老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

戦争の背骨

 

   愛国心ってなんなんだろう

 

1)潮目が変わった?

 

 3月16日にゼレンスキー大統領が

 アメリ連邦議会のオンライン演説で

 「真珠湾攻撃」と「9.11」を

 米本土への攻撃として同列に扱って以降

 ネット上でウクライナ非難が

 増えてます。

  

 

2)日本は悪くない

 

 日本は絶対悪くない派の人々の心情を

 ゼレンスキー演説は逆なでしてしまった

 ようです。

 

 まあ、こうなるんじゃないか

 という予感はうっすらありました。

 

 

3)時代状況の問題はあると思います

 

 3月16日のブログ

 「戦争の親玉」で書いたように、

 近代からの帝国主義時代の

 時代感覚のさ中にあった

 第二次大戦期の軍事行為の評価は

 なかなか難しいと

 思うわけではありますが

 

 

4)非道な行為は許されない

 

 もちろんそういう世界的な

 時代状況だったとしても

 戦争が正しかったなどと

 考えるわけではないし

 

 特に、

 戦争のさなかに、あるいは

 戦争後の混乱の中において

 行われた非人道的な行為は

 きちんと裁かれなければならない

 と考えます。

 

 ことの良し悪しには

 敵も味方もないと考えます。

 そうでなければ戦争は終わらない

 と考えます。

 

 

5)今現在の悲劇

 

 ウクライナの悲劇は

 今この瞬間において帝国主義的なものに

 世界がなかなか打ち勝てないという

 悲劇だと考えます。

 

 そういう近代的な敵味方的な考え方

 そこを、戦争の親玉たちは煽り

 世界のいたるところで

 残念ながらそれに躍り上がる人たちが

 まだたくさんいる。

 

 そういう戦争の原理の愚かさを

 歴史は教えてくれているんだけど

 そう思いたくない人たちがたくさんいて

 そういう人たちは自分たちを

 きまって愛国者だと強弁する

 

 それを、否定するのではなく

 そういう人々の心理の働きを

 超えなければ戦争は無くならない。

 

 客観的、論理的な歴史理解から

 目を背けたがる心理。

 自国第一の「好き嫌い」のしくみは

 なかなかに手ごわい。

 

 しばらく前から

 そこんところで足踏みばかりしている。

 

 

6)好き嫌いの背骨(戦争の背骨)

 

 「好き嫌い」の背骨は

 自意識(自己肯定の心理)で

 この自意識の不良作用、

 例えば

 誇りとメンツの勘違い作用

 (客観的な視座の未成熟)

 あたりが、

 仕事場から世界的なレベルまで

 紛争(諸悪)の根源になっている

 ような気が漠然としているのですが

 

 まだ、漠然としているだけなので

 また、おいおい。