老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

八重山のヨブ記 『妹の力』余談

 

1)八重山ヨブ記

 

 八重山諸島石垣島にある、名蔵御嶽

 (のーらおん/なぐらうたき)にまつわ

 る伝承。

 

 神に恭順な妹・オモトオナリに比べ、

 神に暴虐を働く長兄・ハッカネの罵詈

 雑言ぶりは、旧約聖書のヨブの神への

 罵詈雑言の、"豊饒さ"を思い起こさ

 せます。

 

 

2)ネットでみつけたPDF文章ですが

 

 大正10年 宮良當壯(みやながまさも

 り)という国語学者の著した、『八重

 山諸島物語』に蒐集された一節のよう

 です。

 

 PDFデータがネットに上がっていたの

 ですが、おそらく J-stage という学術

 データベースからリファレンスされた

 もののようです。

 

 以下がその内容ですが、読みやすくす

 るために、ひらがな読みを振ったり、

 文を分けたり等々はしています。でも

 文は基本的に元のままです。

 文中に追加したひらがなの読みは、推

 定を含みます。カタカナは元の文にあ

 るものです。

 

 

3)◎ 名藏御嶽(ノーラオン)

 

   神名

    照添照明(てるそえてるあか)し

 

   御イへ名 四座の名

    オモトアルジ、

    東花(テヨシハナ)、

    ナカオモトナカタライ、

    袖(タレ)大アルジ。

 

   往古、名藏(のーら/なぐら)に

   ハッカネ、タマサラといふ兄弟に

   オモトオナリといふ妹あり。

 

   兄のハッカネは性 邪心深く、

   强暴にして素行治らず。

 

   妹 常に心を痛め、

   之(これ)を 諫(いさ)めしも

   聞き容れられず、

 

   悄然とありける時に、

   折節(おりふし)

   世間を守護し給ひし

   オモト大アルジと申す

   御神(おんかみ) 現はれ給ひて、

   オナリにお乗移(のりうつ)りあり

 

   其(そ)の御詫宣(ごたくせん)に

   曰(いわ)く、

   此度(このたび)、

   姉仲末(あね なか すえ)の

   三柱神(みはしらがみ)、

   琉球國土守護のため

   大和(オマト)より

   お降(くだ)りあり。

 

   姉神(あねがみ)は首里

   辮ケ御嶽(べんがだけ)に、

   仲と末の二妹神(ふたいもがみ)は

   久米島へ御渡りありしが、

 

   彼(か)の地は山淺くして俗なれば

   八重山の萬年靑島(おもとじま)の

   森嚴なる靈域に移らせ給ひ、

 

   諸神(もろがみ)より

   大アルジと仰がれ、

   當島の守護神として

   島内の諸惡病(しょあくやまい)を

   拂(はら)ひ、

   農穀豊稔、民に禮恕(れいじょ)の

   徳を示すべしと。

 

   然るに兄のハッカネは

   之を僞りとなし、信ぜずして、

   若し誠の神ならば

   其の奇法妙力にて

   我に海山の巨大なる動物を見せよ

   と怒つていふ。

 

   オナリ之を聞きて、

   其儀(そのぎ)ならば

   汝(なんじ) 池タウ へ行くべし

   といふ。

 

   ハッカネ、

   さればとて彼地(かのち)に

   到りけるに

   長さ七尺ばかりの

   大猪(いのしし)、

   豪毛を逆立て、

   牙を鋭くして狂奔殺到し來れり。

 

   然るにハッカネは

   大勇强力なる男なりければ

   少しも驚き騒がず、

   あらよき獲物かなとて

   雀躍(じゃくやく)して

   一拳撞(つ)くやと見る間に

   忽(たちま)ち 打殺して

   一片の肉をも殘さず喰ひけり。

 

   而(しか)して 尚ほも

   海の巨大なる生物を

   見たしといふ。

 

   オナリ、然らば潮嶺(すーんに)へ

   參(まい)れといふ。

   ハッカネ叉急ぎ赴きけるに、

   忽ち波濤起り、

   高さ十丈ばかりにして

   千波萬浪 山と打寄せ、

   其の間より長さ十丈程の

   大鱶(ふか)現はれ出でたり。

 

   ハッカネ

   再び欣悦(きんえつ)して

   之をも掴み殺し、

   一瞬にして悉(ことごと)く

   喰ひ盡(つく)せり。

 

   茲(ここ)に於て

   心 愈々(いよいよ) 驕(おご)り、

   家に歸りてオナリに向ひ、

   海山の巨大を見盡せり。

   此度(こたび)は 現(うつつ)に神を

   拜(はい)せんといふ。

 

   オナリ恐懼(きょうく)して、

   神を現に拜せんとは

   不敬にして亂暴なり

   と申しけるに、

 

   ハッカネ、尚ほも聞かず、

   現に拜し得ざるものを

   神といふは僞りなり

   とて立腹しければ、

 

   オナリ

   然らば 拜(おが)ませ申さんとて

   萬年靑岱(おもとだけ)の頂上へ

   連れ登り、御神(おんかみ)の

   御座(おざ) 中へ

   出(いだ)しけるに、

 

   天神、出現し給ひ、

   而(しこう)して 玉音朗かに、

   汝、神を僞りといひて

   神の教(おしえ)を 信ぜず、

   强(し)ひて 之へ參りければ

   現はれ給ふなり。

 

