老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

「てんや」と「いもや」の天丼

 

 老齢思い込みシリーズ

 

1)ロイヤルホストが休み増やすらしい

 

 最近、ロイヤルホスト

 年間の"店舗休業日を拡大"というような記事が

 配信されていたが(8月8日TBS NEWS DIG)、

 

 ほんの数日なのに"拡大"というのも

 まあ、客商売だから、1日休み増やすんでも

 大変なことなんだろうと拝察。

 

 ロイヤルホスト

 福岡が本拠地で

 身内が働いていたりもしたので

 つい目が行ったが、

 

 この記事で驚いたのは

 そこではなかった。

 

 

2)「天丼てんや」がロイヤルホストの傘下?

 

 上の記事に、「天丼てんや」も

 休業日ふやすとか書いてあって

 

 「天丼てんや」が

 ロイヤルホストグループなんだと初めて知る。

 

 ファミレス通いはしなかったが

 「てんや」通いは相当やった。

 

 学生時代(1980年代初頭)に

 「てんや」はなかったが

 神保町に「いもや」があった。

 

 500円コインで天丼は

 そのころからの馴染のスタイルだった。 

 

 だから、500円天丼の私の歴史は長い。

 

 

3)「てんや」と「いもや」

 

 「てんや」の創業は1989年(平成元年)らしい。

 創業者の岩下善男氏はもとマクドナルドにいたらしい。

 

 その人が、丸紅とかと組んで

 天丼専用の天ぷらを揚げるフライヤーを開発したことが

 成功の要因だったというようなことが

 経済紙のインタビュー記事なんかに書いてあるが

 

 なぜ「天丼」だったのか?

 500円玉1個で食べられる「天丼」という

 商品コンセプトは

 どこから生まれたのか?

 それについて書く経済紙は一つもない。

 

 神保町「いもや」にはそれがあった。

 「いもや」は、天丼の他とんかつ店とか

 数種の業態を神保町で展開していたが

 ワンコイン定食が基本コンセプトだった

 (50円おつりとかもあったような気がするが)

 と思う。

 

 ワンコインで天丼は、

 「いもや」開発の商品コンセプト

 だったんじゃなかろうか?

 

 他地域にも店舗があったのかどうかなど

 別にそのころは興味もなかったので

 なにも知らないが

 

 

4)今も生き残る「いもや」

 

 昔は神保町1丁目、錦華通り寄りのビルのあいまの細道に

 散らばっていた「いもや」だけど

 今は、少し西側の白山通寄りに「天ぷらいもや」残存し

 

 また、靖国通りを神保町から九段下に向かって行き

 専大前交差点の少し先の左側、成城石井神保町店の

 左わきの細い道に入り込むと「神田天丼家」という

 ここも「いもや」の流れを引くむらしい店がある由。

 

 どちらも集客のために大通りに面して店を構えるのでなく

 地場の需要をみたせればいいという店構え。

 確かに「いもや」の血筋だと感じさせられる。

 

 

5)どこにだってある?

 

 ワンコインで天丼なんて

 探せばあちこちあるのかもしれない。

 

 天丼じゃないけど

 昔、池袋の三業地奥にあった

 立ち食いの寿司店「熊の子寿司」とか

 

 旨いものを安く提供して人気の店は

 どこにでもあるのかもしれない。

 

 でも、「てんや」で天丼初めて食ったとき思ったのは、

 これ「いもや」のあれじゃん、だった。

 

 という、

 

 また、老齢思い込みの記事でした。

 あくまで、個人の思い込みの内容ですので、

 なにとぞよろしくお願いします。 

 

・・・・2023/8/11追記・・・・・

 

 2018年3月末に神保町2丁目にあった

 「天丼・いもや」「とんかつ・いもや」の

 閉店に関する記事がネットにあった

 (「週プレNEWS」2018/3/20付)

 

 1959年(昭和34年)に創業者の

 故宮田三郎氏が立ちあげられた店だったとのこと。

 ほっこり2歳の時創業されたのですね。

 

 神保町1丁目の店舗は暖簾分けの店で、

 他にも東神田(東京)や、栃木市弘前市などに

 計4店舗ある由(記事時点で)。

 

 ほっこりは神保町1丁目の店ばかり行ってたので

 2丁目のほうは隧に行きませんでした。

 

 その1丁目の店も、記事の掲載された

 2018年以降にまたいろいろ時間が流れ 

 とんかつ店は無くなり、天丼店も

 近くに引っ越すという曲折があった

 ということでせう。

 

 そして、記事によれば、値段は650円とのこと。

 ワンコインじゃない!。

 

 とんかつも天丼もそうなのか、

 2丁目も1丁目もそうだったのか、

 すっとそうだったのかとか

 もろもろ定かではないのですが、

 すいません。

 

 ワンコイン程度で食べられたという記憶を、

 「ワンコイン」だったに決めつけして

 昨日の記事書いてしまったようです。

 

 やはり思い込みだったようです。

 いくらだったか、定かではないのですが

 とりあえず、断定的な物言いの件は

 申し訳ありません。

 ご寛恕ください。 

 

 ただ、商品コンセプトとしては

 やっぱ、昭和30年代からだとすると

 (昔はもっと安かった?)

 相当先駆的ですよね。