々の共感をよんだのではないでしょうか。定かではありませんが。

 「万葉集読解」さんの解釈におおいなる賛同一票です。

 

・・・・・・・2024/9/19追記・・・・・・・・・・・・・・

 東京新聞 TOKYO Web に掲載されていた共同通信の配信記事

 <「弾薬庫爆発で地震観測 ロシア西部、衝撃規模物語る」

 (2024年9月19日 09時55分 (共同通信))

 18日、ロシア西部トベリ州トロペツで爆発した弾薬庫の衛星画像(マクサー・テクノロジーズ提供、ロイター=共同)

 【モスクワ共同】ウクライナ軍による無人機攻撃の影響でロシア西部トベリ州トロペツの弾薬庫が爆発、炎上したことに関連し、ノルウェー地震研究機関「NORSAR」は18日、同日未明から朝にかけてトロペツ周辺で17回の地震を観測したと発表した。マグニチュード(M)は最大2・5で、爆発による衝撃規模の大きさを物語った。(以下略) >

 

 ▶こういう戦争関連記事を、その内容がらみでなく引用するのは、好ましいことではないと思うのですが、ご寛恕ください。

 文中にある「トロペツ」というロシアの地名が気になり、Wikipedia を見てみたら、以下のような説明でした。

【 トロペツ(ロシア語: Торо́пец; Toropets)は、ロシアのトヴェリ州にある町。人口は1万1441人(2021年)[1]。州都トヴェリから西へ330kmのヴァルダイ丘陵西部に位置し、西ドヴィナ川の右支流トロパ川がソロメノ湖に流入する地点にある。

 ・・略・・ 町の名はトロパ川に由来する。トロパはロシア語で川の速い流れを表し、特にこの川が西ドヴィナ川に合流する地点での速さに由来する。 】

 

 ▶北海道のエミシことば「ペツ」と、なんか関係ありそうな気がすごくします。北海道には、確か樺太を南下してきた一団もいたような話あった気がするので、関係あんじゃないすかね。定かではないんですが。