老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

『妹の力』最近の研究

 

 こういう発見とっても嬉しい

 

1)『妹の力』の2読めに突入し

 

 1読めではスルーしてしまっていた、

 「玉依彦の問題」の第10段にある"常

 陸鹿島の物忌"というワードをネット

 検索して、

 

 「女性神職者"物忌"の実像をめぐっ

 て」 

 ー平安前期現出の"物忌"を中心にー

  堀岡喜美子

 

 というPDFの一文を見つけてしまった

 

  佛教大学大学院紀要 文学研究

  科篇 第五十号(2022年3月)

佛教大学大学院紀要 文学研究科篇 第50号(縦組)責了.indd (bukkyo-u.ac.jp)

 

 

2)最近の柳田國男の読まれ方

 

 この論考は、あくまで"物忌"(ここ

 では"女性祭主"の意味)にフォーカ

 スしたものなので、柳田國男の"巫女

 的古代女性論"というようなものの、

 全体をカバーするものではないのでは

 ありますが、

 

 柳田國男が、最近どんなふうな読まれ

 方をされているのか、それが知れたの

 が、とっても嬉しかったです。

 

 ほっこり含め、ネット上の自由気まま

 な書き込みは、概ね放埓で、それはそ

 れで魅力もあるのですが、

 

 こういう、このジャンルの研究の進展

 の度合とかが推し量れるような"オー

 サライズド"された文章は、また、そ

 ういう意味で貴重です。 

 

 何せ『妹の力』は、大正・昭和初期頃

 の論考の本ですから、面白がって読ん

 でるけど、この面白がり方は、まだ、

 今でも有効なの? みたいな、今朝の

 秋冷のようなものが、ふと首筋辺りに

 そよいだりもするわけです。

 

 

3)巫女一本気な柳田國男

 

 女性の先生方の中には、なんでもかん

 でも"巫女の話"に収斂したがる柳田

 國男の方法論に、異議を唱えたくなる

 方も少なくないようです。

 

 堀岡喜美子先生が、その辺を強く押し

 出されているというわけではありませ

 ん。

 

 それまでの他の先生方の研究も踏まえ

 鹿島社の"物忌"と巫女的なものとの

 関係性について、

 

 平安時代前期の皇位問題、藤原摂関家

 の権威高揚のための神祭利用といった

 動向を洗い出し、

 

 少なくとも、天皇家摂関家に近い権

 勢ある神社、特に鹿島社における"物

 忌"(女性祭主)は、

 

 柳田國男がいうような、古代の巫女の

 残影(反映?)というようなものでは

 ない、ということを詳細に述べられて

 います。

 

 鹿島の物忌についてはその通りなんだ

 ろうと思います。

 

 

4)伊勢神宮の物忌についても

 

 別の先生のほうで、童女性、神秘性を

 帯びた巫女のような存在である可能性

 は薄く、地方豪族の支配下にある神官

 職、というような研究もあるそうです

 

 それも、そうなんだろうと思います。

   

 

5)『妹の力』の本質に迫る論考期待

 

 たとえば、鹿島社の"物忌"が、残さ

 れた記録をたどる限り、柳田國男の論

 の中には納まらない事実が確認される

 にしても、

 

 でも、じゃあなんでそもそも女性祭主

 だったのか、伊勢神宮の形式をまねて

 権威付けした、政治的意図が伺えるに

 しても、やはり、そこで女性祭主にこ

 だわった古代社会、なぜ?というモヤ

 モヤは、やっぱ拭えないんですよね。

 

 巫女的な古代女性の時代があったとい

 う、『妹の力』のテーマに正面から切

 り込んだような論考は、ないんだろう

 かって思います。

 

 いや、あるんじゃないすかね。書籍で

 も既にあるかもしれません。

 

 読みたいなぁ。