老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

川の健康診断

 人生の終わりに向かって

 家にある本の再読、または、

 未読本の読み納めをする、

 「終読」シリーズの第何弾?

 (シリーズ化してたんだ?)

 

1)川の本3点

 

 『多摩川はつらいよ』

  (小菅盛平著/1990年/農文協

   <人間選書153>)

 

 『川の健康診断』

  (森下郁子著/1977年/

   <NHKブックス290>)

 

 『川の話をしながら』

  (森下郁子著/1999年/創樹社)

 

 

2)『多摩川はつらいよ』は、

 

 多摩川近くの小学校の4年生たちが

 「総合学習」の一テーマとして

 取り組んだ「多摩川」の観察活動の

 報告、と書くと固い感じですが、

 

 現代っ子たちが、親たちも巻き込み

 ながら、少々泥臭い川で遊び、

 親しみ、生き物たちにだんだん

 詳しくなりつつ、期待以上の

 成果を結実させていく、

 学びも多いが、何より、

 読んでて楽しくなる本です。

 

 

3)『川の健康診断』は、

 

 ざっくり言うと(たぶんですが)、

 1970年代にあった漠然とした

 環境保護意識に向かって、

 

 水生昆虫学の視点から

 河川・湖沼保護の

 具体的な取り組みのための

 ものさしを提示した最初の本、

 のようです。

 

 毎日出版文化賞を受賞しています。

 

 ほっこりが、知らなさすぎたのでは

 あるでしょうが

 

 幼いころ、家の周りにうじゃうじゃ

 いた、イトミミズや赤虫って

 そういう存在だったのかあとか

 

 出て来る水生昆虫とかを

 ネットで検索したりして

 じっくり読み込んでいくと、

 とにかく面白くて飽きません。

  

 たとえば、

 カゲロウとかトビケラなんかを

 ネットの動画でトレースしながら

 読んだりすると、

 陸の水の中の世界に

 ドボ~~~ンと埋没(水没?)でき

 

 オォーーーーッ!

 フライ・フィッシングのフライって

 そおいうことだったのかあ!!!!

 と、感動すら覚えたりします。

 

 

4)『川の話をしながら』は、

 

 また、ざっくりまとめますと

 1970年代後半に『川の健康診断』を

 書いた著者が、

 

 1999年に、自身の半生(第Ⅰ章)と

 河川保護の来し方行く末(第Ⅱ章)

 についてまとめられた本です。

 

 『川の健康診断』読み終えた時に、

 それから後は、どうだったんだろう

 と、当然ながら湧き上がる思いに、

 後半(第Ⅱ章)が、おおまかに

 答えてくれる本です。

 

 

5)ほっこりの個人的な読み方

 

 『川の話をしながら』第Ⅰ章は、

 著者・森下郁子さん自身の

 "生活史"なんですが、

 

 口述筆記者である川又昌子さん

 という方の筆力も相まって

 読みごたえある伝記になってます。 

 

 著者は、1935年(昭和10年)の

 台湾生まれ。今年88歳。

 ほっこりの母親の一つ下なので

 ほぼ同世代なんですが、いわゆる

 外地からの"引き上げ者"なので

 転校生的な、半歩ずれの視座で

 戦後の日本に対峙してこられた

 ようです。

 

 ほっこりも、母や父から

 戦時中の辛かったこととか

 おぼろに聞いてはおりましたが、

 逆にいうとそればかりだった

 と言いますか

 

 父母は学歴高くなく

 生活のため早くに働き出しもし、

 能弁でもありませんでしたので

 この世代の青春期の思いとかは

 なんとなく、もやっと、

 ごく、教科書的にしか

 想像できていなかったのですが

 

 ほぼ同時期に同じ世の中に生きて

 ユニークな思考を巡らせていた

 著者の思惟を通じて、

 

 学歴は比べものになりませんが

 わが父母の若いころを

 相対化できたような気になり、

 

 また、ほっこりの"上の世代"、

 "全共闘世代"の隆盛と衰退は

 小中生の頃、テレビ画面を通じ

 これも、外面的にだけ知る

 もやもやとした世界だった

 わけですが

 

 その内側の一角にいて、運動に

 近くなったり遠くなったりしながら

 あれこれ熟考した著者の視座がまた

 この時代を相対化するための

 ほっこりにとってのひとつの物差し

 になったような気がしました。

 

 「終読」でのなによりの成果です。

 

 

5)先々の朝ドラ候補?

