老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

ぼたもち 語源話

   福岡県飯塚市の「ぼた山」

   付近を散策する動画を観ていて

   ふと気になりました

 

1)世間では

 

 "ぼたもち"の語源として、牡丹の花

 に似てるからとか、牡丹の咲く時期に

 食べるからとか、

 

 けっこう確定的な書き方がしてあるん

 ですけど・・

 

 ぼた餅は、牡丹の花に全然似てないし

 春のお彼岸は、春分の日(≒ 3月21日)

 を挟む7日間らしく、牡丹の花が咲く

 4月 ~ 5月より早くて、ずれている。

 

 もちろん早咲きは、あるでしょうけど

 一部でしょう。実際、春分の日の頃と

 牡丹の花の印象に、強いつながり感じ

 ますかね。

 

 

2)似たことばに"ぼた雪"ありますが

 

 広辞苑(辞書)での「ぼた雪」の見出

 し、第二版には無かったのですが、第

 三版で「(新潟県福井県山形県

 内地方・大分県などで)湿気のある大

 粒の雪。ぼたん雪。」との説明が登場

 します。

 

 そして「牡丹雪」は、「牡丹」の見出

 しの中にあり「-・ゆき【牡丹雪】

 大きな雪片が牡丹の花びらのように降

 る雪。ぼたゆき。」とあります。

 これは、第二版、第三版ともに同じ形

 です。

 

 そうか、花そのものではなく、散った

 花びらなら似てなくもないかも・・と

 か、一瞬思いますが、雪の季節に、旧

 暦でいえば夏の花を思い、春の春分

 冬の雪を想うという、この季節感の大

 跨ぎ。どうなんでしょう。

 

 

3)「ぼた餅」と「ぼた雪」

 

 なんか、めんどくさい話してますが、

 結論を急ぐと、広辞苑第三版で登場し

 た、「ぼた」の"湿気を含んで太った

 もの" という解釈こそが、ぼた餅の

 「ぼた」なんじゃないかと言いたい

 わけです。

 

 「ぼた餅」の語源的には、牡丹の花が

 本来的な由来では無く、見た目のぼて

 ぼて、ぼたぼたした感じこそが、名称

 の由来なんじゃないか、そう思うわけ

 です。

 

 

4)ぼた餅の古名

 

 古くは、搗かない餅ということで"掻

 きもち"って、言われていたらしいと

 wiki にあります。

 

 その"かきもち"に、餡をぼてぼてと

 塗りたくる、その見ためを、素朴に、

 ぼた餅と、言うようになったのではな

 いか。

 

 そして、ずっと時代が降った江戸時代

 の頃にでも、お菓子屋さんなんかが、

 「牡丹餅」と洒落たんじゃないか、と

 いいたいわけです。

 

 

5)おはぎは洒落合わせ?

 

 春のお彼岸に牡丹餅と洒落たから、秋

 はおはぎと洒落たのか、

 

 いやいや、秋のお彼岸の頃、萩も盛り

 の印象強いし、そのころ食べる餅だか

 ら、おはぎと洒落てみたのが先だった

 のか?

 

 おはぎの洒落が先だったのなら、その

 応用としての、牡丹の花から牡丹餅も

 可能性として無くはない、という気に

 はなります。

 

 でもまあ、"ぼた雪"のことを考える

 と、やっぱ、ぼた餅が先なんじゃない

 かと・・・。

 

 

6)ところが、ところが!

 

 どっこい萩の異名に「ぼた」ありと、

 コトバンクさんで見つけてしまった。

 『精選版 日本語国語大辞典』という

 辞書が、そう説明しているらしい。

  

 その実用例として、宝井其角編の俳諧

 撰集『虚栗(みなしぐり)』(1683)

 下から、

 

 「西瓜を綾に包むあやにく(其角)

  哀いかに宮城野のぼた吹凋るら

  ん(芭蕉)」

 

 のやり取り、挙げられている。

 (岩波・広辞苑に頼れば良いって

  もんじゃないみたいです)

 

 意味は、

 

 貴人は食べない西瓜を、高級めかした

 綾の包みで隠そうとしたんだけど、

 ちっ、ちくしょう、

 

 雅風気取って萩の歌でも詠もうと思っ

 たら、萩と言わずについボタと、お里

 の知れることばを吐いてしまった。気

 もしおれるわい

 

 みたいな意味合いらしい。

 (『鈴呂屋書庫』さんのサイトを見て

  下手なまとめしています。

  このサイトはすごいです)

 

 

7)一旦深呼吸

 

 萩がボタなら、ぼた餅とボタ音つなが

 りで、まず秋の彼岸に食べるぼた餅を

 「お萩」と洒落出し、

 

 秋が「お萩」なら、春は、そりゃあ、

 ボタだから牡丹だろ!ってな感じで、

 牡丹餅も流布していった。

 

 いずれにしても、その洒落の前段には

 "ぼた餅"があった、ってことにして

 いいんじゃないでしょうか?

 

 方言は、古い都ことばの残照という、

 柳田國男のカタツムリ理論なんかから

 もそう思うわけです。

 

 まあ、あくまで憶測に憶測を架す類の

 推定ではありますので。

 

  

8)そうそう忘れてた

 

 ボタ山のボタは、ぼた餅のボタなんじ

 ゃなかろうかってところから、実は、

 本件スタートしてたのでした。

 

 この件については、関係者の証言とか

 全然、みつからないのです。ボタ山

 んてもうオワコン(もう情報アップと

 かで働きかける人もいない)ってこと

 なんでしょうか?

 

 ボタ山にボタを捨てた人たち、登った

 人たちは、現在 70代、80代以上でし

 ょうからね。

 

 NHK福岡とかで、『古老に聞く ボタ

 山の記憶』とかのPT作って、取材だけ

 でもやっておいてもらうと、信介しゃ

 ん喜ぶと思います。

  

 ネットに上がっている多少の画像を見

 ると黒い石くれのようなので、ぼた餅

 のボタでいいような気もするのですが

 上のような思いがけないイワレが挟ま

 ってそうな気もして、とりあえず未決

 トレー入れにしておこうかと思います