老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

解説して欲しい、百貨店の来し方行く末

 

 おいしいお節を食べながら

 

1)おせち調理

 

 母が田舎(福岡県大牟田市)から

 我が家(埼玉県所沢市)に来て

 以後、お節料理は

 通販とか百貨店とかの

 出来合いを頼むようになって

 います。

 

 

2)田舎では手作りだった

 

 田舎では、毎年1月2日が、

 親族の集まりでした。

 

 元家だった我が家で

 新年の宴が催され、

 

 母は、田舎流だったでしょうが

 お節他の準備を毎年やっていた。

 

 残念ながら、

 父が亡くなったり

 一族の隆盛はなかったりで、

 

 その宴も、

 母がこちらに

 やってくるしばらく前から、

 行われなくなっていた

 のではありますが、

 

 基本、その毎年の大変さから

 母が、解放されていたのは

 事実であります。

 

 

3)今年も有名百貨店のおせち

 

 所沢駅近の名店のお節とか

 通販のお節とか、

 こちらに来て以後、

 いろいろとためし

 最近は、

 有名百貨店のお節に

 落ち着いていました。

 

 理由は、「うまい」それだけ。

 掛け値なしに「うまい」。

 

 そのうまさに老舗百貨店の

 "矜持"すら感じて

 おりました。

 

 が、その"矜持"のために

 いろんな意味合いで

 あちこち無理を来したりなんか

 してないか、みたいな老婆心を、

 つい働かせたりもする

 次第でもありました。

 

 

4)百貨店の状況

 

 経済のことは

 全然分からないのですが

 

 百貨店が、よくいわれる

 危機的状況からさらに進行し

 終末期的な状況らしいことも

 ニュースで聞き及んだりします。

 

 昔(1980年代)、百貨店から

 一部商品の売れ筋情報をもらう

 みたいな仕事をしたこともあって、

 

 百貨店が一番輝いていた時代を

 瞥見した身には、

 なんともやるせない思いです。

 

 (最近、見知ったホリエモン

  チャンネルとかで百貨店の

  来し方行く末とか、

  解説してくれないかなぁ、

  と思ったりします)

 

 

5)新業態で生き延びればいい

 

 おそらく、

 百貨店の頭脳の方々は、

 新業態の展開とか、

 資本の移動とか、

 とっくにやってんでしょう。

 

 『デパートを発明した夫婦』

 (鹿嶋茂)をはじめとして、

 展開されて来た、近・現代と

 百貨店との随伴関係

 のようなものが

 

 いよいよ、終末期を迎えている、

 そういうタイミングに

 我々は立ち会っている

 という理解でいいのでしょうか?

 

 今朝の重箱お節のおいしさの裏に

 百貨店の"心意気"を感じた、

 市井人の「ほの思い」の

 ようなものです。