老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

ロシア人の袋小路と国連改革

 

 やっとわかった気がしました

 

1)ロシア人の思いの内側

 

 文春オンラインの今朝の配信

 《「第三次大祖国戦争」論を

   多くのロシア国民は支持

   している》

  ウクライナ侵略の背景にある

  世界観 

     2023/6/7(水) 6:12配信

 

 を、読みました。

 

 この記事は、

 現代史家の大木毅氏による

 「 ロシア『大祖国戦争』が歪

 める歴史認識 」(「文藝春秋」

 2023年6月号)が下敷きになっ

 ているそうです。

 

 

2)どんぶり勘定勝手要約

 

 1991年のソ連崩壊で

 多くの連邦国が離れていき

 歴史的アイデンティティ

 危機に立たされたロシア人

 

 2000年に大統領になった

 プーチンはロシア国民の

 誇りを取り戻したかった。

 

 膨大な犠牲を払って勝ち取った

 第二次世界大戦の勝利は

 輝かしい大ロシアの勝利であり

 誰も汚すことのできない

 もののはずだった。

 

 しかし

 

 2011年に発表された論文で

 ドイツ軍の侵攻を食い止めた

 と神話化されていた

 ソ連パルチザンの活動が

 否定され、

 

 2019年の欧州議会では

 ナチズムと呼応した

 ソ連スターリニズム

 ナチズムとともに

 戦争責任ありとする認識の

 「ヨーロッパの将来に対する

  記憶の重要性」を

 声明文として採択。

 

 プーチン

 ナチスとの不可侵条約は

 いずれ必ず起こるドイツとの

 全面戦争に備えるための

 やむを得ない判断だった

 

 ドイツの侵攻とソ連

 防御のための戦いの意味合いは

 同一視してはならない

 

 という論法を展開、

 法律にまでしてしまう。

 

 そして、

 

 プーチンは、

 ソ連第二次世界大戦

 なみなみならぬ犠牲を払い、

 血であがなったものが

 (ソ連邦)であり、

 

 必然的に後継国家のロシアが

 相続すべきだとする歴史観

 あるいはフィクションを、

 

 19世紀のナポレオン戦争以来の

 祖国戦争と同化させ

 国民鼓舞に使いはじめた

 

 云々

         (要約終り)

 

 

3)プーチンの言いわけ

 

 独ソ不可侵条約

 やむを得ないものだった

 という類の言いわけは

 

 戦争に係って責任を追及される

 人達もよく口にする言いわけで

 

 しかしそれは、

 あと知恵による詭弁だと

 大木毅さんは指弾され

 

 ソ連に占領された

 ポーランド東部や

 バルト三国の国民に加えられた

 人間の尊厳を踏みにじる犯罪

 

 など、何も弁護できないと

 挙げられています。

 

 敗戦を民間人に知らせず

 真っ先に中国大陸から

 逃げ出した

 日本軍の非人道性について

 以前に触れてもいますが

 

 いくら戦争という

 非常事態下であっても、

 許されることと

 許されないことはあると

 思うのですが、

 

 その線引きの難しさも

 あるとは思います。

 

 

4)帝国主義の最終戦の責任

 

 以前にも書いたことですが

 

 第二次世界大戦のころまで、

 あるいは、その余燼としての

 朝鮮戦争ベトナム戦争

 頃までは、

 

 近代の植民地戦争の時代性を

 引き継いだ帝国主義時代の

 最後の戦いだった

 と思うのです。

 

 やらねばやられるの理屈で、

 誰もがそれぞれの立場や

 状況下で必死だった。

 

 だから

 

 独ソ不可侵条約

 やむを得ない質のものだった

 のいいわけに、

 

 完全に否定しえない

 難しい面が残る

 とも思うのです。

 

 2019年の欧州会議の声明文は

 スターリニズムに焦点を当て

 現在のロシアを否定するもの

 ではなかったのだろうと

 思いますが

 

 スターリニズムソ連とを

 一体で否定されたと感じた

 ロシアの国民の心の内は

 察して余りがあった、

 ということなんだろう

 と思います。

 

 なんですが・・・、

 

 

5)ドイツは向き合った?

 

 ドイツは、ナチズムと向き合い

 これを総括した平和教育

 今も続けていると

 時々テレビとかで見ます。

 

 ドイツは、世界平和や

 人道主義的な物差しを

 虚心に受け入れ、

 否定すべきものは否定して

 戦後国家の再構築に成功できた

 わけであります。

 

 ドイツにできた

 是々非々で考えることが

 なぜ、

 ソ連にできなかったか

 といえば、

 

 ドイツは敗戦国で

 ソ連戦勝国だった

 ということに尽きるかと

 思います

  

 勝った国がなんで反省しなきゃ

 ならないんだ!

 

 これです。

 

 

6)勝ち負けを超える

 

 これも、以前に書きましたが

 

 国連が、第二次大戦の

 勝ち負けの構図を

 いつまでも改めないことは

 間違いだとほっこりは

 ずっと思ってます。

 

 第二次世界大戦の勝ち負けは

 帝国主義時代の最後の戦いの

 勝ち負けであり 

 

 その時代を過去のものと

 しなければならない現代には

 すでに意味をなさなくなって

 いるのであって

 

 それを続ける限り

 それを変えない限り

 

 敵味方という平面的な

 対立軸で興奮してしまう

 前近代的な心性を

 現代人は相対化できない

 のであり

 

 第二次世界大戦の勝ち負けの

 概念を終息させ

 

 前近代的な敵味方の心性を

 過去のものと捉えなおすときに

 初めて、現代人は現代人に

 なるんだろうと思うわけで

 あります。

 

 

7)あらまほしき戦後処理

 

 ウクライナ侵攻の否定は

 そういう観点からなされねば

 ならないとも思うわけで

 ありますし、

 

 戦争の終結

 どっちかの国の勝ち負けだけで

 終わらせてはならないと

 そう思います。

 

 最近の国連決議が

 第二次大戦の戦勝国である

 常任理事国の拒否権により

 否決され続けている現状を

 

 この戦争のあとの、

 戦後処理のなかで総括され

 常任理事国の特権が

 世界平和の妨げになっている

 という反省のもとに

 国連改革が行われる

 

 そこまで行きついてこそ

 人間は聡明になれると

 切に願うわけであります。

 

 もちろん、

 もう一つの戦勝大国とか

 もう一つの軍事産業大国とか

 考えれば、

 絶望的な気持ちにしか

 なりませんが、

 

 自分がまだ生きているであろう

 あと10年から15年くらいの内に

 どうにか

 いい展開がこないかなあと

 思うわけであります。