老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

懐古趣味と実存

 

 終読(よみおさめ)の続き

 

1)日本書紀で停滞中

 

 柳田國男の『妹の力』の

 読み直しに始まった終読。

 (それも二読めの途中のまま)

 

 あれこれ紆余曲折しつつ

 (それが楽しいし、醍醐味)

 今、日本書紀の允恭紀。

 

 

2)やっぱ基本に帰るのが一番

 

 日本の古代に関わる書物は

 多々あれど、その原点に

 古事記日本書紀

 万葉集がある。

 

 ということを、

 ネット併読の「終読」を通じ

 あらためて痛感。

 

 以前の読み方の不十分さ、

 あらためて痛感。

 

 で、もう一回、

 自分なりの原典理解!

 と意気込んで、

 2022年を終わろうとしている。

 

 

3)古代人への思い

 

 読んでる『日本書紀

 (「日本の名著(1)」中央公論社)や

 ネットの 「Wikisource」 や

 「全文検索」さんからの抽出原文

 へのマーキングや書き込みは、

 

 今のわれわれには

 よくわからなくなってしまった

 ことばや事象へのものが多い。

 

 まあ、だいたいそうでしょう。

 

 古代への関心というものは

 古代人への思いが

 背骨になっている。

 

 いつの時代でも

 洋の東西を問わず。

 

 なんなんでしょうね。

 この古代、太古の

 人々への思いというのは。

 

 柳田國男折口信夫

 言わずもがな、

 シュリーマンとか

 ニーチェも言わずもがな、

 多くの哲人が、

 そこに沈潜することで

 人類にとって貴重な知見を

 掴み出してきた。

 

 まあ、それが大事だと

 いいたいわけではなく、

 

 そんなブレークスルーさへ

 もたらすこともある

 人類に共通の

 太古への情熱っていうのに

 今あらためて

 思い至っている次第です。

 

 

5)人はなぜ、昔を懐かしむのか? 

 

 その思いは、

 国体とか下世話な差別意識とか

 多様な意識展開の

 根源でもあるような

 気もしているわけでもあります。

 

 リビドーとか

 サナトスとか

 そういうことと関係あるのか?

 

 懐古趣味と実存みたいな

 本ってありますかねぇ。

 

 いかん、

 終読が終読でなくなる。