老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

「自由」は明治時代の新造語ではない

 

    机上時間の消費ばなし

 

 

1)「自由」ということばの由来

 

  てっきり

  明治時代ごろの新造語かと

  思っておりましたが、

 

  造園施工管理試験問題に飽きて

  『徒然草』口語訳読んでいたら

  第六十段で「自由」の文字が登場。

 

  えっと思ってググったら

  同じような疑問で

  ヤフーやグーのQ&Aに

  投稿している方々が結構

  いらっしゃいました。

 

 

2)結論、あっさりたどり着いた感じなので

 

  wikiにまとめてもらうと

 

    『・・・「自由」は古典中国語では「後漢書」、

     日本では「続日本紀」まで遡ることができるが

     我儘放蕩(わがままほうとう)の意味であった。

     徒然草に「よろづ自由にして、大方、

     人に従うといふことなし」(60段)とあるほか、

     二条河原の落書には「自由出家」「自由狼藉」

     という語句が登場していた。

     江戸時代の教育論の書である和俗童子訓には

     「殊に高家の子は、物事豊かに自由なる故に、

     好む方に心早くうつり易くして、おぼれ易し。」

     とあった。・・・』

 

  つまり、日本人が、典籍(の文字(漢字))を

  学びはじめた初めの頃からあったことばで、

  吉田兼好先生も「わがまま、勝手」という

  本来の意味合いでのご使用だった

  ようです。

 

 

3)そのことばに

 

  明治の頃に、liberty  や

  freedom  などの訳語として

  福沢諭吉先生などが、

  いわゆる自由民権的な自由の概念を

  新たに吹き込んで、

  (今日の我々は、その意味合いで

   この言葉を使っているらしい)

  というよなことも

  wikiの中に書いてあります。

 

 

4)徒然草の現代語訳は

 

  今回初めて読むわけでなく

  第六十段も初めてではなく

  だいぶ以前に、

  一度ならず読んでいて

  この自由の文字も目にしていた

  はずなんですが

 

  昔は読み過ごしていたんですよね。

  昔は、いろーんなことを

  いっぱい読み過ごし、

  見過ごしていました。

 

  それで、よかったんですよ。

  それで全然問題にならなかったんですが

 

 

5)ネット時代になって

 

  ことばだけでなく

  いろんなことが一つ一つ

  気になっている、

  過敏になっている、

  そういう気がします。

  

 

6)そんなふうに

 

  何か読みだしたり

  見だしたりしては

  あれこれいろいろ気になりだして

  寄り道し

  費やしたいだけ時間を費やしている

  そんな状況。

 

  不耕貪食の徒奴!と、

  安藤昌益先生には

  叱られそうですが

 

  療養中なのです

  なにとぞご寛恕ください。