老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

安楽死について

 

  「自分という尊厳」を保持したまま死にたいものです

 

1)オランダでの安楽死

 

  こういう記事をみつけました。

  

    「愛の中で逝かせて」21歳の娘は安楽死を選んだ 

     受け入れた母の思い 世界で初めて合法化したオランダ、

     21年たってどうなった

    2023/11/16(木) 10:32配信 47NEWS (共同通信:市川亨)

 

  まあ、タイトルの通りで、

  2002年に世界で初めて安楽死を合法化したオランダの現状の報告。

 

 

2)ドンブリ勘定要約

 

  2002年に施行されたオランダの法律は

  「要請に基づく人生の終結と自殺ほう助(審査手続き)法」

  というのだそうです。

  

  安楽死の要件は、

 

     「次の6項目で、全てを満たす必要がある。

      ・本人から自発的で熟慮された要請があること  

      ・耐えがたい苦痛があり、良くなる見通しがないこと  

      ・医師が患者の状況や予後について十分な情報を提供すること  

      ・ほかに合理的な解決策がないこと  

      ・担当医とは別に、1人以上の独立した立場の医師が審査すること  

      ・正当な医療的方法で注意深く行われること 」

 

  また、

      

    「『死期が迫っていること』は要件ではない。」

 

  つまり、もう死にそうだからいいじゃないか、といった尺度は容認されず、

  また、

 

    「『死にたい』と希望しても、そう簡単には認められない」

  

  らしいです。

 

  ほんとに、荒っぽく凝縮すると

 

     ①それ以上の生が、第三者も認める解決不能

       本人にとって耐え難い苦しみであること

     ②本人がしっかりと、死を希望していること

 

  になるのかなと思います。

 

  「生きていくのが嫌になったから」という理由で、

  安楽死が選択できるわけではなさそうです。

 

    また、

 

  「姥捨て山」みたいに、

  「用無し」や「弱者切り捨て」的な発想も

  容認されていないのはもちろん、

  オランダ社会にそういう認識は無いらしいです。

 

  そんなこんな、オランダの現状いろいろ伝える中に記されています。

 

 

3)批判がないわけではないようです

  

      「キリスト教の患者団体「NPV」がその中心だ。  

       NPVの政策アドバイザー、

       イボナ・ホウシュバン・ホーシャンさんはこう訴える。

 

       『安楽死を選ばなくて済むよう、

        精神面を含めてもっと緩和ケアに力を入れるべきだ。

        安楽死する人の増加は、

        社会がインクルーシブ(包摂的)でないことを示している』」

 

    この批判は、一面において正しい批判のような気がします。

 

    おそらく、先日書いた「都会と村社会」ではないですが

    あるべき社会とか政治とかいうものは、

    そういった苦しみを受けとめ、解決することを

    諦めたり、放棄してはいけないものだろうと思うからです。

 

    でも、その新たな社会的な叡智の到達を待つほどの余力が

    もう当事者たちには無い、ということも

    反面でみとめざるを得ないということなのかどうか。

 

 

4)認知症はどう位置づけられるのでせう

 

   オランダの安楽死6要件の筆頭にも本人の自発性ということが

   挙げられているのですが、そうすると認知症患者は、

   オランダの安楽死制度では対象外と見做されているのでせうか?

 

   その辺については触れてはありませんでした。

 

     でも、

 

   認知症になって、部屋中の壁に自らの糞を塗りたくるような事態、

   いや、そこまでいかなくとも、

   自己認識を失い、善悪の意識も失い、羞恥の意識を失って、

   生きながらえるだけになることに、

   なんの意味があるというのでせう。

   「自己の尊厳」思えば「耐え難い苦痛」の常態以外の

   何物でもありませんが、もはや、

   その段階では、安楽死を希望することなどできません。

 

 

5)議論を深めてほしい

 

   今回の、記事の背後にももしかしたら

   そういった、今後の、痴呆と人間存在という

   問題への配慮も多少あるのかもしれませんが

 

   今後も、少しずつ

 

   この問題について議論を重ね

   痴ほう老人の安楽死についても

   論理的な地ならしが出来ていければいいなと思います。

 

   決して、安楽死ありきということではなく

 

   何か、いい叡智のようなものの発見・発明があれば

   そういったものを踏まえた

   良き死に方の心づもりができるでせう。

 

                            昭和98年11月17日