老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

『兼好法師』小川剛生著(1)

 

  読み納めシリーズ

 

1)兼好法師の実像に迫る本

 

 慶大教授の小川剛生先生の『兼好法師

 (2017年刊、中公新書)を読みました。

 

 鎌倉時代末に書かれ、三大随筆筆の一つ

 とされている『徒然草』。

 その著者である兼好法師の史料を洗い直され、

 驚きの"新"兼好像をいくつも開示されています。

 

 一読巻措く能わずながら、併行ネット検索も

 ばんばんしまくりで、けっこうな時間が

 かかってしまいました。

 

 "官位を有し、朝廷に仕えた"とされてきた

 これまでの兼好像は、室町時代末頃、つまり、

 15世紀末ごろに、著名な神道吉田兼倶(かねとも)によって

 編纂、捏造されたもので、"吉田兼好"の名すら、

 "卜部兼好"という元の名に上書きされたものだった

 らしいです。

 

 それも驚きではありますが、

 

 

2)『徒然草』自体への当惑

 

 『徒然草』を読むと、

 遁世とか無常といったことばが横溢していますから、

 読者は、なにか人里離れた草庵のようなことろで、

 "つれづれなるままに営まれる清貧生活"を送る

 著者の姿のようなものを、ぼんやりと思い描きつつ

 

 (その一方で、宮廷内の様子など、どうやって

  情報入手したんだとかもぼんやり思いつつ)

 

 読み進むと思うのですが、

 

 小川先生の本を読むと兼好の生活は意外に裕福で

 イメージしていた清貧生活からほど遠いものだった

 らしいと知らされ、"宮廷情報"も、

 兼好の少し特異な立場と生活ゆえに

 得られたものだったというようなことを知らされます。

 

 純朴な『徒然草』読者は、

 『徒然草』との向き合い方に一大変革を迫られる

 ことになります。

 

 たしかに、財産は残すな(140段)といいつつ

 衣食住医の確保は必要だ(123段)とも言っているので

 弱弱しき清貧を勧めたりはしていないのですが

 

 小川先生の本のなかで解説されていく、

 土地売買に経験豊かそうな兼好法師像というのも

 正直なかなかに受け入れ難い思い湧きます。

 

 

3)兼好を聖人視したいファンの気持ち

 

 『徒然草』の著者としての兼好の

 ストイシズムのようなものに

 魅了されて来た向きには

 

 小川先生の本の中で名前の上がっている

 『徒然草』の著名な研究者の一人である

 安良岡康作(1917-2001)先生のように

 兼好の小野荘(山科盆地中南部)の土地取引の

 一連の文書を読み込んで、

 

 ストイックな兼好像に寄せて解釈しようとして

 結果、今日、小川先生から非難を受けることに

 なってしまわれたというようなことも、

 なんとなく、不憫な思いにかられるわけで

 あります。

 

 

4)兼好の土地売買の理解の仕方

 

 この時代、農民でもなく職人でもないものが

 生涯、有力者に付き従って生きる生き方以外で

 生きていくってことは、どう考えたって、

 なんらかの方法で元手を作り、

 食べるコメやもしくはそれを生み出す農地等の

 所有の権利を手に入れる以外になく、

 

 それを兼好は、123段で

 「衣食住医」の確保の大切さで言っているわけで

 食を確保するための土地取引なんてのは

 ごくごく当たり前の話だったんじゃないか

 

 だから、兼好が何回か土地売買をしたってことを

 兼好が「土地ブローカー」だったっていうのは

 少しちがうんじゃないかなんて想像してみたんですが、

 どうでせうね。

 

 

5)兼好がブローカー的な人であるとして

 

 『徒然草』に貫かれていると言って

 過言でないと思われる遁世主義と、

 ストイシズムのようなものを

 どう解釈したらいいのか?

 

 平安後期のころからの末法思想

 無常観の広がりのを受けて

 鎌倉期に成立したといわれる

 遁世・隠者の文学を

 筆の立つ兼好が、高度に

 随筆化してみせただけ

 

 という話ななんだろうか?