1)第9段 要旨
前段で、久米仙人の「通(神通力=脱俗性)」を奪い、久米仙人をただの凡俗に貶めた、「色欲」中の「性欲」の恐ろしさを兼好はあらためて述べ、諸賢の注意喚起を促します。
中で、兼好が観察している「睡眠不足もお構いなしに、色恋に熱を上げる女」のしどけなさは、第3段で描かれた、夜露に打たれながら、やはり寝不足がちに夜を彷徨う「色好み」の男を思い出させます。
実はこの描写は『源氏物語』「空蝉」の中にある「恋に溺れた女」の描写とほぼ同じだと、安良岡先生が脚注で指摘されています。
てことは、兼好さんにとっての「色好み」の男女の姿は、ある意味ステレオタイプであり、兼好さんがホントにそういう風俗目撃して書いたの?って疑念が若干湧きます。
0)前置き
以下の4点を参照しつつ『徒然草』を下手の横好き読解しています。
①旺文社文庫『現代語訳対照 徒然草』(安良岡康作訳注/1971初版の1980重版版)
②ネット検索
③『角川古語辞典』(昭和46年改定153版)
④中公新書『兼好法師』(小川剛生著・2017初版の2018第3版)
2)第9段 本文
女は 髮の めでたからむ こそ 人の目 たつべかめれ。人のほど、心ばへ などは 物うち いひたる けはひ に こそ 物ごしにも 知らるれ。
事にふれて、うちある さまにも、人の心をまどはし、すべて 女の うちとけたる いもねず、身を をしとも 思ひたらず、堪ふべくも あらぬ わざ にもよく 堪へ忍ぶは、たゞ 色を 思ふがゆゑ なり。
まことに 愛着の道 その根深く 源とほし。六塵の樂欲 おほし といへども、 皆 厭離 しつべし。その中に たゞ かの まどひ の ひとつ やめがたき のみぞ、老いたる も 若き も、智ある も 愚なる も、かはる 所 なし とぞ 見ゆ。
されば 女の髮筋にて よれる綱には、大象(だいぞう)もよくつながれ、女の はける あしだ にて 作れる 笛には、秋の 鹿 必ず よる とぞ いひ 傅へ侍る。
みづから いましめて、恐る べく つゝしむ べき は この まどひなり。
3)第9段 訳
女性の髪が美しいのこそ人の注目を集めるようだが。
【女の髪には魅力がある】
人の身分や、こころの表れぐあいなどは何気なく喋るその喋り方で、(几帳などの)物で隔てられててもわかるものだ。
【人は喋り方で分る】
何につけ、普通にしている様子にも、男の心迷わせ、総じて、女性がくつろいだ睡眠も取らず、そんなわが身を残念にも思わず、耐えがたきことの次第にも耐え忍ぶのは、ただ色事を思う心からなのだ。
本当に色恋(愛情への執着)の道筋の根は深くその淵源はさらに奥深い。
【色恋の根源は奥深い】
人が追い求める欲望は多いが、皆捨てて遠ざかるべきだ。 その中で、ただ、あの(色欲の)妄念の中の一つ(性欲)が終りにできないのは、老いも若きも、悧巧も馬鹿も、なんら変わりがないようだ。
【人は色欲に勝てない】
だから、女の髪で撚った綱は、大きな象すら繋ぎ、女の履いた下駄で作った笛(の音)には、秋の鹿が必ず寄ってくると云い伝えている。
自分をとどめ、恐れるように謙虚に畏まらなければならないのは、この(色恋の)惑いなのだ。
【色恋に陥らぬよう身を慎め】
4)ことば とか あれこれ
以下、本段で、読みにくかったり、気になったりしたことばを追います。「色欲」関連のことばの世界や、そういうことばを用いた兼好の心もちが、どんなもんだったのかが気になるわけです。
〇すべて女のうちとけたるいもねず
「すべて」+「女の」+「うちとけ+たる」+「いもね+ず」らしいです。
●「すべて【総て】」副
意味:①全部合せて。合計。(用例:古今・序)
意味:②総じて。だいたい。(同:紫式部)
意味:③(下に打消の語を伴い)全然。まるで。(同:方丈)
●「うちとく【打ち解く】」
[1]自カ下二
意味:①心を打ち明けて親しむ(同:源・末摘花)
意味:②くつろぐ。気をゆったりと持つ。(源・明石)
