老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

フロンティア 日本人とは何者なのか これから期待

 

 

1)12月11日(月曜日)夕方

 

   夕飯の支度をしていたら、母の見ているテレビに

   古代人のDNA分析で有名な篠田謙一さんが出ていた。

 

   おおっと思って

   夕食後、ネットググる

 

   『フロンティア 日本人とは何者なのか』

   12月6日(水)に放送されたものの

   再放送だったらしい。

 

   NHKプラスで探したが、無かったので、

   やむなく、NHKオンデマンド申し込んでしまった。

 

   受信料払ってて、その上に

   サブスク月料990円って正直納得できないが

   

   コンテンツに負けてしまった。

 

 

2)古墳人ってそういうことか

 

   1年か2年くらい前に

   日経新聞(今は定期購読していないが)に

   覚張先生の「古墳人」記事が出ていた。

 

   その記事は、小さなものだったので

   「古墳人」の意味合いがいまいちわからなかったが

 

   今回の番組でやっと

   (この番組の意図を正しく理解したかどうかはともかく)

   わかったような気がした。

 

 

3)コスモポリタンな古墳人

 

   日本列島に縄文海進で閉じ込められたガラパゴス的な

   縄文人

 

   そこに大陸北東部の文化を携えてやってきた

   弥生人

 

   そして、中央アジア辺りで(?)の

   さかんな文化交流、人種混淆を経たのちに訪れた

   古墳人

 

   というような見立てのように理解しました。

 

   日本人の顔が

   西洋人っぽかったり

   中央アジア的だったり

   東南アジア的だったり

   中国人ぽかったり

   朝鮮人ぽかったりと

   多様だったのもなんとなく合点がいったし

 

   あるいは、地域の祭りがバラエティなのも

   いままでは、和人というくくりの中の多様性と

   むりやり思い込んでいたのだけど

   そんなに無理する必要はなかったのかもしれない

   とか思った。

 

 

4)和人(やまとびと)、日本人とは何者なのか

 

   今後は、あらためて

   柳田國男をはじめとする

   従来の民俗学が考究してきたものが

   洗い直しされるんでせうか?

 

   ただ、

   読書感想文派のような人間が

   柳田國男の本の中に感じる

   日本の古層のひとまとまりの文化あるいは

   その担い手たちというようなものも

   たしかに居て、あったような気もするので

   

   そういうコスモポリタンな渡来人たちも

   それぞれの個性を担いつつ

   やがて日本に住まう人々全体を覆っていった

   政治や社会的なシステムの発展の中で

   やがて日本人・和人としての

   一体性を獲得していった

   というようなことなんでせうか?

 

   いやあ、たしかに知のフロンティア

   また一つ見えてきましたね

   日本人とは何者なのか

   今後、楽しみですね。

 

 

  ※2023/12/25追記

    NHKオンデマンドで、その後の「フロンティア・・」を観て、わかりまし

   た。このシリーズは、今現在のいろいろな研究とか学識の最前線にいる人た

   ちを取材することで、今現在の知の最前線を知ろうというものなんですね。

 

    てっきり、昔の「はるかなる旅 日本人」のような、「日本人とは何か」

   をずっとやるのかと、勘違いしておりました。

 

    だから、本来ならば、タイトル表記の「フロンティア」は、「フロンティ

   アーズ」が正しいというか、実はこっちがタイトルそのものなので、「フロ

   ンティアーズ」であってこそタイトルとして成立するはずなのに、英語慣れ

   しているとはいえ、単数、複数の違いはまだまだ日本人にカチッとした印象

   与え憎いし、字数多くてダラダラするし、「フロンティア」のほうがタイト

   ルとしてバチっと決まる! というご判断だったんでせうが、でも、読書感

   想文派は、誤った判断だったと思いますね。

 

    「AI」の番組で、外国人の学者が英語で喋っている映像時に、以前だった

   ら、全部日本語音声が被せられていたのに、今回は、字幕だけだった。なん

   か新しかった。もう、日本語音声被せる時代じゃないだろうという感性感じ

   た。

 

    そういう試み行いながら、タイトルが「フロンティア」はどんくさくない

   すかね。正々堂々と『フロンティアーズ』と銘打って、日本人の単数、複数

   感性をおおいに刺激するところにこそ、意義があったんじゃないすかね。