老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

丹生信仰とイワレヒコ

  座して勝利を手にする飴

 

1)丹生(にふ)信仰

 

 『日本神話の考古学』(森浩一)に

 伊勢の丹生(にふ)信仰のことが

 書いてあります(第4章)。

 

 近畿では、

 伊勢の奥山・飯高郡(三重)や

 高野山近辺(和歌山)、

 金峯山の吉野(奈良)などに

 丹生の神を祀る神社があり

 丹生信仰の地とされるようです。

 

 

2)丹(に)とは

 

 丹(朱)は、水銀の化合した赤土で

 古墳に塗られるなど

 不老長寿の象徴のような役割のほか

 

 鏡を磨くための

 良質で貴重な材料なのだそうです。

 

 八咫鏡御神体として

 アマテラスを祀る伊勢神宮

 伊勢に置かれた意味合いなどを

 森先生はご指摘されます。

 

 そういったことを踏まえ

 また、イワレヒコ(神武)の物語を

 読み直してみました。 

 

 

3)丹生信仰の地へ至るまで

  (日本書紀が下敷きです)

 

 九州の吾田邑(あたむら≒鹿児島?)

 にいたイワレヒコ(神武)が

 

 大分、北九州、広島、岡山を経て

 難波碕にたどり着き、河内へ進んで

 生駒山を越えようとしたところで

 

 先にこの地域へ進出していた、

 イワレヒコたちと同系統(?)の、

 饒速日(ニギハヤヒ)配下の

 長髄彦(ナガスネヒコ)軍との戦いに

 なり

 

 兄弟の五瀬命(イツセノミコト)が

 負傷するなど苦戦を強いられ退却。

 泉南の船着き場まで戻り

 紀伊方面へに回る。

 

 五瀬命は肘にあたった矢の傷が悪化

 亡くなって紀伊国竃山(かまやま)に

 葬られる。

 

 またイワレヒコの残る二人の兄弟、

 稲飯命(イナヒノミコト)、

 三毛入野命(ミケイリヌノミコト)も

 突然の暴風雨にあった船団が、

 海上を漂流する中、

 悲嘆にくれつつ、

 海人族らしい(?)、やや奇天烈な

 海の死に方を遂げてしまう。

 

 

4)いよいよ丹の戦い

 

 兄弟を失ったイワレヒコは、

 皇子手研耳命(タギシミミノミコト)

 とともに熊野へ進み

 

 荒坂津で、丹敷戸畔(ニシキトベ)

 という女賊を誅殺するのですが

 

  「ところがこのとき、神がいて、

   毒気を吐いて、人々はすべて

   病み伏して」

 

 しまいます。

 

 <これ、水銀中毒じゃないすかね>

 <女賊は丹生津姫のメタファー?>

 

 ここで、突如、熊野の高倉下

 (タカクラジ)という人物が

 登場します。

 

 高倉下は、見た夢(割愛)により

 軍神・武甕雷(タケミカヅチ)の神剣

 韴霊(フツノミタマ)を得て、

 イワレヒコに献上、

 

 するとたちまち、その神剣の霊力で

 イワレヒコらの病が回復します。

 <姫神の霊力を打払った、という

  わけでしょう>

 

 このあと、

 

 ・八咫烏(ヤタガラス)の話、

 ・落とし穴の話、

 ・イワレヒコが歌った久米歌の話、

 ・尻尾を持った部族の話、

 ・行軍阻まれたイワレヒコに

   アマテラスの夢のお告げの話

 ・アマテラスのお告げは、

   香久山の社の中の土で土器を

   作り天神地祇を敬い祀る一方で

   厳呪詛(いつのかしり)せよ

   (呪いまくれ)と勧める話。

 ・部下が蓑笠と箕で老夫婦に変装

   して、敵陣中の香久山の土を

   取ってくる話

 

 と流れ、

 

 

5)呪うイワレヒコ

 

 香久山の土を得たイワレヒコは喜び

 神の手でくじり作った(?)

 80枚の平瓫(ひらか≒皿?)と

 厳瓫(いつへ≒びん)を持って

 

 丹生の川上に登り天神地祇を祀る。

 菟田川の朝原というところで

 (川の水が)あぶくのように湧き

 呪り(呪い)着くところがあった。

 (泡がぶくぶく湧いて、呪いによさ

  そうな所?)

 

 イワレヒコはまた祈(うけい)をし

 「私はいま、八十平瓫を使い、

  水なしの飴をつくろう。

  もし飴ができたら、矛や剣の力を

  かりずに、居ながらにして、

  天下を平定できよう」

  云々。

 「瓶を川に沈めよう。

  魚が大小なく

  悉く酔って流れる如く、

  柀(マキ)の葉が浮かんで

  流れるようになったら、

  私はこの国を必ず平定できる、

  そうでなかったら、

  成就できない」

  

 と祈って、瓶を川に沈め、

 その口が下を向くと

 魚がみな浮き上がって流れ、

 口をぱくぱくしたそうです。

  

 

6)「水無し飴」の意味あい

 

 上の祈(うけい)を、

 つなげて解釈すると、

 水中で瓶の口から流れ出たのは

 水なしの飴だと読める

 と思うのです。

 

 そして、それにより、

 川の魚が水に浮いたということは、

 水なしの飴は、

 香久山の埴土に、

 何かを練り込んで作った

 "汚い飴"だったと

 言えるのではないかと思うのです。

 

 戦わずして、座にいて勝てるとは、

 そういうことなんじゃ

 ないでしょうか。

 

 <そんなことを森浩一先生が書いて

  いられるわけではありません。

  ここは、あくまで、ほっこりの

  独自邪推ですので念のため>