   今 糠(ぬか)を 饗(あえ)て

   歸(かえ)すべし

   とありければ、

   忽(たちま)ち 天空より

           霏々(ひひ)として 糠(ぬか)

   雨の如く降り、

   隧(つい)に ハッカネの

   身體(しんたい)を

   埋没(まいぼつ)せり。

 

   ハッカネ驚き仰ぎ見るに

   神は一朶(いちだ)の

   自雲に跨(またが)りて

   天空高く消え去り給ひ、

   座中(ざなか) 本(もと)の山となり、

   空(むな)しく松籟(しょうらい)を

   聞くに至れり。

 

   茲(ここ)に 於(おい)て ハッカネ

   漸(ようや)く 神威(しんい)の

   確かなることを感じ、

   且(か)つ 恐懼して山を降りけるが

 

   間もなく全身より

   虱(しらみ) 多く沸き出で、

   其の虱に喰はれて

   半死になりしため、

   大いに妹を怨み、

 

   この煩(わざわ)ひつきは

   汝の仕業(しわざ)なり

   とて立腹し

   遽(にわ)かに飛びかかりて

   オナリを殺せり。

 

   而(しこう)して 自らも相果て、

   死骸は忽ち石と化して

   名藏野に横はれり。

 

   オナリの遺骸は諸神降臨して

   萬年靑岳頂上へ

   御取上げ召されたり。

 

   此の時 弟の

   玉ザラ 神の奇妙を拝し、

   名藏に禮拜所を設けて

   諸人に崇敬せしめたり。

 

   名藏御嶽(のーらおん)、

   水瀬御嶽(みずしおん)、

   白石御嶽(しぃさすおん)は

   此の可憐なるオモトオナリの

   信仰せし

   オモト大アルジを祀(まつ)れり。

 

                以上 

 

 

4)柳田國男もこれを読んだ?

 

 柳田國男の『妹の力』を相変わらず読

 んでいるのですが、

 

 その第二稿の「玉依彦の問題」の第六

 段の中に、この伝承へ言及する部分が

 あります。

 

 また、少々長くなりますが、その部分

 を引用します。

 

 柳田國男は、名藏村の白石御嶽の伝承

 として伝えています。確かに名藏御嶽

 と白石御嶽は同じ名藏村にある二つの

 別の御嶽のようですが、伝承の異同等

 の詳細は、把握出来ておりません。

 

 以下、引用。

 

  「・・一方頑迷にして彼女の言を信

  ぜず、自ら進んで神威を試みようと

  して厳しく罰せられた傳説が名藏村

  の白石御嶽には語られて居る。

 

   殊に後者(この話のこと)は萬年

  靑岳山上の女神であって、最初筑前

  宗像の大神と同じ様に、姉妹三柱の

  神で大和から御渡りなされた。

 

   姉神は首里の辨ノ嶽に駐りたま

  ひ、他の二神は久米島の二つの峯に

  先づ降られたが、中の神の山が末の

  妹神の山よりも低いので、更に飛ん

  でこの八重山の最高峰に、跡を垂れ

  たまふと謂ふことは注意に値する。

 

   内地の方でも前に私の筆録した陸

  中山村の古傳、或は山陰の海岸地方

  などにも、この三女神分領の物語は

  傳はつて居て、爰にも亦一線の絲口

  が手繰り寄せられるからである。

 

   万年青岳の女神は御名をオモト大

  アルジ、其神託を宣べたという妹の

  名はオモトオナリとある。

 

   兄が二人あって一は従順、他の一

  人は甚だ兇暴であって、それぞれの

  賞罰があったといふ古風な語り方も

  面白いが、

 

   それよりも興味深いのは、大和の

  金峰山を始めとし、本州各地の霊山

  の頂きを極めようとして、神に罰せ

  らて石に化したという遺跡が、悉く

  姥石 巫女石 比丘尼石 であるに

  反して、島では强ひて登った惡い兄

  が、石になって名藏の野中に在った

  というふのである。

 

   山を拜した南北の信仰が本一つな

  りとすれば、この顕著なる男女の顛

  倒は、是非とも其理由を詳らかにし

  なければならぬ。」

              引用 以上。

 

       

5)柳田國男のこだわり

 

 他(特に内地?)の伝承では、霊山を

 探す、女神そのものが罰で石になる

 

 (「都藍尼:とらんに」「老女化石

  譚」などの語で検索すると出てき

  ます)

 

 のに対し、石垣のこの話は、兄(男)が

 石になるという点に柳田は興味を示し

 ています。

 

 柳田は、沖縄の島々は、内地が早々と

 喪失したり、形を崩してしまったりし

 た古の記憶を、まだ、幽かであれ、良

 く温存しているという基本的な認識を

 もって話を進めています。

 

 ですから、遷移先を探して旅する三柱

 の女神の話も、大和(日本本土)では

 女神そのものが石になる話にまで堕し

 たのが、沖縄では、尊きオナリ神が、

 まだ身近であったために、そうはなら

 ず、兄が悪者にならざるを得なかった

 と、柳田は、言いたかったんだと思い

 ます。

 

 それにしても、そのような形で、新来

 の文化を取り込みながら、古来の信仰

 は、徐々に徐々に、過去へ過去へと、

 押し遣られていった、ということを、

 膨大な引用を点検しながら語るのが、

 『妹の力』という本なのであります。

 

 倦まず読めれば、日本の神社のありよ

 うや、各地の伝承のありようが、もわ

 ぁぁっと、見えてきます。