老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

『日本の川を旅する』読書感想文

  野田知佑さんが亡くなった

 

1)さほどの読者ではないんですが

 

 『日本の川を旅する』一冊を

 読んだだけなんですが、

 素晴らしい本だと思いました。

 

 1980年頃の、まだ自然豊かな

 北海道の川と、そのほかの川と

 野田さんはべつに比較のために

 それぞれの川を旅していたのでは

 なかっただろうと思うのですが、

 

 市街地に近くなるほどというか

 川の回りに人々が集まった川ほど

 川は川本来の姿を失うという

 人間存在の残念さというようなことが

 あの本を読んで一番感じたことでした

 

 とくに、福岡出身のほっこりは

 筑後川の惨状というようなことが

 強く印象にのこっています。

 

 

2)その後の河川

 

 ほっこりは全く詳しくないんですが

 60年代、70年代の公害問題とかあり

 自然回帰ブームとかも同時にあり、

 (「土壌」ということばに接した

  最初は『複合汚染』だったかと)

 それらが行政とかにも

 少しずつ反映されて

 

 世の中はその後けっこう様々な

   手立てを講じてきた

 ということも事実だと思うんです。

 

 で、わが子と戯れた2000年頃には

 清流を取り戻した市街地の川が

 当時住んでる近くにもありました。

 

 今住んでいる埼玉の家の近くの川も

 「以前はどぶ川だったんです」

 と、引っ越してきた当時、

 地元の方から聞いたもんでした。

 

 

3)おいしいお米「旭一号」

 

 『日本の川を旅する』で

 熊本の川だったかを紹介する辺り

 おいしいお米「旭一号」というのが

 登場します。

 

 実は、ほっこりの実家も

 1972年頃まで兼業農家をやっていて

 例の減反策でやらなくなったんですが

 「旭一号」を作ってたんです。

 

 農家を止めた時にほっこりは

 中学生でしたし、概ねぼーっと

 生きてた凡庸な普通の子でしたので
 (今みたいに情報過多なんて

  時代状況でなかったことは

  ぜひともはご勘案頂きたい)、

 

 その当時、言われて手伝ったりは

 していたものの、稲作のことなんか、

 な~んも理解してはいませんでした。

 

 でも、野田さんの本で「旭一号」

 の文字を見た時に、おやっと思い、

 母親にそのことを話したことを

 覚えています。

 (母はまだ生きてますが)

 

 丈が高くて脱穀機に噛ませにくい

 という、本にも書いてあった理由で、

 周りの農家では作らなくなっていた

 のですが、我が家ではそれでした。

 

 おいしい米なので、

 農家仲間のお宅からのリクエストで

 一俵交換をしていた、ということが

 母の思い出として繰り返し語られる話

 だったので「おやっ」だったわけです

 

 野田さんの名を聞くと

 そういう我が家の思い出も甦ります。

 

 

4)野田さんの文章力

 

 『日本の川を旅する』が心打つのは

 その旅の面白さ、特異さはもちろん

 あるのですが

 

 その川旅の面白みや、

 一方での川の惨状などを伝える

 野田さんの文章が、

 アジテートまがいのものだったら

 ベストセラーにはならなかったろうと

 そう思います。

 

 おそらく相当な読書家でも

 あったんでしょうね。

 撚った絃を弾くような

 深みのある音色とでも言うですかね

 それがあの一冊の本に

 命を吹き込んでいた

 そういう記憶の本でした。 

 

 ご冥福をお祈りいたします。