意味:③気を許す。油断する。(同:源・夕顔)
[2]他カ四
意味:解く(同:枕141)
●「い【寝】」名
意味:ねること。睡眠。(用例:万3665)→やすい
●「いをぬ【寝を寝】」(※「い【寝】」の子見出し)
意味:ねる(同:万4400)→いぬ
★上の「すべて【総て】」は、そのあとに「うちとけたるいもねず、~、~」と女の様態を並記することへの表現のようなので、③の、「打消を伴う表現」の方ではなく、②の「総じて」の意味ととりました。。
「いもねず」は、「い(寝)」も「ね(寝)」も同じ漢字をあてるので紛らわしいのですが、「い(寝)」は名詞で「睡眠」のこと、「ね(寝)」は、自動詞ナ行下二段「ぬ(寝)」の打消助動詞「ず」に繋がる未然形なんだ、ということが了解出来ると、「睡眠を(が)とれない」という現代の言い方と同じことだとわかり、だから「いをねず【眠を寝ず】」も同じことなんだと了解できます。
「そうじて女がくつろいだ睡眠もしないでいたり、~、~」という意味になるわけです。
★因みに、『源氏物語』「空蝉」の当該部分を「『源氏物語』の現代語訳」さんから引用させて頂きますと
<原文>
女は、さこそ忘れ給ふをうれしきに思ひなせど、あやしく夢のやうなることを、心に離るる折なきころにて、心とけたる寝だに寝られずなむ、昼はながめ、夜は寝覚めがちなれば、春ならぬ木の芽も、いとなく嘆かしきに、碁打ちつる君、『今宵は、こなたに』と、今めかしくうち語らひて、寝にけり。
<訳文>
女は、あれ以来、源氏の君からお手紙がない事を嬉しいと思おうとしていたが、不思議な夢のような出来事を心から忘れる事もできず、ぐっすりと眠ることができない頃であった。昼間は物思いに耽り、夜は寝覚めがちで、春ではないのに『木の芽』ならぬ『この目』も、休まる時がなく物思いに沈みがちである。碁を打っていた娘は『今夜は、こちらに』などと言って、今風の女の子らしくおしゃべりをして、寝てしまうのだった。
★この部分読むと、兼好が描こうとした「色好み」の男や女は、ああこれなんだと思いますね。
また、9段文中の「人の喋り方でその人物がわかる」っていうのは、紛れもない兼好自身の考えなんだろうと思いますが、「物で隔てられてても」わかるっていうのは、源氏「空蝉」のこの文章のすぐあとにも、喋り方の話ではないですが、「几帳」の向こうとこちらでの「源氏の君」と「若い女」の駆け引きのような記述があります。なるほど、この世界ねとまた首肯します。
★安良岡耕作先生からは、「だから言ってんじゃないの」って言われそうですが、兼好の王朝文学崇拝・憧憬が一枚挟まれているらしい、兼好のもの言いは用心しないとですね。
〇うちいふ うちあり うちとく
「うち・・」ことばが続き、気になり見てみました。
「うち【打ち】」は接頭語で、動詞について種々の意味を添えると、角川古語辞典にあります。
イ)ふと・・
ロ)一面に・・
ハ)すっかり、全く・・
などが主な意味のようです。
動詞との間に「も」がつく場合もあるようです。
(用例:「打ちも笑ひぬ」徒然30)
★「打ち」のつく見出し語は沢山あります。ここに上がった三つのことばは、たまたま中古中世からのことばですが、「うちあぐ【打ち上ぐ】」(顕宗紀)や「うちかひ【打ち交ひ】」(万3482・別伝)、「うちきたむ【打ち罰む】」(皇極紀)、「うちきらす【打ち霧らす】」(万1441)などなど、上代からのことばもたくさんあります。
接頭語「打ち・・」の言い方は、上代からあった言い回しです。
●「うちいふ【打ち言ふ】」他ハ四
意味:ふと言う。何気なく言う。(用例:源・蜻蛉)
●「うちあり【打ち有り】」自ラ変
意味:①ある。いる。(同:紫式部)
意味:②さりげなくいる。さりげなくある。さりげなくしている。(同:徒然9・10)
意味:③ありふれている(同:今鏡・すべらぎ・下)
●「うちとく【打ち解く】」上述。
