老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

サイコスリラーの時代感性

 前回の続き

 

1)ロアルド・ダールの短編

 

 「The Sound Machine」 を読んで

 なんとなく、前回のモヤモヤが

 解消された気がしました。

 

 ほっこりが読んだのは

 桐原書店1972初刊の

 『SOMEONE LIKE YOU』 

 

 学生向けの読本で、

  Man from the South

  The Wish

  The Sound Machine

 の3短編で構成されたもの。

 

 

2)The Sond Machine の要約

 

 植物の発する何かを

 音に置き換える機械を発明した

 変わり者の科学者が

 

 伐られる花や木たちの

 悲痛な金切声を聞いてしまい

 ひと騒動あるも

 

 最後は、知り合いの医者に

 寄り添われて静かに

 去っていく

 

 

3)サイコスリラーの仕掛け

 

 話のなかでのあれこれが

 最後には、狂気の内側に

 読者も付き合わさせられて

 いたんだと分かるのが

 サイコスリラーの仕掛けの一つ

 かと思いますが、

 The Sound Machine はまさにそれ。

 

 なるほど、やはりそういう作者で

 あったかと分かってみると

 Man from the South の最後も

 ああいう終わり方が

 あの時代には斬新だったんだきっと

 あの終わり方にこそ

 意味があったんだきっと

 

 そしてあの最後のどぎつさは

 今よりそういったどぎつさに

 寛容だった時代の許容範囲を

 示していたんだろう

 

 というふうに

 勝手に納得してしまった

 

 

4)時代感性は変わる

 

 『死刑台のエレベーター

 という映画作品を、ほっこりは、

 2000年代にレンタルDVDで観た。

 

 そして、結論から言うと

 結末が読めたので、

 なんか、肩透かしを食らったような

 物足りなさを覚えた。 

 

 迷宮入りしそうな事件が、

 撮影されていた写真の現像で

 明らかになってしまう

 

 という、その後、この衝撃を

 真似たテレビドラマや映画を

 繰り返し観て育ったほっこりは

 その原型作品を観て、結末が

 読めてしまったわけです。

 

 こういうことは他にもいっぱい

 あります。 例えば『猿の惑星』の

 自由の女神像の衝撃パタンとか。

 

 

5)そういう意味合いの部分で

 

 サイコスリラーの

 「実は狂気だった」パタンの作品が

 今日でも作品価値を落としてないか

 ヒッチコック作品なんかを

 改めて観てみたい気もするのですが

 まあ、気がする程度です。

 

 

6)つい引き込まれる力はあります

 

 The Sound Machine は、

 そういう"仕掛け"の時代性問題は

 ありますが、読むとぐいぐい

 引き込まれます。

 

 難しい構文とかほぼ無く

 素朴な英単語を繋ぎ合わせて

 科学者の狂気の息遣いに

 読者を引きづり込みます。

 

 その点は

 The Wish で顕著です。

 幼い少年の想像力の内側が

 ほんとに簡単な英単語の羅列で

 見事に表現されます。

 

 ロアルド・ダールという人は

 内面を素朴に見つめる

 といった辺りに

 基軸があるんじゃなかろうか

 

 などと、たった三作品を読んだ

 だけでの感想を持った次第です。