老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

古文難語「おくまへて」「おくまけて」

(奥深く、遠く、先行き長く)

 

 「よし【由】」ことば、追っかけて難語地雷 その3

 

1)「おくまへて」の用例3つ

 また、すいません「万葉百科」さんから写させて頂きます。太字や下線などの加工は空論城城主によるものです。

 

 番  号              巻6-1024

 漢字本文(題詞)   秋八月廿日、宴右大臣橘家歌四首

 漢字本文              長門有奥津借嶋奥真経而吾念君者千歳尒母我毛

 漢字本文(左注)   右一首、長門守巨曽倍對馬朝臣

 読み下し文(題詞) 秋八月二十日に、右大臣橘の家に宴せる歌四首

 読み下し文          長門なる沖つ借島奥まへて我が思ふ君は千歳にもがも

 読み下し文(左注) 右の一首は、長門守巨曽倍対馬朝臣

 訓  み        ながとなるおきつかりしまおくまへてわがおもふきみはちとせにもがも

 現代語訳              長門にある沖合の借島が沖遠いように、心の奧ふかくお慕いするあなたは千歳も無事でいてほしいことだ。

 歌  人              巨曽倍朝臣津島 / こそべのあそみつしま

 

 番  号              巻6-1025

 漢字本文              奥真経而吾乎念流吾背子者千年五百歳有巨勢奴香聞

 漢字本文(左注)   右一首、右大臣和歌。

 読み下し文          奥まへて我を思へる我が背子は千歳五百歳ありこせぬかも

 読み下し文(左注) 右の一首は、右大臣の和へたる歌なり。

 訓  み        おくまへてわれをおもへるわがせこはちとせいほとせありこせぬかも

 現代語訳              心の奧深く私を思ってくれるあなたは、千年も五百年も、ずっと長生きしてほしいことだ。

 歌  人              橘宿禰諸兄 / たちばなのすくねもろえ

 

 番  号              巻11-2728

 漢字本文              淡海之海奥津嶋山奥間経而我念妹之言繁苦

 読み下し文          近江の海沖つ島山奥まへて我が思ふ妹が言の繁けく

 訓  み              あふみのうみおきつしまやまおくまへてわがもふいもがことのしげけく

 現代語訳              淡海の海の沖の島山のように、奥深く心に思う妻に対して、人のうわさがうるさくて。

 歌  人              作者未詳 /

 

2)「おくまけて」用例1つ

 同上。

 番  号              巻11-2439

 漢字本文              淡海奥嶋山奥儲吾念妹事繁

 読み下し文          近江の海沖つ島山奥まけて我が思ふ妹が言の繁けく

 訓  み        あふみのうみおきつしまやまおくまけてあがもふいもがことのしげけく

 現代語訳              淡海の海の沖の島山のように奥――将来にかけて末長くと思う妻の、うわさがうるさいことよ。

 歌  人              柿本朝臣人麻呂之歌集 / かきのもとのあそみひとまろのかしふ

 

3)角川古語辞典の説明

 「おくまへて」「おくまけて」それぞれ独立した一語としての見出しはなく、「おく【奥】」の連語として、「おく【奥】」(上代語の意味合いでは「⑤行く末、将来」がある)の見出しの中で説明されています。それを写すと、

 ●「おくまけて」 意味:末かけて。将来のことを考えて。一説に、心の底から。(用例:万2439)

 ●「おくまへて」 意味:「奥まけて」に同じ。(用例:万2728)

 と、「おくまけて」と「おくまへて」は同じ意味(=将来にかけて?)と説明されています。それが、何故なのかは、わかりませんが、本来は「おくまけて」だったものが「け」の「 k 」音が脱落して?「 h 」音に代わって?「おくまへて」になったとかそういうことなんでせうか?わかりません。

 意味的には、「おくまへて」1024番の歌は「沖遠く」の意味で平面的な遠さ、1025番と2728番は「心の奥」の深さ、「おくまけて」の2439番の歌は、将来・未来(先々)へ伸びる遠さ(深さ)と、それぞれ少しずつ質を異にしながらも、なにがしか「かけ離れる感じ、距離感」「奥=おくゆき感」を言っていることで共通しているようです。

 一方、「おくまへて【奥間(真)経而】」「おくまけて【奥儲】」の内部構造(?)を眺めると、「おくまへて」は「おくま・へて」と区切れるでせうし、「おくまけて」は「おく・まけて」に区切れるでせう。

 だとすれば、それは本来別語ということになるのでせうけど、「け」→「へ」の音便化(?)があったとすれば、元は「おく・まけて」が本来の形で、音便化(?)が起こって「おくまへて」になり、誤解なんだけど「経而」などの漢字が当てられ、その誤解が「おくま・へて」の区切り意識を生み、さらにその誤解が「おく・ま」の誤解も生じさせ、「ま」に「真」や「間」の字などが当てられるようになった!ってことなんでせうか? 

 定かではありませんが、そう考えると、ここでは、なんとなく、丸く収まりそうです。 

 「おく・まけて」の「まけて」は「まけ・て【儲てor設て】」で、「かけまく(心に思うこと、ことばにして言うこと)」とか「春まけて/夏まけて(春、夏がきて)」「裏儲(うらまけて=心にきめて)」とかの「まけ」=「まく【設く】」他カ下二の動詞から派生したことばでいいかと思います。

 角川古語辞典的では、意味:①あらかじめ用意する。設ける。 ②その時期を待ち受ける。待つ。の意味が説明されています。

 何事かの状態の「誂え・セッティング」や「確定」感、季節などの変化の「待ち望み」や「到来の喜び」などの意味合いのベクトル(奥行き感)が、水平な距離感に適用されたり、心の奥底に向かったり、将来へ向かったり、したことばが「おくまへて」「おくまけて」だったと言えそうですが、あくまで、妄想の範囲内の感想文です。