★「うちいふ」と「うちあり」は、「打ち・・」の イ)の「ふと」「さりげなく」の使い方で、「うちとく」は、「打ち・・」のハ)の「すっかり」の使い方ですね。
次の10段でも「うちあり」が登場。最近はやりの「なにげに」みたいな口調が兼好のマイブームだったんでせうか。
〇愛着(あいぢゃく)
●「あいぢゃく【愛着】」名 〘仏教用語〙
意味:愛情に執着すること。(用例:徒然9 ※本段です)
〇六塵の樂欲(ろくじんのぎょうよく)
★まず「六塵(ろくじん)」については、
「六識(ろくしき)の知覚の対象となる六つの境界(きょうがい)。 色(しき)・声(しょう)・香(こう)・味(み)・触(そく)・法(ほう)の六境(ろっきょう)をいう」とある (浄土真宗系の知識に基づくらしい「WikiArk」の説明)。
★前の第8段で、「眼、耳、鼻、舌、身」という人の五つの感覚器官「五根」から引き起こされる五つの刺激、もしくは感覚対象が「色、声、香、味、触」でありこれを「五境」といってました。
その刺激への執着が「五欲」または「五塵」でした。
その感覚器官が引き起こす刺激(または感覚対象)に「法」が追加になるということらしく、そしてその刺激を引き起こす器官を「意根」というらしいです。
★つまり「意識」が「感覚器官」の扱いを受けているらしい。「第六感」ということばもここに由来するらしいです(「Wikipediaのia の「六根」他の説明)。
★「樂欲」は仏教用語で「ぎょうよく」と読み、願い求めることらしいです(コトバンク「精選版 日本語大辞典」)。
「樂」「楽」を「ぎょう」と読むのかと思って大修館「新漢和辞典」みたら「字音」の違いは4種あって、その中の3種めに、「ゴウ(漢音?)」「ギョウ・ゲウ(呉音?)」の違いがちゃんと書いてありました。
仏教世界の特殊な言い回しかと思ったのですが、そうではありませんでした。
★でも、この音が「呉音」で間違いないとすると、仏教(仏典?)伝来は、やっぱ相当、古い段階だったってことになるんでせうか?
すでに調べ尽されている世界でアホなこと言っている気がしますので、ここらにしときます。
因みに、熟語見出しの中に「樂欲」はありませんでした。特殊な仏教用語だからでせうか。
とまれ、「六塵の樂欲」は、「すべての欲を追い求めること」でいいかと。
〇厭離(えんり/おんり)
●「えんり/おんり【厭離】」〘仏教用語〙 角川古語辞典の説明
意味:〔厭離穢土(えんりえど/おんりえど)〕と同じ(用例:徒然9 ※また本段)
●「厭離穢土」
意味:汚れているこの世を嫌い離れること。(用例:浄・大原問答)
〈対語〉欣求浄土(ごんぐじょうど)
〇まどひ
●「まどひ【惑ひ】」=(まとひ室町期) 名
意味:迷うこと。迷い。妄念。(用例:徒然9 ※またまた本段です)
★こういう仏教世界の周辺にありそうなことばや、あるいは仏教用語そのものの用例が『徒然草』を典拠とすることが多いってことは、『徒然草』が知られているからもあるでせうが、やっぱ、『徒然草』がそれだけ多くそれ系のことばを使っていなければ、そうはならないので、そのあたりに、それらのことばを多用する、兼好のペダンチシズムみたいなものもきっとあったんじゃないすかね。
兼好の仏心や、ストイシズムを肯定される方面からはお叱り受けそうです。
★兼好の仏心やストイシズムは決して否定しません。むしろ、間違いなくあったと思っているほうだと思います。だから、こういう方面の知識もある程度深かったとも思っているのですが、その一方で、兼好は知性の人であることは間違いありませんから、現代人的な「知を楽しむ」姿勢っていうんですかね、それを兼好が持っていたのも間違いないと、どう見ても思われるわけです。
ペダンチシズムという言い方は誤解を招くかもしれませんが、「知の人」兼好の一面にはそれが感じられるわけです。
定かではありませんが。
〇女の髪筋にてよれる綱には大象もつながれ
