老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

子どもたちと漱石先生の攻防

 

 つい連想してしまった話

 

1)児童公園の廃止騒動

 

 長野の方で、

 子どもたちの声がうるさいという

 公園脇(?)の一軒の苦情で

 その公園が廃止になるという

 騒動で喧しいです。

 

 実際どんな状況か知らないし

 そのことに

 とやかくは、ないのですが

 

 

2)漱石先生を思い出す

 

 ほんとかどうかわからないけど

 コメント欄に、

 当事者が大学の先生という

 書き込みがあって、

 

 夏目漱石先生を

 思い出してしまいました。

 (同じ連想した人少なくないかと)

 

 

3)癇癪持ちの苦沙弥先生

 

 『吾輩は猫である』の

 中盤だったか後半だったか、

 先生が住む家の裏手の中学

 (現在の郁文館高校の昔)の生徒と

 主人公、苦沙弥先生との攻防です。

 

 ちょっと、度を越した感じの

 苦沙弥先生の権幕ぶりに

 読者も、

 おいおい大丈夫かいって気に

 なります。

 

 

4)かつて近所だった

 

 以前勤めていた会社の倉庫が

 漱石先生の住んでた旧居跡横の

 道筋にあり、

 

 昼休みに

 日本医科大病院に営業にきた

 医薬会社のプロパーさんらが

 たむろする横を通って

 

 ぶらぶら散歩がてら

 旧居跡の碑を読みにいったり

 したもんです。

 

 西片町の(『三四郎』の世界)の

 住まいがあったあたりとか、

 さらに西の、家賃でもめた家の辺り

 とか(いずれも痕跡ありませんが)

 

 本郷通りから中山道へ折れ込む

 漱石先生の曰く「追分」のあたりは

 今も漱石先生の面影が根付いている

 気がして浸れます。

 

 

5)漱石先生のころは片田舎だった

 

 ちょうどそのころ

 森まゆみさんの

 『千駄木漱石』を読んで

 漱石がそこに住んだ当時は

 

 屋並みもまばらな片田舎だった

 というのに気づかされ

 

 『吾輩は猫である』の世界を

 ずっと下町イメジで読み

 実際のことのように

 思い込んでいたので、

 へぇぇぇって感じでした。

 

 

6)夏目漱石の狂気?

 

 中学の生徒たちに

 異常なまでの怒りをたぎらせる

 苦沙弥先生への不安は、

 

 『行人』の「兄さん」の狂気で

 ピークに達し、

 

 読み手は、著者漱石の情緒不安定と

 だぶらせて読んでしまう、

 かと思うのですが、

 

 漱石の妻、鏡子さんの

 『漱石の思い出』を読むと

 鏡子さんまでまんまと

 そう思い込まされていたなあと

 コメントぶりとかから感じます。

 

 (ご家族にしかわからないご苦労の

  あったことなどを否定するような

  意味合いではありません。)

 

 

7)癇癪持ちではあった

 

 息子をステッキで叩いたりとか

 漱石が癇癪もちであったことは

 

 多くの方が書いておられるように

 生い立ちからの件を含め

 おそらくそうだったんだろう

 と思うのですが

 

 作品を通じて

 周りに過度に狂気じみて

 感じさせていたのは、

 漱石自身の筆だった

 と思うのです。

 

 "計算づく"かもしれないし

 "天分"のなせるわざだったのか、

 言うところの"作品世界"の意匠

 だったと思う派です。

 

 

8)今回の騒動とは関係ない話ですが

 

 隣の子ども達 VS 先生(かは不明)

 の構図から、

 

 つい連想に及びました。

 

 何か、うまくことが運ぶと

 いいですね。

 

 

・・・・2022/12/13・・・・

 

 上で、鏡子さんをディスった形に

 なっていることが気になり追記。

 

 精神異常と神経衰弱の線引きに

 自分が気づいたのはいつ頃か?

 

 もちろん、専門的な意味と

 いうことではなく・・・。

 

 二つが別物らしいということは

 たいてい思春期、青年期の頃、

 なんとなく理解が進むかと思います

 

 フロイトとかユングにかぶれて

 本なんか読んだりすると

 いっそう、理解がすすみます。

 

 ケレーニイの神話学とかの方に

 行ったりなんかもします。

 

 フロイトの『夢判断』は 1900年の

 刊行らしいです。

 

 その2年後の1902年(明治35年)

 官費留学の夏目金之助

 ロンドンで神経衰弱を患い、

 日本では、夏目「発狂」の

 噂が立ったそうです。

 

 そして

 

 3年後の1905年(同38年)

 『吾輩は猫である』の第一部が

 「ホトトギス」に掲載されて

 一躍文名が上がり、

 人気作家夏目漱石が誕生します。

 

 精神分析学は、1920年代、30年代

 日本で最初の盛り上がりがあった

 らしいです。

 

 とはいえ、一般の人々は

 与り知らぬことだったでしょう。

 

 一般の人々にとって、

 神経衰弱と「発狂」とは

 おそらく地続きの印象だった、

 のではないでしょうか?

 

 鏡子さんが感じていた

 漱石の精神異常とは

 そういうものではなかったかと

 思う次第です。