(・・してほしい)
「よし【由】」ことばを追いかけながら その2
昭和99年3月2日
1)弓削皇子の歌
「万葉百科」さんのサイトから巻2-119番の歌をコピーさせていただきます。
番号 巻2-119
漢字本文(題詞) 弓削皇子思紀皇女御歌四首
漢字本文 芳野河逝瀬之早見須臾毛不通事無有巨勢濃香問
読み下し文(題詞) 弓削皇子の紀皇女を思へる御歌四首
読み下し文 吉野川行く瀬の早みしましくも淀むことなくありこせぬかも
訓み よしのがはゆくせのはやみしましくもよどむことなくありこせぬかも
現代語訳 吉野川の流れゆく瀬の水が早くてしばらくも淀むことがないように、私たちも滞ることなくありたいものだ。
《 以上「万葉百科」さんからのコピー 》
・紀皇女 きのひめみこ・・・天武天皇皇女
2)後半の読み方
どう区切れるのか?
芳野河 逝瀬之早見 須臾毛 不通 事無 有巨勢濃香問
よしのがわ ゆくせのはやみ しましくも よどむ ことなく ありこせぬかも
最後の「有巨勢濃香問」をどう解釈したら、「・・ありたいものだ」になるのか? はたと困りました。「こせぬかも」で一語が成立していると知りませんでした。
巻6-125に橘宿禰諸兄(たちばなのすくねもろえ)の歌があります。
漢文本文「奥真経而吾乎念流吾背子者千年五百歳有巨勢奴香聞」
訓み おくまへて われをおもへる わがせこは ちとせいほとせ ありこせぬかも
現代語訳「心の奧深く私を思ってくれるあなたは、千年も五百年も、ずっと長生きしてほしいことだ。」
ここにも「有巨勢奴香聞」(ありこせぬかも)があり、その意味は、「ずっと長生きしてほしい」「ずっとあり続けてほしい」となっています。なので、こういう風に言いたい時のお決まりのフレーズが「有こせぬかも」らしいと解しました。
(※難語を追っかけてまた「奥真経而」(おくまへて)という難語地雷を踏んでしまった。これは別途)
「濃」は、「のう」「の」でなく「ぬ」と読めるのか?と思ったら、巻3-450の大伴旅人の挽歌の〔一伝〕部分に「見毛左可受伎濃=みもさかずきぬ」とあり「ぬ」と読む例は他にもあるようです。
それにしても、「ぬ」が打消(の助動詞「ず」の連体形「ぬ」)・否定に聞こえるのに、「ずっとありつづけてほしい」という肯定的な意味になるのがまったく解せないんですが、実は、それでいいみたいです。(『角川古語辞典』以下も)
このあたりでやっと、「こせぬかも」が一語だと気づきます。
「こせ」が実は特殊で、他者に誂え望む意を表す上代の助動詞「こす」が元。活用は下二型で、未然形「こせ」、終止形「こす」、命令形「こせ」の三つしかなく、「こせぬかも」の「こせ」は、このうちの未然形「こせ」だそうです。
これに未然形接続の打消の助動詞「ず」がくっ付いて、あとに連体形接続の終助詞が来るので「ぬ」になり、その終助詞が願望の「かも」で、「こせ+ぬ+かも」(・・してほしいものだ)という一語になっている、ということらしいです。
「こす」は「ごす【期す】」でもあり、それが「きす【期す】」になっていったようですし、一説には動詞「おこす【起こす】」そのものという見方もあるようです。
また、「こす」は、「運ぶ」という意味でも使われ、「こす【遣す】」(よこす)ということばに通じ、「こせ」は「よこせ」の形を見ると、要請の意味ということが理解しやすい気がします。
他者に誂えのぞむ「こせ」に打消「ぬ」がついて、それでも他者に誂え望む意味になるのは、願望の「かも」がくっついて意味強調することで、「おれにいわすな〈こさすな〉よお!」みたいな、反語的な意味になるんでせう、きっと。。
3)兄妹の相聞歌?
ところで、この119番の歌から121番までが題詞にあるとおり、弓削皇子が異母妹の紀皇女に送った相聞歌4首とされ、紀皇女が文武天皇妃であったため、二人の不義密通というようなことが紀皇女のWikipediaにも書かれているんですが、どうなんでせうね。
題詞は誰が書いたんでせうか? そもそも、弓削皇子の歌だって証拠はあるんですかね? 万葉集編纂者が、古代のおおらかなロマンスを「設定」しただけだったってこじゃないんですかね?
4)やっと「かも」へ
実は、今回の主題は、この歌の末尾にあった「かも」なのです。「かも」について語りたかったのですが、おいしい赤身にからみつく黄白い脂身を落とさないわけにいかないと、手間取ってしまいました。
でも、すいません大したことを言いたいわけではないんです(脂身の方が滋味栄養価が数段上のようです)。
「かも」は、古文説明ざっくりいうと、詠嘆、願望、疑問 などを表す終助詞や係助詞のようですが、ほっこりが生まれ育った福岡県南部では、「そうかんも(そうですか、なるほどねぇ)(ええ?ほんなこつねぇ?)」などの言い回し、意味合いで、昭和20年代生まれ世代くらいまでがよく使っていました(最近どうかは数十年離れているので定かでありません。すくなくともほっこり世代内では使いません)。
「そうかんのも!」などと「かも」と同時に「のも」も疑問を含んだり含まなかったりしながら詠嘆・納得・強意・疑問(?)を伝えて使われていました。その地域の人間がよく「のも」「かも」言うので、「のもかも言うな取ってうち食うぞ」というようなことを言ったもんだと、そういう古い世代の人たちがまた嬉しそうに言っていました(「のも」は、角川古語辞典には見だしとして立っていず由来とりあえず不明ながら)。
この「そうかんのも!」のニュアンスで、歌の作者云々、歌い贈った相手云々の真偽はともかく、弓削皇子が紀皇女に向かって「有り越せん かんも!」(生きろて言わさんばい!あたりまえやろ!)(生きてろとか言わさん!そうじゃなかね!)などと、呼びかける情景思い浮かべてみると(上代に「ん」が無かった云々は置いといて)、意外と無理なく理解できるもんだと、小さな気づきと喜びありました。
昭和の20年代、30年代の頃までは、地方で万葉語がまだ息づいていたんだなあと(定かではありませんが、そうだろうと)、思ったってことを言いたいのでありました。
・・・・・すぐに追記・・・・・・
Wikipedia に「柳川弁」というものがありました。
それによりますと、「かんも」は、助詞「か」と同じかと推定されていて、古語の「かも」と関連があるのかないのか定かでありません。まあ、もともと定かならぬ机上空論城の妄想の賜物ですので。なので4)はあくまで私的妄想ということで。よしゑやし! 夜露死苦!。
・・・・・・・追記2・・・・・・
『君社此間有巨勢濃香問』
ピンク・フロイドの" Wish You Were Here !"
「あなたがここにいてほしい」を、(~してほしい)の「有巨勢濃香問」を使って、万葉表記しようと思ったのですが、上で見たように、「ありこせぬかも」では、「二人でずっとここにいましょうよ」という、そこに居る二人の長寿を祈り合う意味にしかならず、仮定法過去でしたっけ、"were"の 「あなたが今ここにいないことが残念でならない!」という一回屈折の表現になりません。
「万葉百科」さんで探してみましたが、「有益乎」(あらましを)表現で工夫するしかないように思われます。うーん、残念。