これは、『五苦章句経』の句が出典もとになっていると安良岡先生の脚注にあります。
★ググったらコトバンクの説明がありました。
<「女の髪の毛には大象もつながる」 女の、男をひきつける力の強いことのたとえ。
[解説] 中国東晋の「五苦章句経」で、足を女の髪の毛でしばられて動けなくなった象を、煩悩(妻子などに対する愛情)にとらわれて悟りに至れない人にたとえていった一節によることば。
これが転化して、女の魅力(魔力)そのものをさして言うようになったと思われます。英語では、「One hair of a woman draws more than a hundred yoke of oxen.(女の髪の毛一本は二百頭の牛より引く力がある)」といい、洋の東西を問わず、似たような発想がみられます。 >(コトバンク 出典 ことわざを知る辞典)
★ことわざだけかと思ったら、実際女性の髪で綱を縒ることあるらしいです。
同じくコトバンクの「毛綱(けづな)」ということばでヒットしたのですが、「紐」信仰の話のようです。
<「け‐づな【毛綱】〘名〙 毛髪をよってつくった綱。女性の毛髪で編んだ綱。〔和英語林集成(再版)(1872)〕 >
<…紐を信仰と結びつけて用いる例はいくつもあり,神道では拝殿前の垂(たれ)紐を引いて神鈴を鳴らすことにより,また山車(だし)の綱を引っ張ることによって,神の声をきき,神の加護をうけることができるとしており,これは神と人を結ぶ役目を果たすものである。
諏訪大社の御柱曳綱(おんばしらひきづな)をはじめ東大寺の開眼縷(かいげんる)(筆に結びつけた紐を各僧侶が握る行事)や、延暦寺,東本願寺の毛綱(けづな)なども同じ思想にもとづく紐である。
仏教の世界では人間をこの世(俗界)から仏の世界(浄界)に救い上げるためには浄界から降ろされた綱につかまれといい,《栄華物語》によれば,藤原道長は臨終の折に,阿弥陀如来の手を通した五色の糸を握っている。… > (コトバンク 出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版)
★久米仙人の落下が、古代日本の「神婚神話」の残照を留めていたかもしれなかったように、女の髪を綱に縒ることは、わが国古層の民俗にあったのかもしれない、という話かと思います。
そこに、仏教的な想念の絡まりが密であった感じもしますし、読書感想文派の手に負える問題ではないので、これ以上深追いしません。
★因みに、「左大臣どっとこむ」さんは、《『語句(五苦の誤記かと)章句経』に大象の足を髪の毛でつないだところ動けなくなった記事があるが、「女の」髪の毛とは言っておらず、これが出展かどうかは不明。》と書いておられます。
★ネットに上っている奈良国立博物館の「五苦章句経」の写真撮影したらしいものを見ましたが、「象」とか「女」とかの文字見当たらず、これでいいのかどうかさえさっぱりわかりません。とりあえず、その点も含めて時間解決トレー入れにするしかありません。
〇大象(だいぞう)
2023年11月11日のNHK「ブラタモリ」は「鯖街道(福井県・小浜市)」でした。
その中で、1408年(室町時代初め)、東南アジアから若狭湾に着いて「鯖街道」を京都まで歩いた「象」の話も出ていました。
ネットググると、一般的にこの象が日本にやってきた最初の象と言われているようです。
★1408年は、兼好が没したと推定されている時期から約半世紀後のころです。
ですから、兼好は、この象をみていないわけですが、「象」のことを書いているのは、Wikipediaの「ゾウ」によると、日本人が上代から「象」の認識を持っていたから、らしいです。
<「ゾウ」は漢字「象」の音読み(呉音《 ⇦漢字到来の古い段階の音です》)。「象」の字は、古代中国にも生息していたゾウの姿にかたどった象形文字であるとされる。
