老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

むずかしい本棚の整理

 まだ何か知りたがっている

  

1)何もする気はしない中

 

 月1回の紙類の回収日に合わせ

 本棚の整理を行った。

 

 造園会社に就職した昨年11月前の

 9月、10月の2ヶ月間にも

 それまでの勤め先がらみの本を

 かなり整理しましたが、

 その続きといった感じ。

 

 

2)なかなか捨てられない

 

 老い先長くはないんだし

 終活もかねるんだから

 と思い、

 かなりな冊数捨ててるんですが

 それでも、それでも

 目覚ましいほどに棚は

 「空き」になっていかない。

 

 

3)「蔵書」の厄介さ

 

 以前勤めていた会社の書庫に

 外部の方の「蔵書」が段ボールで

 何箱も置かれていた。

 

 先輩担当者が断れずに

 預かっていたのか受け取ってたのか

 見るたび「なんとかしてほしい」と

 思ったが、口に出せなかった。

 

 「蔵書」なんてそんなもん。

 

 本人には極端な思入れの固まりも

 他人には、ただ厄介な代物。

 

 古い話だけど、

 亡くなられた百科全書派の

 桑原武夫先生の蔵書が

 寄贈を受けた図書館のほうで

 一部勝手に廃棄されていた

 というようなことが

 報じられたことがあった。

 (2017年だったらしい。wiki

 

 ま、そのころから、

 リベラリズム派への関心や

 価値づけはすでに減退していた

 ということでもあったのでしょうか

 

 

4)捨てられないのは生きてる証?

 

 上手く言えないですが

 「捨てられない」のは、

 まだ、なんかの折にその本が

 必要になったり参照したり

 というようなことがありそうな気が

 するからで、

 

 つまり、まだ、

 この先の自分の興味の範囲を

 しっかり保っておこうとしている

 ということのようです。

 

 社会的とか経済的とかの

 世間的な方面への執着は

 全くと言っていいほどないのですが

 この自分の興味の範囲で

 もっと何かを見たい深めたい

 知りたい!というような思いは

 衰えておらず、

 

 というか逆にそれしかない

 貧乏人のやせ我慢かもしれませんが

 現在の自分の生の肯定感の

 基本はそれだなと

 今、思い至った次第です。