老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

前橋古墳群と太古の道筋

 

 ググって開けた箱の中  

 

1)ブラタモリ前橋を観ました

 

 前橋といえば

 

 個人的には

 行ったことなかった

 前橋煥乎堂書店に

 行ってみたかった

 てのはありますが

 

 世間相場的には

 やはり地味な印象らしく、

 その"定評"をくつがえすべく

 徳川家康が言ったという

 「前橋は関東の華」

 ということばに掛けて

 街の華と言えるものを挙げながら

 前橋をおおいに盛り上げようと

 関係者が意気込んだ

 回のようでしたが、

 

 撮影当日が雨だった不運も手伝い?

 華というほどの華が

 どうもいまいち伝わりにくかった

 ような気がしているのですが。

 (あくまで個人の意見です)

 

 それはともかく

 

 

2)前橋台地に集まる古墳

 

 広瀬川低地を見下ろす

 前橋台地の段差のヘリのところに

 3㎞にわたり200基くらいの古墳。

 

 群馬県で一番の密集地

 ということでした。

 

 群馬に古墳が多いというのは

 どっかで読んでいたので

 あらためて、その「多さ」って

 どんな感じ? と気になり

 またググりました。

 

 

3)データが微妙ではありますが

 

 文化庁

 『埋蔵文化財関係統計資料』を基に

 作成された2016年度と2012年度の

 都道府県別の"古墳数"順位一覧が

 ネットですぐに見つかります。

 もちろん文化庁が順位付けしている

 わけではありません。

 

 それによれば

 2016(平成28)年度は

 

 1位 兵庫   18,851

 2位 鳥取   13,486

 3位 京都   13,016

 4位 千葉   12,765

 5位 岡山   11,810

 6位 広島   11,311

 7位 福岡   10,754

 8位 奈良     9,700

 9位 三重     7,025

 11位 群馬     3,993

 

 47都道府県全部出てますが、

 12位以下割愛です。

 

 

4)おおきな古墳の数ではない

 

 上の順位みて、

 群馬が11位ということも含め

 奈良や福岡がそんな下で

 島根は10位にも入らず

 兵庫、鳥取が1位、2位?

 

 と、なんとなく、

 しっくりきません。

 

 実は、このデータの「古墳」は

 「横穴古墳」を含めた"古墳数"

 だそうです。

 (年度に消えた数も含むそうです)

 

 皆さまご存じの前方後円墳なら

 大和王権のシンボルとして

 大阪平野奈良盆地を中心に

 全国に広がる図というのが

 お馴染みですが、

 

 「横穴古墳」を含む"古墳数"を

 どう捉えたらいいのか・・・?

 

 専門的な方々からすると

 意味のないことを言っている

 かもしれませんが

 

 「横穴古墳」は別枠のほうが

 素人には、分かりやすい

 気がします。

 

 

5)前橋台地の古墳群はどうなのか

 

 説明されていた先生が

 「大和政権を支える豪族たちの

  支配地」のようなことを

 仰っていたので、

 また、ググってみました。

 

 前橋市教育委員会事務局

 文化財保護課さんの

 平成27年3月発行 PDF によると

 

 古墳の形は

 

   ・前方後円墳

   ・前方後方墳

   ・帆立貝形古墳

   ・円墳

   ・方墳

 

 で、154基とあって、

 横穴古墳もあるかもしれませんが

 そうでない墳丘墓で154基なのは

 たしかに密集のようです。 

 

 "さきたま"のヲワケ(5C)より

 一世紀前の時代(4C)に、

 大和王権の東方のフロンティアを

 自負し、巨大な墳墓で、

 中央政権とのつながりを

 盛んにアピールしようとした

 

 日本書紀いうところの

 豊城入彦のようなヒーローたの

 雄姿が目にうかびます。

   

 

6)古代のメインストリート?

 

 ところで「東山道」って

 ありますが、

 なんで、古代人たちは、

 海側(平地)の道でなく

 わざわざ山の中の道を

 幹線道路に選んで歩いたか、

 最初わからなかったんですが、

 

 縄文海進とか地盤変動とかで

 海側を通れない時代が、

 縄文時代から永々とあって

 (地域によるらしいですがwiki

 

 尾根筋とか、山裾こそが道だ

 という古代幹線道の"常識"が

 弥生時代古墳時代とかまで

 ずっーと、あったんじゃ

 ないでしょうか?

 

 「東山道」含む五畿七道とかの

 "律令の道"は7C、8C 頃からの

 話らしいですけど

 「東海道」は、そのころの

 新しい道だったんじゃないかと

 これは、あくまで妄想ですが。

 

 まあでも、菅原孝標の女一家は

 11世紀の始め(平安中期)に

 京から下って来た時に見た

 「浜名の橋」がなくなっている

 とか言いつつ、東海道

 上總から京へ上ったのではあります。

 

 でも、その後、鎌倉時代になっても

 「東海道」は、所々の干潟で

 潮待ちさせられる難儀な道だった

 らしいことを、榎原雅治さんの

 『中世の東海道をゆく』で詳説

 されています。

 

 とまれ、太古の前橋台地は

 昔からのメインストリート

 「東山道」を大和から行く時、

 中部山地の山々を抜けた先で

 大古墳の居並ぶ"華やかな"

 台地だったと、ご祝儀形容

 してもいいいんじゃ

 ないんでしょうか。

 

 

7)発掘調査はお寒い状況

 

 ブラタモリ前橋からは離れますが

 上述の文化庁の統計資料に

 遺跡のありそうな土地での

 「工事届出」の件数と

 「工事にともなう発掘調査」の

 件数が、折れ線グラフで

 示されているんですが、

 

 「届出件数」は基本的に

 右肩上がりなんですが、

 「工事に伴う発掘調査」の方は

 平成8年(1996年)をピークに

 翌年急落し、その後は、

 急落した辺りでの小幅な

 振幅で横滑り状態です。

 

 発掘調査費用の推移も

 民間事業分は200億円越えの

  平成04(1992)年がピーク

 公共事業分は1138億7100万円の

  平成09(1997)年がピーク

 平成27(2015)年まで

 基本右肩下がりです。

 

 特に、公共事業分の費用の

 右肩下がりぶりは半端ありません。 

 

 この方向転換には

 何があったんでしょうね。

 

 重要と思えそうな遺跡は、

 発掘調査されているんでしょうか

 工事ってことは、

 調査しないやつはしないまま、

 潰されてるってこと!?

 なんでしょうか。

 

 おお。

 

 これが日本の民度なんでしょうかね

 いやな資料覗いてしまいました。