これとは別に、日本にはゾウがいないにもかかわらず、日本語には「きさ」という古称があり、『日本書紀』では象牙を「きさのき」と呼んでいる。
『和名抄』《=『和妙類聚抄』⇦平安中期》には、「象、岐佐、獣名。似水牛、大耳、長鼻、眼細、牙長者也。」などの記述がある。ほか、『うつほ物語』、『宇治拾遺物語』、『徒然草』、江戸時代の『椿説弓張月』などにも「象」の記述がある。>(Wikipedia)
★『源氏物語』より前に成立した『うつほ物語』のほうは未確認ですが、鎌倉前期、兼好が生まれる半世紀以上前頃にできた『宇治拾遺物語』の方は、◆「左大臣どっとこむ」さんのサイトで現代語訳が読め、「 8-6 猟師、仏を射る事」に普賢菩薩の乗る象が出てきます。
また、ネットをググると、花祭りの白象は釈迦生誕の時に釈迦を運んだ象の表象というような話が溢れており、仏教説話などを通じ「象」は「麒麟」や「竜」のようにポピュラーな生き物だったようなのです。
★先日のNHK「フロンティア 日本人とは何者なのか」の古墳人(ってことは3世紀~6世紀人)のことなんか考えあわせたりすると、「象」知識があっても全然不思議じゃないようにも思えるわけですが・・。
でも、たしか『古事記』とか『万葉集』にアシカやワニは登場してたのに、真っ先に登場しそうなゾウさんが登場しないのはなぜでせう。
こういうところを、「古墳人説」は一つ一つ解決していかねばならないのでせう。
★とまれ、仏教的知識とともに、大きなゾウの認識はスタートしたってことは結構確度が高そうですが、定かではありません。
★「象」を「キサ」と呼ぶ件については、「国学院デジタルミュージアム」さんの新沢典子先生(?)の以下の説明をパクらせて頂きます。
< 動物の象の古名。象をキサというのは、象牙の横断面に橒(きさ)(木目の文)があるためである(『萬葉動物考』)。『和名抄』《⇦平安中期》に「和名 伎左」とある。天智紀《⇦7C奈良時代》に「象牙(きさのき)」とあり、当時すでに象牙の輸入されていたことが知られる。『拾遺集』《⇦鎌倉前期》にも「きさのき」(巻7-390、物名)を詠んだ歌がある。
その一方で、『名義抄』《⇦平安中期終り頃》に「キサ キザ サウ」、『色葉字類抄』《⇦平安末期》に「象 セウ 平声 俗キサ」とあり、平安期には「キサ」「キザ」の他に、「サウ」や「セウ」ともいったらしい。
万葉集には、「象山(きさやま)」「象(きさ)の小川」「象(きさ)の中山」と見えるが、いずれも、現在の奈良県吉野郡吉野町にある喜佐谷周辺の地を指したもので、動物の象とは無関係。象山は、弓削皇子の歌(3-242)にも詠まれている三船山と向かい合っており、これらの山の間に象谷(喜佐谷)がある。
「象(きさ)」の地名は、橒(きさ)(木目文)の如き、ギザギザと蛇行した谷に由来するという(『角川日本地名大辞典』)。象谷に沿って吉野川の支流である象川が流れている。象川が吉野川にそそぐところを「夢のわだ」といい、この地もまた万葉歌に詠まれている(3-335、7-1132)。 >
★整理すると、
動物の「象」を「キサ」という云い方は、奈良時代から、平安時代を経て、鎌倉前期頃まで続いていた。
一方で、「サウ、セウ」と言い方が平安中期ころから記録されるようにもなっていた。
「キサ」は、ギザギザ蛇行がおおもとの意味で、「象山」「象川」なども動物の「象」由来でなく「ギザギザ」由来の地名、ということになるかと思います。
★ネットで、象牙の写真を見ると、たしかに象牙を輪切りした部分にある年輪のようなものの線が、波形が乱れるみたいにギザついているところがあります。
こんな微視的なところから「キサ」の第一印象がスタートしたってことは、あのでかい体よりさきに、象牙の輸入が先行したってことの証左かなとか、妄想を逞しうするわけであります。
★「キサ」と言った段階では「大象」の想念なしに「象」の字を使っていたんじゃないか? 奈良時代の日本書紀編纂者たちが記した「キサ」「象」はその名残?
