老齢雑感

ーあのとき僕はこう思ってたんだー

骨折(左踵骨)と「更科日記」

 

  松葉杖生活での

  あり余る机上時間を

  いかに費やすか

    

1)ユーチューブ三昧も過ぎれば飽きる

 

 ネット上に溢れかえる

 造園系ユーチューブを見飽きたら

 気分転換に古典を読みます。

 

 

2)造園がらみの本も読みますが

 

 気分転換にいいのは古典(古文)。

 古い学参を棚から引っ張り出します。

 本文のほうでなく、

 通釈(現代語訳)のほうを読みます。

 

 

3)学校の授業は古典鑑賞ではない?

 

 学校では、古典講読とかいいながら

 文法理解、古語理解がメインで

 内容に踏み込んだ記憶がほとんどない

 

 通釈で内容を追うと

 いやあ、これがホント面白い。

 (NHKの100分で名著が面白いのと

  おなじ角度だろう)

 

 

4)今「更科日記」を読んでます

 

 中世のオタク女子の日記

 というようなことが

 よく言われますが

 父親も似たような内向きなタイプ。

 そういう一家のささやかな

 一生の記録という感じです。

 

 

5)「こだいの親」ということばが

 

 昔気質(むかしかたぎ)の父親

 という意味らしい。

 社交派、ぐいぐい出世派と真逆の

 そういうのが苦手なタイプを

 「こだい(古代?)」

 (=昔気質)といったらしい。

   

 「内向き」ということばがあったら

 それが使われたのだろうけれど、

 そのことばがなかった時代、

 昔気質という表現が使われた。

 

 このことばの輪郭や深みの

 今の時代との重なり方や違い方が

 なんか面白い。

 

 

6)そのほかにも面白い点いっぱい

 

 冒頭「継母」ということばが出てきて

 母親は早くに亡くなり

 継母に育てられたのかと思っていたら

 あとで母親が出てきて少し面食らう。

 「継母」は本妻以外の妻もそう言った

 らしく、

 「後妻」の場合もあるが、

 「後妻」の意味が強くなるのは

 後のことらしい。

 

 また、

 「継母」にいじめられる子ども

 のはなしは、

 昔ばなしの一ジャンルのようなもの

 ですけど

 『更級日記』の主人公と

 「継母」の関係はいたって良好です。

 

 「継母」といったらイジメ!

 という固定観念が定着する以前の

 おおらかな親族関係が偲ばれます。

 

 

7)「書かれていた通りの未来」話

 

 的な話もあります。

 駿河の国の人から聞いた話。

 富士川のほとりで

 川上から流れてきた

 反故紙を拾い上げたら

 翌年の国司の着任のリストで

 不思議に思っていたら

 翌年そのとおりになってしまった

 というような内容。

 

 富士山に神々が集うという

 この時代の認識が

 背景にあったようですが、

 こういう、「書かれた未来」的な話

 というのは、ほかにも昔ばなしとして

 あるんでしょうか?

 

 それがとても気になりました。

 

 

8)「遊女(あそび)」は夜の女?

 

 足柄山の麓(箱根?)あたりの宿では

 「遊女(あそび)」が登場します。

 「遊女」というと、

 すぐ、夜の女的な受け止め方しますが

 「更級日記」の中の「遊女」二人は

 宿の客らを唸らせる歌唱力抜群の

 垢ぬけた美人たちです。

 

 「遊女(あそび)」が

 夜の女に固定観念化されていく以前の

 おおらかな時代のワンシーンが

 記されているのでしょうか?

 

 後段、大阪方面の

 「高浜」というところでの「遊女」も

 優美一方で書かれてます。

 

 

9)それから気になったのが「仮屋」

 

 旅の途中、宿に泊まれぬ時に(?)

 仮小屋を作ってそこに泊まっています

 宿が見当たらず困ったような

 感じはありません。

 

 東海道も中世(11世紀)頃は

 ほとんど人家まばらな状態だった

 のでしょうね。

 

 長旅での仮屋作りは

 キャンプするならテント張りのような

 そんなの常識、当たり前だろ

 感があります。

 

 それに、後段(贄野の池辺り以降)

 でみるように

 この時代の宿というのは

 宿屋もあったのかもしれませんが

 土地土地の民家に宿を借りる方が

 多かったようにも読めます。

   

 

10)仏像って簡単に作れるの

 

 よく言われる作者の源氏オタク話が

 第一段からスタートしますが、

 源氏を幼い作者に

 物語って聞かせたのは姉や継母で、

 それぞれの読んだ巻本(部分部分の)

 かつ、それぞれの記憶限り。

 

 全巻通読を夢みる少女は

 「薬師仏」を作って祈ったという話も

 冒頭に登場します。

 

 しかし、仏像を作るって、

 ドウユーコト?

 そんなに簡単にできることなの?

 って、疑問が

 冒頭からいきなり湧くのですが

 

 それがどうだったかは

 明らかにはなりませんが、

 しかしこの「薬師仏」の話は、

 作者の源氏オタク話の添え物のようで

 ありながら、実は、

 「更科日記」後半に入って

 読み手がふと思い出す一コマです。

 

 

11)作者の意図的な伏線だったのか

 

 それは、はっきりしないのですが

 人生の折々の振る舞いの良し悪しが

 のちのち夢の中に呼び戻されて

 スーパーな人間になれなかった

 内向きな自分と自分の一家への

 繰り言に似た

 人生の諦観のようなものとして

 脈づけられていく文章を俯瞰すると

 

 作者は、もしかしたら

 意図的にあの話を冒頭に挿入した

 のではないか

 という気はしてきます。