 

 著者の"生活史"は、戦中、戦後、

 高度成長期と全共闘世代。そして、

 人々が環境保護を唱え出す、

 意識変化の70年代あたりに随伴し、

 

 これまでは、戦中の苦労と

 戦後の高度成長までが定番だった

 NHKの朝ドラの、"その次の時代

 感覚"を持った内容ではないかと

 思ったのですが、

 

 偉業を為した方の猪突猛進的な

 パワフルさは、若干、周囲が目を

 丸くするというか心配するような

 子どもの教育方針などに現れ、

 

 それは、子育てと仕事の両立という

 今に至る社会の一大テーマと

 表裏一体の問題なんですが、

 

 若干エキセントリックさが

 目立ち過ぎたりしないだろうかと

 余計な心配したり、

 

 それと、著者の半生を追うとなると

 どうしても、全共闘世代の総括が、

 避けられなくなるけど、それは、

 まだ、まだ、生々し過ぎるな、

 などと、「余計なお世話」を

 思いめぐらしてしまいました。

 

 

6)「自然との共生を考える」

 

 『川の話をしながら』第Ⅱ章は

 自然との共生がテーマ。

 

 著者があとがきで断っているように

 著者があちこちに寄稿した文章を

 まとめ加筆されたものらしいですが

 

 その縫合作業のせいなのか、

 もともとの文章のせいなのか、

 何言ってるかわかんないところが

 あるし、

 

 日本人の縦社会を、日本の河川の

 ありようだけで定義づけようとする

 文明論的な個所は、理解不能です。

 

 マスがいる個人重視のチグリス川

 バスがいる協調重視のユーフラテス

 "その二つの大河に挟まれて育った

 メソポタミア文明"という辺りは、

 唐突でが、その視点の正当性とか

 深堀できればすごく面白いと

 思うのです。

 

 日本の場合は、

 渓流のアユ圏(山地文化)と

 コイ、フナの平地圏とが、

 入り組んで、生物の競合が

 バランスしたところに

 都市が形成されている

 と言いながら

 

 なぜ、そんな日本の河川のありよう

 が、日本人の縦社会の要因なのか?

 よくわかりません。

 

 それは、ともかく、

 

 第Ⅱ章の主眼は、章見出しのとおり

 自然との共生を考えるところに

 あるのですが、「共生」というのは

 

 開発の際に、生き物を保護する場所

 囲う場所を作って、眺めればいい

 というようなものでなく、

 

 生き物が生まれてから死ぬまでの

 それぞれの全過程を把握して、

 それを冒さない環境を整えることで

 

 河川の洪水や渇水すら

 生存の条件の中に持つ生き物もいる

 河川の回りの陸の環境に

 影響されて増えたり減ったりする

 生き物もいる

 

 そういう生き物の生態まで含めて

 人間が受け入れる覚悟をもつことが

 最終的には重要なことだと

 

 それが、摘発の時代だった70年代を

 反面教師にたどり着いた現時点での

 到達点であるというような内容です

 

 

7)あとがきの末尾

 

 「私一人ぐらい生物の立場にたって

  発言しないと、人と自然の共生は

  ないだろうと生物の視点で川のあ

  りようを見て来た。いつの間にか

  もうこのあたりでいいかなという

  思いもある。あとは次世代を担う

  人が何をどうすればいいのかを見

  定めて、ライフスタイルを反映さ

  せて続けてくれればと願いながら

  ペンを置く。」

 

 wiki を見ると、この本の刊行以後に

 新刊の上梓はないようです。

 

 『多摩川はつらいよ』で川の生物に

 目覚めた少年少女たちももう40代。

 

 そういった世代の中に、きっと、

 森下先生のメッセージに応えるよう

 な研究者が育ち、活躍されているに

 違いないと、これも勝手に想像した

 次第でした。