『和妙類聚抄』(平安中期)に「象」「大耳」「長鼻」と記したころには、すでに「大象」認識が広まっていた? てな妄想です。
・・・・・・・・・・2024/06/28 挟み込み追記・・・・・・・・・・・・・
ネットに上っている、藤ノ木古墳の映像『藤ノ木古墳の発掘調査~未盗掘古墳の世界~』をみていたら埋葬品の馬具(鞍?金銅製?)の装飾部分に見事な象の透かし彫りがありました。藤ノ木古墳は6世紀第4四半期の頃のものと見られているらしい(Wiki)ので、それはちょうど用明、崇峻、推古といった天皇の頃のようです。聖徳太子や蘇我馬子なんかは、「ぞう」の認識を得ていた可能性高そうです。一般的な認識であったかどうかはわかりませんが、上で、平安期頃に「大象」認識が広まったみたいに書いていますが、それはそうかもしれませんが、飛鳥時代の初めころにも、象の認識を得ていた人たちは確実にいた。ということも、間違いなさそうです。
・・・・・・・・・・・・・挟み込み追記 以上・・・・・・・・・・・・・・・・
★さて、だいぶ話飛んでの「象」(形の意味の方)の字がらみの余談です。
日本人は古代「水の神」を、「みづはのめのかみ【弥都波能売神】」(古事記)、「みつはのめのかみ【罔象女神】」(日本書紀)といっていたようです。
「みつは/みづは」の意味は、「みつ/みづ」のおそらく「み」が「水」で、「は」は
●「みづはな【水端】」
意味:①水嵩の一番上。水の出始め。出端。(用例:万4217)
という万葉語があることからすると、
「みづは」は「一番最初の水」というようなニュアンスだったんじゃないかと妄想します。
★一方、「罔象」という漢字はなんなのか。
「罔」を「漢字ペディア」で見てみたら「あみ【網】」の意味のほかに、「(道理に)くらい」「おろか」「あざむく」「ない。なし。(否定の語)」というような説明があり、慌てて、新漢和大辞典みたら、「もうしょう【罔象】」という漢字がちゃんとありました。
国字ではなくれっきとした漢語でした。「みつは」という日本語に、その意味を持つ「罔象」という漢字が当て字された、ただそれだけでした。
漢語の意味は、①ただよう ②虚無 なにもないこと ③水中の妖怪 一説に水神の名。とありました。
しかし、漢語で「水神」という「水神」を表すことばもあるのに、なぜこんなマイナーそうな漢字のほうが選択されたのか?
「水神」とか「河伯」「水伯」は男神なんでせうか? 「罔象」は女神もしくはジェンダーレスだったのでせうか?
〇女のはけるあしだにて作れる笛には、秋の鹿必ず寄るとぞいひ傳へ侍る
安良岡先生の脚注に「秋に雄鹿が雌鹿を恋い慕って鳴くので、猟人は鹿笛で、鹿を誘い出す。当時行われた諺の類。」とあります。
この「当時行われた諺」が、どこか他にも痕跡ないかと探しましたが、見当たりませんでした。どこかにあるかとは思いますが。
◆一方、「科学基礎論研究(J-STAGE)」さんのサイトにあるお茶女子大学生活科学部の小池 三枝先生(?)が書かれた「服飾を読む 服飾美学研究の方法」によると、
江戸初期の着物の柄の中に、鹿の角と足駄片方の組合せを秋草の中に描いているものが有るそうなんですが、それは当時(1688刊)の文様図案集『友禅ひいながた』のなかで、
「女のはけるあしだにてつくれる笛には秋の鹿かならずよるとか」
という説明書きが添えられており、また扇絵の図案には、女の髪と象を描いたものがあるなど、『徒然草』第9段を題材にしたものと確認できるとともに、江戸期における『徒然草』人気ぶりがうかがえるようです。
なので『徒然草』以後、この諺が『徒然草』といっしょに人口に膾炙していったのは間違いなさそうですが、『徒然草』以前の痕跡は掴めずにいるという次第です。
〇秋の鹿
「たのしい万葉集」さんが「鹿」の歌を68首集めておられます。
それを見渡すと、「鹿・さを鹿」「妻恋ひ・よぶ声」「萩・秋萩」などのことばの組合せは溢れてますが、「笛」は一つも見当たりません。
万葉の時代には、まだ、「鹿」と「笛」の発想はなかったようです。『源氏物語』や『枕草子』などでも「笛」は優美な楽器の発想のみで描かれているようです。
★コトバンクの「ししぶえ【鹿笛】」の用例は「源平盛衰記」(鎌倉時代前期頃)が上ってます。古事類苑データベースで検索しても、『源平盛衰記』の他は、『尺素往来(せきそおうらい)』(室町時代中頃)など中世以降で、上代・中古の用例はヒットしません。
定かではありませんが、「鹿と笛」の想念は中世以降に醸成されたもののようです。
