老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

蜻蛉の日記読みかけて睦月尽

 

 行き場なき争いの世の冬深し

      昭和99年2月1日

 

1)あっというまの2月

 『徒然草』第12段読解の中、「をかし」の中古~中世の用例を追っかけ出して『蜻蛉日記(かげろうにき)』にはまる。また、わからないことばのネットサーフィンしながら読んでいたら、上巻だけで1月が終わってしまった。

 その、上巻迄を読んだところでの感想文。

 

2)正直でいい『蜻蛉日記

 紀貫之(きのつらゆき)の『土佐日記』は(ほんと、またザックリの感想ながら)貫之の風流設定の語り口が、あざとい感じなんですけど、『蜻蛉日記』は、著者"道綱(みちつな)の母"の正直な気持ちがストレートに記されていて、この時代の心持ちのリアルが伝わってきて面白いです。

 

3)道綱母さんは兼家(かねいえ)の妻の一人

 道綱母さんは、1月から始まったNHK大河ドラマ『光る君へ』時代の人。段田安則さんが演じている藤原兼家の妻の一人なんですね。時姫(演者:光石琴乃さん)が正妻で、よくわかりませんが、2番目か3番目くらいなんでせうか。だから道綱は兼家(段田さん)のお子さんなんですね。

 道綱母さんは、なんていうか、乞食や目の見えない人を見て、可哀想に思ったりもしますが、そういう人たちのそばを(牛車で)通って、穢れた気になることも、正直にというか、無神経に書いてくれる、まさに時代に正直なセレブ奥さんです。

 

4)ノリのいいほうでもない

 兼家の求婚にもどちらかというとノリが悪くて、兼家さん手を焼き、面倒くさくなったりもします。

 恋に飛び込むタイプではなく、お父さんやお母さん姉さんといった家族が身近にいないと心細くてたまらないタイプのようです。ただ、これは、母系制というような話もからむような気がするので、「恋に飛び込む」というような現代的なものさしがどこまで有効なのかってこともあるかもしれませんが。ただ、突き詰めた所でどっち側に転ぶ人なのかって、やっぱ男女間の心の最後のきずな部分にからみます。兼家さんもそういうこと考えたかもしれません。 

 道綱が生まれて、兼家の足が遠のくと、使いの者を使って兼家の動向探偵させたり、その腹いせに送る歌の文には「色褪めた菊の花」添えたりするので、兼家は余計に平然と他の所に通ったりします。また、遠のいては、またやってくる兼家の言い訳ののらりくらりぶりも、道綱母さんがいうとおり無神経です。まあ、あっちこっちに女性がいたらそうなるだろう、よくそんな面倒なことやるよと、ほぼ呆れ、恐ろしくもなります。

 道綱母さんは、兼家が頻繁に通っていた他所の女に子が生まれて、その女性やその家がにぎわうと腹がたち、でも産後、そこから兼家の足が遠のいたりすると「してやったり」の快哉さけんだりします。

 また、別の女性のところでも兼家の足が遠のき、心細くしている風なので、おなじような気持ちを慰めるつもりなのかなんなのか同情の手紙を送り、「恋敵に送る手紙のほうが気色悪いわ。遠のかれていく人の身の上楽しんでるの?」と、反発くらいます。

 (※追記 この女性が第一夫人の時姫と一般的には見做されているようです。)

 道綱母さんの書き記したたくさんの歌の古典知識とか、掛詞の当意即妙さとかからして、知的な人だったんだなということも、この日記読めばすぐ感じるんですが、なんか、どっか硬質な無神経さも抱えていたような感じの人でもあります(あくまで上巻までを読んでの個人的な感想です)。

 

5)あってないようなプライバシー

 兼家との和歌のやりとりは、どうも、道綱母さんに仕えている女性たちもほぼその内容シェアしてた風ですし、兼家が仕えていた部署の宮様と兼家との和歌のやりとりでは、道綱母さんもほぼ一緒に読んでる風なので、この時代のプライバシー感覚っていうのが、当然ながら、まったく現代とは違うなと感じます。

 和歌のやり取りが貴族生活に浸透したのは、延喜ー天暦のころ(10世紀前半)と、どこかに書いてありました(典拠元失念)。まさに道綱母さんたちの前代までに地ならしは済んでいたわけです。

 まあ、この『蜻蛉日記』での和歌のやり取りの感じは、携帯電話でのショートメッセージのやり取りですよ。文字を書ける人たちは概ね貴族的な、インテリな人たちだったでせうから、手紙のやり取りに、万葉集古今集などから「白氏文集」などの漢籍まで含めた多くの古典を踏まえた雅(みやび)なことばを散りばめて、思いを凝縮させる。そういうインテリ嗜み(たしなみ)だったかと思います。

 で、現代風なプライバシー意識はとても低かったから、喜怒哀楽をやりとりの相手どころか、回りの人々とも共有して楽しむ?。そういう世界です。みんながそれぞれの情動を相当なまでさらけ出し合いながらぶつかり合う世界です。現代人には2日と堪えられないでせうね。

 

 中巻で、様相が変わるらしいです。楽しみです。 

 

■追記 2024/02/04

 NHK大河の『光る君へ』のスペシャル版として、『知恵泉』という番組が、紫式部清少納言道綱母を取り上げてました。今年1月1日に放送予定だったのが能登地震のために昨日2月3日(土)に放送になっていたらしいです。本日NHKプラスで見ました。

 道綱母さんは、本朝三美人の一人だったのですね。知りませんでした。そして、道綱母さんは、やはり兼家の二番目格の妻だったそうです。また、『蜻蛉日記』は本人の日記原本のままでは無いというような話もありました。

 『蜻蛉日記』にたくさん記載されている和歌がどれも優れているのは、道綱母さんのお父さんが和歌の名手なので、その子である道綱母さんも和歌の素養に恵まれていたから、という面はもちろんながら、和歌名手として、『蜻蛉日記』執筆時に推敲しつくしたっていう面もあったってことになるんでせうね。和歌のやり取りの当意即妙性の部分には、若干の疑義も差し挟まるってことでせうか。うまく仕上げるレベルの高さに疑念はないのですが。

 『蜻蛉日記』の結末がどうなっていくのかも、わかっちゃってしまいましたが、「読み直し派」は、その時代に語られたことばや、その時代の人の心持ちに興味があるので、中巻、下巻も読んで、道綱母さんを自分なりに確認しておきたいと思います。