★安良岡先生が言われる「当時」というのもまさにこの頃ということになるのでせうか。むちゃくちゃ定かではありませんが。
〇いましむ
●「いましむ【戒む・警む】」他マ下二 角川古語辞典の説明、
意味:①教えさとす。注意する。(用例:枕262)
意味:②とどめる。禁止する。(栄花・花山)
意味:③いやがる。嫌う。(宇津保・藤原君)
意味:④縛る。監禁する。(平家・2)
意味:⑤とがめる。罰する。(宇治拾遺9)
★「いましむ」は、第7段で追っかけた「いみじ」(恐ろしい。並々でない。等の意味)から遡った「忌む」(慎む。憚る。)を源流にすることばと同系統かと思います。
「いまいましい」という形容詞は、現代では「憎たらしい」の意味で使いますが、平安時代は「忌み慎むべきだ」「憚るべき」などの意味合いだったようです。
★そして慎むこと憚ることを他者に強いることが「いましむ【戒む】」だったかとのではないかと。
〇つつしむ
●「つつしむ【慎む・謹む】」他マ四
意味:①物忌をする。斎戒する。(源・帚木)
意味:②謙虚な気持ちで畏まっている(枕115)
「つつしむ」の②の「謙虚な気持ちで畏まっている」は、上述の「いましめ」を受けた側の姿勢をいうことばのようです。
でも、「つつしむ」のおおももとの意味は、①の「物忌をする」のほうにあるんじゃないかと思うんです。
「つつしむ」の「つ」は、「ひとつ、ふたつ」の「つ」(万276)で、「点」を意味するのではないかと思っています。
★以下、また、ダラダラと「つ」のつくことば見ていきます。
●港の「津」(万1780)は、船を着ける「箇所」(地点)か「水」か悩み中。
●「つかさ【長・首】」意味:主だった人等(万4122)は、
●「つかさ【阜】」意味:小高い所(万529) からしても、一人だけ、一所だけ高い意味かと。
●「つかはす」(推古紀)や
●「つかひ」(万2529)は、
●「つかふ【仕ふ】」(万457) などのことば、ある点に「付着」するために行かせることや行かされる人のことかと。
●「つがふ【継ふ】」(万3329) は端の点と端の点を結節させることのようですし、
●「つがりあふ【鎖りあふ】」(万4106) も、点と点とがいくつも結節していることを云いたいようです。
●「つなぐ【繋ぐ】」(斉明紀) は、点を結節させるのでなく絡ませるのかどうか。
●「月」は空に浮かぶ点というよりは、「月変ふ」(万313)などからすると、区切りの意味合いなのかもしれませんが微妙です。
●「付く」意味:付着(万1376)、
●「着く」(万3688)意味:到着。 などは一点付着そのもの。
●「突く」意味:刺す(万4218)も、 ある一点が主眼か。
●「つく【漬く】」意味:浸る。水に濡れる(万1381)は、
●「つばく【唾吐く】」(記・上)、
●「つゆ【露】」(万3933) などと同系で、ここの「つ」は、点というより「水」そのものかもしれません。「津」とともに悩んでいるところです。
●「つく【吐く】」意味:呼吸する(記・中)は、吸って吐いての、息に折返し点を打つ意味でいいんじゃないかと。
●「つく【盡く】」(万99)は、最後の一点、一端の事でせう。そこに至ったことが「つひに【終に】」(万2591)なんでせう。
●「つづしろふ【嘰ふ】」(万892)は少しづつ食べること。
●「つどふ【集ふ】」(万4329)もある一点に皆が訪ふことで、
●「つとむ【勤む】」(4466)も一所で懸命になること?。
●「つむ【積む】」(万3848)や
●「つもる【積る】」(万2303)は、ある点で「つ」を重ね上げることで、
●「つむ【抓む】」(万4408)は指先(爪先)の一点でつまみ、
●「つむ【摘む】」(万3973)は、一点でつまみ"取る"ことでは。
●「つら【蔓】」(記・中)や
●「つらなむ」意味:連ね並べる(万4187)、や
●「つらら」(万3627)や
●「つららく」(記・下)などは、点をいっぱい並べ繋ぐ感じかと。
●「つれなし」意味:縁がない(万2247)も、横に並ぶ点がない感じのようです。
★で、「つつしむ」は、ある一点にじっとしていることではないか!と思うのですが、「つつみ【恙み】」病気。悪いこと。(万894)、「つつむ【障む・恙む】」差し支える。故障を起こす。(万4514)という障害系の上代語がすぐそばにあって、意味的にも近く、この辺の整理でまだなんとなく合点がいきません。
「つつむ」「つつみ」も、ある点でつっかってすんなり行かなくなることかなという気もするのですが。